[race] トレイルレースの楽しみとは。訳文Chris McDougall / Born to Be a Trail Runner

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震災をきっかけにUTMFを始め、夏までの日本国内のトレイルレースは中止や延期が相次いで発表されている。それをめぐってネットやtwitterでも嘆いたり悲しんだり、あるいは怒ったりといろいろな反応を見かける。

そんな折りに、New York TimesのコラムでChris McDougall(Born to Runの著者ですね)が下のリンク先のようなコラムを週末に書いていたのを見つけた。トレイルランの楽しみかた、レースのあり方について考える一つのきっかけとなるのではないかと思った。誰かが開催してくれるレースを楽しめる、楽しめない、というのもあり。それとは違う楽しみ方を自らみつけるのもあり。

Well: Born to Be a Trail Runner

日本語なら目を通す人も増えるかもしれないと考え、当方で勝手に翻訳してみた。文責は当方にあるのであしからず。ご興味ある方は続きをどうぞ。

 

Born to Be a Trail Runner / Chistpher McDougall

昨年11月、ニューヨークシティマラソンに向かおうとしているときのことだった。父の脳に2カ所の血栓があり、緊急手術が必要だと聞いた。しかし、家族は私にとにかく行ってレースに出てくるようにと勧めた。

何年も前にランニングをあきらめて以来初めてのフルマラソンだったし、「Born to Run」という本を書いてから初めての大がかりなレースだった。このマラソンを裸足で走る練習をしていて、ニューヨークタイムスで心づもりを記事にして書いていたほどだ。

母は「お父さんはあなたに走ってほしいと思っているわ」といってニューヨークに留まるよう勧めてくれた。しかし父はそんなことを望んでなどいない。それで私はレース前日に帰宅することにしたのだ。

父の病状が回復するのを待つ間、私の心は揺れた。誰しも、自分のメインイベントが始まる前に幕を下ろしてしまったらそのような気持ちになるだろう。目の前にチャレンジすることがなく、あるいはひどくうちひしがれているのでもなければ、一気に立ち直ってトレーニングに打ち込むこともない。予定もなく好きに過ごすだけだ。時々走るだけというのが一週間から気づけば三週間となり、きちんと組み立てられた練習などせずただ気の向くままの練習しかしない。うんざりしてきたころにようやく十分な練習量に達したことにする。

一生懸命練習するのが二週間に一回くらいだったころ、私は地元のトレイルランナーのグループと知り合った。彼らは雪や雨、夜の闇の中でもまるで愚直な郵便配達人のように練習していた。暗かろうが寒かろうがお構いなし、吹雪だろうが藪だろうが迷わずにヘッドランプを頼りに進んでいく。彼らは別に苦行を楽しんでいるわけではない、と私は気づいた。得体の知れない恐ろしさに直面し、恐ろしくてまとまって行動していたのだ。

彼らの多くはボストン、ニューヨーク、シカゴなどのマラソンの完走者だったが、話していたのは人気のレースや記録のことではなかった。彼らが話していたのは、ミセススミスチャレンジやメガトランセクト、スーパーハイクといった野外での何の名声もないイベントのことだった。レースの出場資格をひけらかしたり、抽選に当たったことを自慢するのではなく、レース会場で地ビールとオールドベイバーガーを口にしながら、仲間が完走するのを応援することを楽しみにしていた。

そんな話を楽しんでいるうちにニューヨークマラソンを走れなかった悔しさは忘れ、元々持っていた長距離走への熱意がよみがえってきた。それは今日のエンデュアランススポーツの誕生であり解放でもあったイベントで、「ファットアス Fat Ass」と呼ばれる。

それは三つのルールがあるトレイルレースだった。参加料なし、表彰なし、泣き言なし、というルールだ。距離は多くは50キロか50マイル。レース主催者の気まぐれや友達からGPS機器を借りられたかどうかで変わる。抽選も、出店ブースも、出場資格も、「ランニングクラブ」の懐に入る高額の参加費もない。ベラザノ橋の橋桁からおしっこを引っかけられることもなければ、号砲までスタート地点で震えながら待つ必要もない。皆平等にスタート地点を飛び出していく。

他方では、無論それに見合った苦労をする。エイドはコースの距離がそうであるようにあり合わせのものになる。桶に入った水やM&Mのチョコをすくうなど過酷なものになることもある。奇妙なエイドになることもある。メリーランドのレースでは、二人のボランティアがターキーの唐揚げを振る舞おうとしていたが、300人のランナーに振る舞うだけの材料と揚げ油を森の中に運ぶことはあきらめるしかなかった。結局二人は代わりに大量のフライドポテトを振る舞ったのだった。

そんなレースに私が初めて出たのは2006年の1月の凍える朝のことで、デラウェアのさびしい森で行われた50キロのレースだった。初めてのトレイルレースで6年ぶりのレースだったので、私はハント・バーティンという経験豊富そうなランナーにぴったりとついて行こうと決めていた。そうすればトレイルをはずれたり長距離でバテてしまっても立ち往生してしまうことはないと考えたのだ。この計画はうまくいったが、バーティン氏は途中で突然立ち止まると、悪態をつき始めた。前の週に自分で目印をつけておいたトレイルからはずれてしまったらしい。10分ほど藪をかき分けながらコースに戻ることができた。その5時間後、木々の中から飛び出すとフィニッシュラインを越えていた。入賞者はまだそこにいて、フィニッシュしてきた選手に熱々の野菜スープをよそっていた。

