【編者より・今年初開催のGreat Mongolia Gobi Desert Marathon*はモンゴルの砂漠と草原をめぐる6日間・250kmのステージレース。2013年9月16日~21日に行われたこのレースに日本から参加した眞舩孝道さん(まふね・たかみち、Salomon/福島学院大学職員)からレースレポートを寄稿していただきました。過酷で美しいレースの様子の他、福島県を拠点に活動する眞舩さんの東日本大震災からの復興への思いも綴られています。来年2014年は9月8–13日に開催されるこのレースの詳細やエントリーについてはNPO法人SSERのウェブサイトをご覧ください。(追記・一部内容の誤記を修正しました)】
【以下、写真はいずれも赤松章さん撮影】
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ユーラシア大陸の北東部中国内モンゴル自治区からモンゴル国にかけて広がる世界三大砂漠のひとつである「ゴビ砂漠」を6日間(総走行距離250km)で走破するステージレース。寒暖の差が非常に激しく、日中の気温は24~26℃。夜間は0℃から氷点下。ビバーク(宿泊場所)については、ゴビ砂漠上のテント泊(3泊)、遊牧民移動式住居ゲル泊(3泊)となる 状況下でのステージレースでありました。
『Great Mongolia Gobi Desert Marathon 2013-6days-250km』
- 1日目(9/16)36.375kmステージ
- 2日目(9/17)23.197kmステージ
- 3日目(9/18)48.515kmステージ
- 4日目(9/19)42.508kmステージ
- 5日目(9/20)56.910kmステージ
- 6日目(9/21)42.495kmステージ
標高1,100~1,500m超のダイナミックなモンゴルの大地、ゴビ砂漠。この6日間“心技体”を上手く絡み合わそうと全身全霊で挑みました。おかげさまで、全ステージ(6日間)で1位を獲得し、『Great Mongolia Gobi Desert Marathon 2013』総合優勝をいただくことができました。
レース展開は、モンゴル軍所属の195㎝クロスカントリースキーヤー(ソチ五輪強化選手)と、高地で生まれ育ち得意な心肺機能を有する遊牧民マラソンランナーと、私との三人パックでトップグループを初日から形成。
『ステージレース』
“走る”時間だけが大切なのではなく、“走る以外”の時間の過ごし方も大切になってきます。1日24時間。6日で144時間。この“一日一日”の過ごし方が大きなポイント。6日間のうち、なか3日間は各自テント泊。残りの3日間は、ゲル泊(遊牧民移動式住居)。ゴールした後、衰弱した身体を駆使し、強風の中でのテント設営。日の出とともに、氷点下近い外気温の中でかじかむ手をハーハー温めながらテント撤収作業。土砂降りの夜もあれば、ゲル泊で暖かい薪ストーブに抱かれ、満点の星空を見上げる夜も。
日中と夜間との寒暖の差が激しく、当然ながら体調も崩しました。4日目(9/19)の夜は、39℃の発熱。真夜中、熱で朦朧とする中、全身から吹き出す汗にどうしたらいいものか、大きな不安との戦いがありました。翌日(9/20)には、微熱まで下がるも約57kmのステージでは、内臓疲労から嘔吐と下痢を繰り返しながら我慢ガマンの走行。完全に限界を超えた状況下でしたが、ひたすら足を動かし続けました。でも、乗り越えられたんです。乗り越えることが出来ました。
この6日間、今まで見たことのない自分の姿。感じたことのない自分のココロとカラダと向き合うことができました。このような人間的にもアスリートとしても成長できる非日常的な空間に身を置けたことに感謝。私を取り巻くすべての方々、すべての物事に心より感謝申し上げます。
このモンゴル遠征は大きな想いがありました。東日本大震災後、子育て、仕事、スポーツ活動を行う上で、様々な葛藤がありました。震災当日は、職場も大きく倒壊し「生死の危機一髪」も。その直後には、原発問題(放射能)の不安を抱えての子育て。現在、震災からまもなく3年を迎えますが、原発問題(放射能)による、風評をはじめ農林水産業、観光業、教育、スポーツなどあらゆる分野で不安定な状態が続いており、その光景を目の当たりにすると心が痛む日々が続きます。
