レジェンド鏑木毅、王者上田瑠偉、鉄人土井陵がトレーニング、ギア、そして知られざるレースの裏側を語る【レポート・ESS presents ビッグ3対談】

日本のトレイルランニング界を代表する三世代のトップアスリート、鏑木毅 Tsuyoshi Kaburaki 選手、上田瑠偉 Ruy Ueda 選手、そして土井陵 Takashi Doi 選手。ESSアンバサダーアスリートの3人が、東京・神保町のさかいやスポーツ本店にそろい、50名の熱心な参加者を前にトークイベントを開催しました。

それぞれの近況から、年齢やスタイルによって異なるトレーニング哲学、過酷なレースを乗り越えるためのメンタルやリカバリー術、さらにはレース中に見るという「幻覚」の話まで。トレイルランニングシーンをリードするアスリートたちが繰り広げた率直な言葉をレポートします。

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なお、この日のトークの模様はESSのYouTubeチャンネルで後日配信される予定です。

トロフィーが物語る、忘れ得ぬレースの記憶

イベントの冒頭、三人が会場に持ち込んだ思い出の品が紹介されました。それぞれが持参したのは、輝かしいキャリアを象徴する品ですが、それを手にしながら彼らが語ったのは、栄光の裏にある苦難の記憶でした。

鏑木毅選手

鏑木選手が披露したのは、2011年のUTMBで7位に入賞した際のトロフィーです。「この年は東日本大震災があり、日本人として頑張りたいという思いが強かった。しかし、アキレス腱の重いケガで、正直完走もできないと思っていた」。テレビのドキュメンタリークルーが密着し、優勝への期待が高まるプレッシャーの中、心身ともに極限状態で勝ち取った7位でした。「苦しい時、これを見ると『あの状況でもやれたんだ』と自信になる。今でも心の支えです」と語ります。

上田瑠偉選手

上田瑠偉選手

上田選手は、2019年にスカイランナー・ワールドシリーズで年間王者に輝いた際のトロフィーを披露。最終戦でライバルと僅か10数秒差のデッドヒートを制して掴んだ世界チャンピオンのタイトルでした。そのゴールシーンは、多くのファンの脳裏に焼き付いています。

土井陵選手

土井陵選手

そして土井選手が選んだのは、TJAR(トランス・ジャパン・アルプス・レース)で道のりをともにしたビブですが、2022年に圧倒的な大会新記録で優勝した時ではなく、苦しみながら連覇を果たした昨年のものを選びました。「絶頂の時より、苦しんだ大会の方が心に残る」という土井選手の言葉に、すかさず鏑木選手が「僕もそう」と深く頷きました。超長距離レースを戦うアスリートにとって、トロフィーの重みは、乗り越えた困難の大きさに比例するのかもしれません。

三者三様のトレーニングとリカバリー術

50代の鏑木選手、40代の土井選手、30代の上田選手と、ちょうど一回りずつ年齢の違う三者。そのトレーニング方法も三者三様です。

鏑木選手は「体の衰えに抗う」トレーニングを意識しているといいます。「ゆっくり長くは走れるけど、スピードが出なくなる。だから、25mのダッシュや、坂道を片足ジャンプで登るような、瞬発系の動きをひたすらやっています」。

消防士として働きながらトレーニング時間を捻出する土井選手は、意外にも「普段はほぼロードばかり。週に1回山に行けたらいい方」だという。そのジョギングペースがキロ5分と聞くと、他の二人から「それは速い!」とツッコミが入りました。

一方、上田選手は科学的なアプローチを取り入れていると話します。この日は、来る富士登山競走に向けてトレッドミルで行ったという高地を想定した低酸素環境下でのトレーニング内容を具体的に明かしてくれました。「標高2500m設定、斜度5%でキロ3分40秒を2km、次に斜度10%でキロ4分半を1km…」と、その緻密で過酷なメニューに会場からはどよめきが起こりました。

また、年齢と共にケアの重要性が増すという話題では、鏑木選手が「老いの三重苦」として「思うようにトレーニングが積めない、疲労が抜けない、怪我をしやすい」と告白。特に動体視力の低下は下りでの足運びに影響するといい、若い二人もうなづきます。三者ともに専門家によるメンテナンスやセルフケアを欠かさず、遠征にはマッサージガンや低周波治療器などの「ケアグッズ」を持参するのが当たり前になっているようです。