このようなレースは、奇妙な一致であるが、三つの異なる場所で同じ年に登場した。1978年2月、アメリカ人の水兵数人がハワイで、オアフ島のワイキキビーチで2.4マイルを泳ぎ、それから自転車で島の周りを112マイル走り、それからホノルルマラソンの全コース26.2マイルを走って、誰が一番タフか、真の鉄人かを試そう、というものだった。その間、コロラドのやんちゃな一団は敵討ちの儀式に忙しかった。以前彼らはクレステッド・バットからアスペンまでの38マイルを変速なしのボロ自転車をこいだり押したりして競っていたのだが、金持ちのアスペンの住人がバイクをクレステッド・バットに駐めていたことの恨みを晴らそうと考えた。1978年にはそれを楽しむためだけに、クレステッド・バットの有力者は「アスペン・ライド」として毎年の行事にすると宣言したのだ。

さらにはサンフランシスコでは、出るレースを見つけることができなかったランナーがウソをつくことにした。ジョー・オークスはウェスタン・ステイツ100に申し込むために50マイルレースの出場資格を示す記録が必要だった。かれは50マイルのリレーにエントリーしようとしたが、ランナー一人でエントリーすることは認められなかった。そこで彼は、7回にわたって自分の名前を7つの異なるスペルで書いてエントリーしたのだ。チーム・オークスの企みはうまくいき、それから名前などを偽ってエントリーする動きが始まった。

オークスは後にウルトラランニング・マガジンに対して次のように説明している。「この頃のスポーツでは、とにかくカネ欲しさが目立ちすぎるよ。」上がり続けるエントリー料に反発して彼が始めたのが「リカバー・フロム・ザ・ホリデーズ ファットアス50マイルラン」だ。

「このイベントには1セントもカネは絡まないよ。会場に来て走る。シンプルだろう。」

まもなく、このようなレースはあちこちで開催される。フィラデルフィア、トロント、イギリス、さらには徐々に広がってシベリアや南アフリカまで広がった。ルールは変更されず、レース名も現地の言語に翻訳されるが変わることはなかった。

自由な草創期から、マウンテンバイクやマラソン、トライアスロンは巨額のカネに侵略されてきた。一ドルでニューヨークシティマラソンにエントリーできた時代は遠くなった。昨年はリードヴィル100でさえ(最初の起源に近い、昔ながらの、鉱山町の野外のウルトラレースだ)企業が所有して協賛するようになってしまった。

しかし、森の中では、ファットアスは盛んに行われている。

「商業的で金太郎アメのようなロードレースに高いエントリー料を払うのを止めて、冒険しよう!」と12月にニューヨーク・トレイル&ウルトラランニングクラブの創始者たちは宣言した。それから80日でこのミッションステートメントは反響を呼んで200人のメンバーを集めた。この宣言はお金のことだけを言っているのではなく、人の結びつきのことも指している。レースは地元でつくるもの。ハリウッド製じゃない。高校の部活みたいなものだ。

私は数ヶ月前に、無料でボストンマラソンにエントリーできるとの招待を受けた。最も大がかりでよく整えられたレースの一つだ。ここで私は選択に直面した。考えたが答えを出すのに時間はかからなかった。42キロのフルマラソンを走らずに、出られなかったニューヨークシティマラソンの借りを返すために20%の利息をつけた50キロのHAT Runに出ることにしたのだ。ペンシルバニア州の自宅の近くのサスケハナ川沿いを走るコースだ。かなりの岩場があるトレイルなので裸足ではないが、手作りのサンダルを履いて走るつもりだ。友人の「裸足のテッド」がリードヴィル100で私がぺーサーをしたときにくれたのと同じものだ。

ある意味では、私はトレーニングを再開することはない。ただ森の中で遊ぶことにますます長い時間を費やすというだけだ。また巨大な「金太郎アメ」のようなレースに出るとなれば気分は乗らないが、6時間の冒険を演じるとなれば話は違う。HAT Runは65ドルのエントリー料がかかるが、賞品や駐車代、食事などで全額がランナーに還元される。現在のレース主催者はあのターキーの唐揚げを提供しようとした二人組で、いまだに熱々の「ウルトラポテトフライ」をレース中に提供しているそうだ。

レース運営にあたるティム・ゲイビンによれば「思っているより早く参加者で埋まりそうだよ。でもゆっくり走る人は参加枠を目指して争うようなことに慣れていないよ」とのことだ。

幸運なことに、ゲイビン氏のイベントからそれを補完する動きが出てきた。毎年3月にブザード・ランニングクラブがペンシルベニア州ハリスバーグの近くで無料のマラソン大会を行うことにしたのだ。ブザード・ランニングクラブはレースの日程をHATのスタッフと調整して、HATのレースに出ない人、エントリー料を払いたくない人に対して選択肢を用意したのだ。

そしてメキシコでは半ば神話的な孤高のランナー、カバッロ・ブランコが企業からのスポンサーの申し出を断り続けながら、コッパー・キャニオン・ウルトラマラソンをタラフマラ・インディアンと一緒に開催し続けている。このレースについては私の著書でも書いたとおりだ。300人以上のタラフマラ・インディアンと世界各国のランナーが集まったレースの後、先週カバッロからメッセージを受け取った。「みんなで集まって、小さな町に平和を作り出したんだよ。こんなにすばらしいことはない。これ以上のことがあるかい?」

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