私自身、いつも元気いっぱいのようでも、将来に対しても大きな不安を抱えていることは隠しきれません。しかしながら、これから先、福島県を舞台に子育て、仕事、スポーツ活動を行っていく以上、数十年と続くこの問題と向き合っていかなければなりません。子育て、仕事の面においては、先の見えない困難を乗り越えるだけの強いメンタルが必要とされるであろうと、震災後、自問自答する日々が続いていました。
そこで、今レースに参戦するコンセプト。何か非日常的な、物事、場所へ「挑戦」することにより、自身の将来に対する不安を打破、払拭したいとの思いもありました。
また、その「挑戦」する姿を地元紙(福島民友新聞・福島民報新聞)に取り上げていただいたことにより、福島県人のみなさまが震災からの復興に向けた、一歩を踏み出す「勇気」と「元気」の一助になればとの思いも抱きながら。教育機関で働く者として、何歳になっても、どんな状況下でも、「夢」をあきらめず追いかけること、果敢に「挑戦」することの大切さを、次世代を担う若人に伝えたいとの思いも抱きながら。
「トレイルランニング」というアウトドアスポーツは、ダイナミックな大自然の中を「走る」という、非日常的な空間に身を置くことにより、雄大な山並み、動植物の躍動を肌で感じ、心身が癒されるという健康増進的な魅力も多々感じられますが、大自然の躍動と向き合い、まだ見ぬ世界へ向かって「前へ進む」という、メンタル的な部分でも大きなプラスの効果もあると感じております。
『走ることは、前に進むこと。』
今の福島県で生活をする上で、この「前へ進む」という、一歩を踏み出す「挑戦」は大切なことではないかと日々感じておりました。
世界中を見渡せば、国内外いろんな過酷なレースがある。ライフスタイルのスケジュールを縫った中で、今、私が挑戦できたのがこのモンゴルのレース。この挑戦が、いろんな意味でのスタートだと思っています。この挑戦が、未来への一歩。父親としてもビジネスマンとしてもアスリートとしても。
モンゴルの大地での非常に過酷な自然環境下でのステージレースではありましたが、果てしなく続く、遥か遠くの地平線へ向かって大地をただ走るだけではありませんでした。雄大な草原地帯、山岳地帯、動物たちの躍動感を全身で感じながら足を進めました。そして、夜は宇宙に居るかのような星空を見上げた日も。
テントを打ち付ける土砂降りの心細い夜もありました。でも翌日には、必ず朝がやってくる。必ず太陽が昇りました。明日(明るい日)は必ずやってくる。『未来は、きっと明るい。』そう心に唱えながら走り続けた6日間でもありました。
この挑戦に至ってはたくさんのご理解とご協力をいただいております。家族、職場のみなさま、そしてスポンサー企業各社はじめ、多くのみなさまに支えていただきました。
この挑戦で得たことを自己満足だけでは終わらせたくない。明るい未来へとつながるひとつの過程、経験値にしたい。 この挑戦が、新しいスタート。
【編者注・眞舩孝道さんのブログに掲載されている、より詳しいレースレポートもご覧ください。】
眞舩孝道(Takamichi Mafune / まふね・たかみち)
トレイルランナー(Team Salomon)、福島県在住。小学校から高校までの約10年間を野球少年として過ごし、大学時からフルマラソンに挑戦。 野球から転向後、3年目にしてフルマラソンを2時間26分で走る。 大学卒業後、地元福島県に戻り、私立高校(郡山市内)で生徒を指導する傍ら、国体の山岳競技(縦走)と出会う。 2007年をもって山岳競技(縦走)が国体から廃止となると、次なる活動ステージを「トレイルランニング」へと移行。 現在は、福島市内の私立大学で働きながら、春夏秋はトレイルラン、冬はクロスカントリースキー&スノーシューと、 オールシーズン福島県の雄大な自然環境を活かしたマウンテンスポーツ活動を精力的に行っている。 元福島県代表選手(国体)そして、少年期から現在に至るまで、スポーツを通した人々との出会いに恵まれた感謝の想いから、 福島県とスポーツへ対する想いは人一倍大きい。 その想いの中で、「トレイルランニング」というNEWアウトドアスポーツを通して福島県民、並びに福島県を訪れていただける トレイルランナーの「夢づくり、地域づくり、人づくり」のお手伝いができればと、2012年に立ち上がった 「ふくしまトレイルランニング振興会」の講師も務める。 日々福島県の大地を元気いっぱいに駆け回る本格派サラリーマンアスリート。