ザック・ミラー Zach Miller というアスリートを一言で表すのは難しいかもしれません。ケニアで生まれペンシルベニアで育ち、大学でエンジニアリングを学びながら陸上競技に取り組む。卒業後は豪華客船の船上でトレーニングを積み、トレイルランニングで世界トップクラスの成績を挙げるという異色の経歴。標高3000m超の山小屋「バーキャンプ」の管理人や、改造したシャトルバスでの移動生活を選ぶ、既存の枠にとらわれないライフスタイル。
そして何より、スタートからすべてを出し尽くすかのように全力で攻め、観客の心を揺さぶるその情熱的なランニングスタイルこそが、彼を象徴する最大の魅力です。
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2023年のUTMBで100マイル(171km)の最終盤、ジム・ウォルムズレーとの熾烈なデッドヒートの末に準優勝を果たし、世界中のトレイルランナーの心を再び鷲掴みにしたアスリートが、このザック・ミラーです。彼は一体何を考え、何に突き動かされているのでしょうか。
そのトップランナーが、東京のファンの前に姿を現しました。2025年11月8日(土)、東京・原宿の「THE NORTH FACE Mountain」にて開催されたスペシャルトークイベント「THE MILLER METHOD – ザック・ミラーとの対話」です。
これはTHE NORTH FACEのSUMMITシリーズ25周年を記念したアスリートトークシリーズの一環で、ザック・ミラー選手の初来日ということもあり、会場は熱心なファンで満員となりました。
この貴重な場で筆者(DogsorCaravanの岩佐幸一)がファシリテーターを、そしてフォトグラファーのマルコ・ルイ氏が通訳を務め、彼の内面に迫る機会を得ました。イベントで彼が語った言葉は、彼の走りと同様、驚くほど率直で、深く、そして「頑固」なものでした。
走りの哲学:「ペインケーブ」は辛く、そして楽しい
ザック・ミラーを有名にしたのは、スタートの号砲と同時に先頭集団に躍り出て、アグレッシブにレースを牽引するスタイルです。2015年のCCC優勝時、その一切の躊躇がない激走は、世界のファンに鮮烈な印象を与えました。
私がまず彼に尋ねたかったのは、このスタイルが計算なき本能か、それとも緻密な計算に基づいているのか、という点でした。
「どっちもあると思います」とザックは静かに語り始めます。「まず、僕は競争することがすごく好きで、先頭に立って戦うことが好き。でも同時に、皆さんが見てアグレッシブだと感じる走りも、僕にとっては自分のフィットネスの範囲内、限界を超えない線で走っている感覚なんです」。
とはいえ、その走りがどれほど過酷なものであるかは、UTMBのライブ配信などで見せる、すべてを絞り出すような苦悶の表情からも明らかです。彼はキャリアの初期から、自らその苦痛を引き受けることを「ペインケーブ(苦痛の洞窟)を掘り進めるのが好きだ」と表現してきました。
多くのランナーが避けたい、あるいはその訪れを可能な限り遅らせたいと思う「苦痛」を、なぜ彼は積極的に引き受けようとするのか。この疑問も彼に直接ぶつけてみました。
「レース序盤からペインケーブに入りたいわけではありません。長い距離ですから、それは持続可能じゃない。でも、いつかは必ずそこに向き合いたいという気持ちがあります。なぜなら、自分の100%の力、ポテンシャルを全部引き出したいから走っているわけですから」
彼にとって苦痛とは、ネガティブな離脱信号ではなく、自らが全力を出し切っていることの証であり、自身の限界を探るためのポジティブなセンサーなのです。
「その100%のラインがどこにあるかを知りたい。脳は本能的に自分を引き戻そうとしますが、そのスペース(限界領域)を探求するのはスリリングで楽しい。だから、ペインケーブの辛い瞬間が来た時、もちろん『嫌だ』という気持ちはあります。でも同時に、それにどう向き合うかという喜びもある。自分自身を驚かせ、他の人にも『こんな走りもできるんだ』と示すことにつながる。だからペインケーブは、辛いけど、楽しいんです」
ルーツ:「今と変わらず、頑固だった」
彼のユニークな哲学の背景を探るため、子供時代について尋ねてみると、「一言でいうと、今とあんまり変わらなくて、頑固でした」と彼は笑いました。両親がキリスト教の布教のために赴いたケニアで生まれ、3歳までを過ごし、その後はペンシルベニアで育ちました。
「母が言うには、何でも自分でやりたがったそうです。歩き出す時も、姉は慎重で、確実に歩けると自信がつくまでやらなかった。僕は逆で、コンクリートの床で転んで傷だらけになっても、ずっと歩こうとしていたそうです」。このエピソードは、リスクを恐れず挑戦する現在の彼の姿と見事に重なります。