幻覚、胃腸トラブル、そして盟友との絆。100マイルの向こう側

話題はレース中の極限状態に及びます。TJARを5日間、5時間睡眠で走破する土井選手は、レース中に幻覚や幻聴を体験するといいます。「石に漢字が浮かび上がって見えたり、オーケストラの音が聞こえたり。でも『あ、これ幻覚やな』と意外と冷静に見ています」と語り、極限状況のあっけらかんとした冷静さで会場の笑いを誘いました。鏑木選手も「パタゴニアのレースで、30年前の大学時代の姿の妻が応援してくれている幻覚を見た」という愛妻家らしいエピソードを披露します。

また、多くのウルトラランナーを悩ませる胃腸トラブルについて、鏑木選手は先日のイギリスでの100マイルレースで「100km過ぎからずっと吐いていた」と壮絶な体験を告白。「でも、吐くものがない状態で『うぇっ』てやるとスッキリする。エネルギーも失ってないし、これはいいぞ、とポジティブに吐いていました」という境地には、百戦錬磨のレジェンドならではの凄みを感じさせます。

そんな極限状態では、選手同士の絆が大きな力になる。2019年のUTMBで、腹痛に苦しみリタイア寸前だった土井選手は、エイドで会った鏑木選手に「下痢なら大丈夫だよ」「リザルトを残そう」と声をかけられ、その言葉を励みにレースに復帰。その直後、一緒にエイドを出ると思っていた鏑木選手が独りで出ていくのを見て思わず笑ってしまい、気持ちが楽になったというエピソードを披露します。「一緒に行くって言ったじゃないですか!」と真夜中のクールマイユール Courmayeur で叫んだという土井選手に、鏑木選手は「覚えてないなあ」ととぼけ、二人の深い関係性をうかがわせました。

トップアスリートを支えるギアへのこだわり

イベントのスポンサーであるESSのサングラスについても、三人のこだわりが語られました。軍用規格から生まれたレンズは「裸眼との距離感のギャップが限りなく少ない」(上田選手)、「森の中など暗い場所でも凹凸がはっきり見え、裸眼よりよく見える」(鏑木選手)、「曇りにくいので、かけ続けられる」(土井選手)と、三者それぞれの実体験に基づいてその性能を絶賛。特に、一昨年にマウンテンバイクでの事故で顔面を負傷した上田選手は「このサングラスが目を守ってくれた」と語り、安全装備としての重要性を力説しました。

シューズについては、鏑木選手と土井選手がThe North FaceのVectivシリーズを、上田選手がAdidas TerrexのAgravic Speedを現在愛用中。レースの距離やコース特性によってモデルを使い分ける戦略も明かされる貴重な機会となりました。

未来への展望とファンへのメッセージ

イベントの締めくくりとしてそれぞれの今後の目標が語られました。

上田選手は、まず目前の富士登山競走での大会記録更新を宣言。さらにUTMBのOCC、9月のWMTRC世界選手権と続くビッグレースでの表彰台を目指します。そして「来年は100マイルに挑戦したい」と、来年2月のタラウェラ Tarawera by UTMBでのゴールデンチケット獲得をへてウェスタンステイツへのエントリーという計画を明かし、新たなステージへの挑戦に意欲を見せました。

土井選手は、自身の競技活動と並行し、イベント開催などを通じたトレイルランニングの普及活動にも力を入れていきたいと語ります。注目の来年のTJARでの三連覇挑戦については「まだ未定です」と笑顔でかわします。

そして鏑木選手は「還暦までにワールド・トレイル・メジャーズを完走したい」と、挑戦を続けることを誓います。同時に、将来のオリンピック種目化なども見据え、日本のトレイルランニング界の土台作りに貢献していきたいという、レジェンドとしての強い思いを語りました。

ファッションとしても支持を集めることでトレイルランニングに「第三次ブーム」が到来しているも言われる今、トレイルランニングファンへ向けて、鏑木選手はこうメッセージを送りました。「とにかく、皆さんが楽しくやっているのを前面に表現してほしい。マナーも大事だけど、まずは気軽に山に入って楽しむ。そんな雰囲気をもっとみんなで作っていけたらいいですね」。

三人のトップアスリートの強さの裏にある人間味あふれる素顔と、トレイルランニングへの深い愛情に触れることができた貴重で濃密な時間でした。それぞれの挑戦は、これからも我々に夢と感動を与え続けてくれることでしょう。

(取材協力・ESS)

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