UTMFでリタイア、阿蘇に戻って気づいたこと・森本幸司 Playback UTMF 2019 第三回【PR】

THE NORTH FACEアスリートと先月開催されたウルトラ・トレイルマウントフジ Ultra-Trail Mt. Fuji(UTMF)を振り返るシリーズの第三回は森本幸司 Koji Morimotoさん。

国体山岳競技を経験していて日本のトレイルランニングの黎明期を知る森本さんは、今回のUTMFが100マイルへの初挑戦でした。今回の経験を振り返り、これからの目標について聞きました。

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(Photo by © Kaz Nagayasu / UTMF)

国体山岳競技がきっかけでトレイルランニングへ

山を走り始めたのは学生時代のこと。陸上競技部で走っていたものの目立った成績は出していなかった森本さんは、山岳競技の選手として国体に出場しないかと誘われます。1999年には神奈川国体の少年男子で優勝。まだ日本ではトレイルランニングという言葉も広まっていない2000年代前半に日本の山岳ランニングコミュニティの中でその名を知られるようになります。

国体の山岳競技で縦走種目が廃された2008年からはしばらく山を走ることから遠ざかりますが、2013年にはカムバック。地元・九州のレースで上位入賞を重ねるほか、2014年に北丹沢で3位、2015年にIzu Trail JourneyやSTYで準優勝と40-70kmのレースでは日本のトップ選手の一人となります。そして2017年にはホームグラウンドといえるAso Round Trailで100kmを超える距離に挑戦して優勝します。

今年のUTMFは初めての100マイルへの挑戦でしたが、78kmの精進湖でリタイアという結果になりました。「夜になってだんだん胃の具合がおかしくなってしまって。少し休めば落ち着くだろうと思ったのですが、今度は身体が急に冷えてしまいました。このまま進んで山の中で動けなくなったら、と思うと先に進む勇気はありませんでした。」準備不足、特に天候については楽観的に考えすぎていた、と言葉少なに振り返ります。

Photo by © Sho Fujimaki / UTMF

初めての100マイルは厳しい経験、故郷の阿蘇で気づいたこと

森本幸司(もりもとこうじ)さん:1980年生まれ、熊本県に生まれ育つ。学生時代に陸上競技部に所属していたとき、国体の山岳競技の存在を知る。その後、熊本県代表チームの中核として活躍し、神奈川国体で少年男子優勝(1999年)。その後はマラソンや駅伝で活躍し、マラソンの自己ベストは2時間23分41秒(2014年福岡国際)。トレイルランニングでは2015年にSTYで準優勝、霧島えびの高原で優勝。今年1月には千羽海崖トレイルランニングレースで優勝したことから、6月のトレイル世界選手権の日本代表選手に選ばれている。

とはいえ、2017年のAso Round Trailで110kmのコースを走り切って優勝した森本さんを当サイトでも取材しています。それでもやはり100マイルに必要な経験は足りなかったのでしょうか。

「やっぱり100マイルを走るには準備も経験も足りなかったと思いますね。走ることの練習も大事ですが、山の中を丸一日行動し続けるにはもっといろんな経験を積む必要がありますね。2年前の阿蘇では優勝こそできましたけど、実際には何とかゴールできたというのが本音でした。」

UTMFから二週間後にはAso Round Trailでボランティアスタッフをして気づいたことがあるといいます。

「トップから最後尾まで選手の様子は様々でしたが、みんなすごく楽しそうな表情でした。一日を山の中で過ごすことを楽しむ気持ちを自分は忘れていたかもしれないと思いましたね。」

UTMFには必ず再び挑戦する

森本さんは熊本に生まれ育ち、阿蘇山は子どもの頃から親しんできました。「阿蘇の自然と風景はスケールが大きくて世界に誇れる場所。トレイルランニングはこの阿蘇の魅力を体験するには最高です。地元でトレイルランニングをしている人はまだ多くありませんが、これからもっと輪を広げていければと思います。」

そしてUTMFに向けた思いも忘れていません。

「100マイルのような超長距離に自分が向いているかどうかはわかりませんが、必ずUTMFにはもう一度挑戦します。仮に思うようなレースにならなかったとしても、100マイルを最後まで走りきるという経験は自分にとって財産になる気がするんです。

静かな闘志を燃やす森本さんの次の目標は6月8日にポルトガルで開催されるトレイル世界選手権。日本代表選手の一人として45kmのレースを走ります。

(協力:THE NORTH FACE