その「頑固さ」と行動力は、彼のキャリアを劇的に切り開いていきます。
大学でエンジニアリングを学びながらクロスカントリーに打ち込むも、「当時はプロになれるレベルではなかった」とのこと。「エンジニアリングの勉強とクロスカントリーの両立で非常に忙しく、ほとんど寝不足で過ごしました。楽しかったけど、正直もう戻りたくはないかな」と当時を振り返ります。卒業後、彼が選んだのはエリートランナーとは程遠い、異色の道でした。
「大学を卒業して、仕事が必要でした。イギリスの印刷会社の仕事を見つけたんですが、その職場がクルーズ船の中だったんです」。
なぜそんな場所を選んだのでしょうか? 「冒険みたいだと思ったから」。その一言に、彼らしさが凝縮されています。
しかし、彼は走ることをやめませんでした。海の上という閉ざされた環境で、彼は独自のトレーニングを編み出します。「幸い船は大きくて、10階から12階ぐらいの高さがあった。だから、階段をアップダウンしたり、トレッドミルで練習したり、固定バイクを使ったり。港に着いたら、もちろん陸上で走ったりしていました」。環境を言い訳にせず、今ある場所で最善を尽くす。その姿勢は一貫しています。
そして休暇中、偶然訪れたシャモニーでUTMBの存在を知ります。「このコースを1日で走るなんて、クレイジーだと思いました」。しかしその直後に船上で積んだトレーニングで、アメリカの伝統あるレース「JFK 50マイル」に臨み、優勝します。トレイルランニング界に衝撃を与え、この活躍がきっかけとなってスポンサーシップを獲得しました。
ライフスタイル:山小屋、バン、そして家へ
スターダムにのし上がったかに見えた彼ですが、その後の選択もまたユニークでした。
JFK50マイルでの優勝後も、彼は世間的な成功のレールには乗らず、コロラド州のパイクスピークの中腹(標高3109m)にある山小屋「バーキャンプ」の管理人という仕事を始めます。電気や水道のないオフグリッド環境での生活は5年にわたって続きました。
「パイクスピークマラソンの練習のために、数週間キャンプの近くの森にテントで住んでいたんです。パイクスピークに登って夜はそこで寝て、朝になると下りて(麓の街で)仕事に行き、また登って寝て、というのを繰り返していたら管理人と知り合い、人を探していると聞いて。それで姉と二人で応募したんです」。
そこでの生活は「水は小川から、電気は太陽光。道路はなく、トレイルで物資を運ぶ生活」でした。標高3000mの山小屋生活。電気も水道もない環境で日々を営むこと自体が、過酷なトレーニングです。そこで5年を過ごした後、彼は再び住処を変えます。スクールバスを改造したキャンピングカーでの「バンライフ」です。
「バーキャンプでは、いつでも素晴らしいトレイル(パイクスピーク)にアクセスできた。でも、それは同じトレイルでした。バンならどんなトレイルにでも住めると思ったんです。人生は冒険の要素がある方が楽しいから」
「それに」と彼は付け加えます。「バスはとても小さくて効率的。ベッドから出たらすぐにキッチンで、テーブルから立ち上がらなくても冷蔵庫に手が届くから」。その合理的な生活を、今でも彼は心から楽しんでいるようでした。
そして最近、彼はコロラドに家を購入しました。「バンでの生活ではできないこともあるから」と、トレイルヘッドから150歩という物件を選びました。一方、ガールフレンドの出身地のオレゴンでも彼女と一緒に家を自分たちの手で建てているといい、その間は結局バンで寝泊まりしているとのこと。彼の冒険と合理的なライフスタイルは、今も続いています。
挫折と進化:「スポーツ自体が高速化している」
輝かしいキャリアの一方で、彼は2019年からの約3年間、膝関節症に苦しみました。「軟骨がすり減って、骨と骨が直接擦れて痛みが出ていた」状態で、「もう高いレベルで競技をすることはできないかもしれない」という不安がよぎったといいます。
どうやってその暗いトンネルを乗り越えたのでしょうか。
「その時、自問したんです。『これは本当に自分が欲しいもの(走ること)なのか?』と。僕にとって、答えはイエスでした。まだまだ続けたいという気持ちが強かった。だから、諦めずに医者を探し続けました。そこには、子供の頃のような『頑固さ』が必要でした」。
復活を遂げた彼は、2023年のUTMBで準優勝という劇的なカムバックを果たしました。私には、怪我を経て彼の走りがかつてのアグレッシブなものから、よりスマートになったようにも見えましたが、その点を尋ねると、「怪我のせいではない」と彼は断言しました。変化の理由は2つあるといいます。
一つは、100マイルという長距離への戦略的な適応です。「50マイルと同じ感覚で100マイルを走ると、70マイルあたりで潰れてしまう。経験を積んで、100マイルではもっとコントロールが必要だと学びました」。
そしてもう一つの理由は「スポーツの進化(高速化)」です。
「2015年に僕がCCCで優勝した時のタイム(11時間53分)は、今や女子の優勝タイムくらいです。男子の優勝タイムは10時間くらいになっている。昔は自分の限界で走れば、なんとなく前に立てた。でも今は、限界で走っても、前に何人か自分より速い選手がいる。その中でどう戦っていくか、今も模索中です」。
未来:UTMB優勝、トルデジアンへの興味
彼を今、突き動かしているものは何なのか。今後のモチベーションについても尋ねました。
「(2024年に直前の虫垂炎の手術でDNSとなったのち、2025年に5位で完走した)ハードロックは『グッドレース』だったけど(胃腸トラブルもあって)『グレイトレース』ではなかった。だから再挑戦したい。ウェスタンステイツはまだ走ったことがない」。
そして、やはりUTMB。「2位という結果には満足しているけど、まだできていないことが一つある。それは優勝することです」。彼の探求は、まだ終わっていません。
さらに、彼の興味はFKT(最速記録)や、超長距離レースにも向いているようです。「ニューヨーク州北部のアディロンダック・ハイ・ピークスのFKTにずっと挑戦したいと思っているんだ。それに、アパラチアン・トレイルの記録もクールだよね。まあ、それをやったらリタイアするかもしれないけど(笑)」と、具体的なプロジェクト名を挙げました。
「トル・デ・ジアン(イタリア北部の320kmのトレイルレース)にも興味があります。自分の強みは、寝なくても動き続けられること。まだ何日間も走り続けたことはないけれど、自分に向いているかもしれない」。山小屋やクルーズ船で培われたタフさが、新たな舞台で開花するかもしれません。
葛藤と、夢を見ること
私からの一連の質問の最後として、私は「どんなランナーとして記憶されたいか?」と尋ねました。
彼は少し考えた後、こう答えました。
「自分のことを話すのはあまり好きじゃないんだけど、、あえていえば『競技が好き(Competitive)で情熱的(Passionate)』なランナー。でも、それだけじゃなくて、『親切(Kind)で人を助ける(Helpful)』人間として記憶されたい。 レース会場で彼女とドーナツを作って配ることがあるんですが、そういうランナー以外の側面も覚えてくれると嬉しいな」
イベントの終盤、会場の皆さんからの質疑応答の時間に移ると、さらに核心に迫る問いが彼に投げかけられました。
ある参加者から「我々普通のランナーに何を期待するか」と問われたザックの答えは、私にとっても非常に印象深いものでした。
「夢を見ることをやめないでほしい。 やりたいことがあっても『時間がない』『無理だ』と、人生を過ごしてしまうのは簡単です。でも、何かを夢見て、それを実現しようとするとき、人生はずっと良くなる。 僕も大学時代、本当は『アウトドア・エデュケーション』(ラフティングガイドやハイキングガイドになるための学問)を学びたかった。でも母に『もっと実用的なものを』と勧められてエンジニアリングを選んだ。面白いことに、結局は回り道をして、最初に素晴らしいと思ったこと(山で活動すること)に戻ってきました。だから、やりたいことは、まず始めてみることが大事なんです」
さらに、別の参加者から、多くのファンが聞きたかったであろう、デリケートな質問が飛びました。2024年に彼がUTMBの運営体制について問題提起したことについて、今どう考えているか、というものでした。会場が少し緊張する中、ザックは言葉を選びながらも率直に答えました。
「正直、まだ心の中で矛盾を感じています。小さな草の根レースの魂(Soul)も大事。でも、UTMBのようなプロフェッショナルな大会が、スポーツに注目やスポンサーをもたらす良い面も理解しています。商業化や、ランナーが公平に扱われているかという懸念は今もあります。でも、あのコースで、あの素晴らしいファンの前で戦いたい気持ちもある。完璧ではないことを受け入れつつ、その両方があるのが今の気持ちです」。
自らの頑固さで道を切り開き、山小屋やバンでの生活という冒険を選び取り、レースでは100%を求めてペインケーブに飛び込む。ザック・ミラーの走りが我々の心を揺さぶるのは、彼自身が誰よりも「夢を見て、それを実現しようとしている」姿を体現しているからだと、私は強く感じました。
(協力・THE NORTH FACE)















