【編者より・UTMBウィーク最終日の8月31日日曜日、シャモニー Chamonix の空は快晴に恵まれました。レースの興奮が冷めやらぬ中、恒例の「チャンピオンズウォーク Champions Walk」が開催されました。ライブ配信のMCの一人として今年のHOKA UTMB Mont-Blancを見届けたマルタン・ガフリ Martin Gaffuri 氏が聞き手となって、UTMBワールドシリーズファイナルの三つのレースのチャンピオンたちとともに、ここまでの歩みと今回の経験を振り返りました。そのチャンピオンたちとの会話を紹介します。】
「Champions Walk」で、ジム・ウォルムズレー Jim Walmsley (USA)がOCCでの激闘と自身のキャリア、そしてトレイルランニングへの思いを語りました。今回のインタビューは、感動的なエピソードから始まり、ウォルムズレー自身の復活劇、そしてトレイルランニングの本質に迫る内容となりました。
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(Photo © UTMB® / Nils Charles Oddoux)
OCC参戦を選んだ理由
ウォルムズレーは、今年は膝の故障に悩まされ、ウエスタン・ステイツ Western States への出場を断念。UTMBのロングディスタンスを目指していたものの、リハビリの進捗からOCC(約60km)への参戦を決断しました。彼は「強度のあるトレーニングはできたが、ロングランのボリュームが足りなかった」と語り、万全ではない状態での挑戦だったことを明かしています。
故障との闘いとリハビリ
ウォルムズレーの膝の痛みは「ペスアンサリン腱障害(Pes Anserine Tendinopathy)」によるもので、UTMB2022でも苦しみました。彼はコルチゾン注射を試みるも効果がなく、その後PRP療法(自己血液由来の血漿注入)を受けました。PRP療法は「完全なハードリセット」と組み合わされ、一時的に患部の痛みを増しましたが、治癒を促すシグナルを送る効果がありました。この治療後、8週間のトレーニング期間を経て、徐々に回復に向かいました。5月初旬にリハビリを開始し、ハードロック100 Hardrock100 でルドビック・ポムレ Ludovic Pommeret のペーサーを務めた経験も、痛みと向き合いながらトレーニングを続ける上で大きな助けとなりました。
OCCレースの舞台裏
OCC当日は悪天候のためスタートが2時間遅れ、コースも約3km長くなる変更がありました。ウォルムズレーは序盤から積極的に攻めるも、アルジャンティエール Argentière 付近で胃腸の不良に苦しみました。通常の水が見当たらず、炭酸水を摂取したところ、2~3km後にすべて嘔吐してしまい、ジェルや水分補給ができない状態に陥りました。これにより一時的に順位を落としましたが、彼は3位の選手がどこにいるか分からず、クリスティアン・ミノッジョ Cristian MINOGGIO (ITA)に抜かれた際には「彼がとてつもない動きをしたに違いない」と感じたといいます。しかし、レース終盤の約6kmのコースを事前に試走していた彼は、その区間に「ちょっとした登り、下り、そしてトリッキーでテクニカルな下り」があることを知っており、そこを「飛び立つための足場」として活用。この区間で約1分のアドバンテージを築き、平坦な区間でも素晴らしい走りで再びペースを上げ、見事な逆転劇を演じました。
「競り合ったクリスティアンには心から敬意を表したい。彼がいなければ自分の限界を超えることはできなかった」と語り、フィニッシュ後には大きなハグを交わしたエピソードも披露しました。
トレイルランニングへの原点回帰
ウォルムズレーは14~15歳の高校時代にランニングを始めましたが、それ以前は競技サッカーをしていました。成長期にスポーツの選択を迫られ、クロスカントリーチームの友人たちとの絆を深めるため、社交的な理由でランニングを選んだといいます。コロラドの大学で競技を続け、21~22歳までランナーとして活動しましたが、その後競技を続ける機会がなく、一度はランニング人生が終わったと考えていました。
しかし、モンタナ Montana (USA)での生活の中でトレイルランニングに出会い、その魅力に惹かれていきました。2014年にはJFK 50マイルで初優勝を飾り、このレースでは3度の優勝経験があります。2015年にはアリゾナの実家に戻り、標高の高い場所でのトレーニングを求めてフラッグスタッフ Flagstaff に移住。そこで約1年半、バイクショップで働きながらトレーニングを重ね、そのうち約6ヶ月後にはHOKAと契約。2017年には本格的にプロランナーとしての道を歩み始めました。
彼は「最初はブランドに毎週メールしてシューズを頼んでいた。コンピューターがなかったので、毎週火曜日に図書館に行ってブランド担当者にメールを送っていたが、あるブランドからは2足のシューズを送られ、もうメールを送らないでほしいと頼まれた」と苦笑いしながら振り返ります。また、「誰もトラック出身の自分を信じてくれなかった。精神力も脚力もない、トラックランナーはトレイルを走れないと言われた」と、当時の厳しい評価を明かし、トレイルランニングの世界での挑戦と成長を語りました。
トレイルランニングの魅力と今後
ウォルムズレーは、トレイルランニング、特にウルトラトレイルは「純粋なフィットネスだけでは勝てない」と強調します。トラック競技とは異なり、何時間も続くレースでは「人間の精神力、忍耐力、そして苦しみを乗り越える意志」が不可欠であり、DNFや失速を乗り越えて「戦い続ける」姿勢が求められると語ります。
彼は、このスポーツには純粋なスピードや才能だけでは測れない、多様な能力やモチベーション、そしてグリット(やり抜く力)が重要であると述べ、多くの人々が努力し、物語を紡いでいることに触れ、「5位、6位、15位、20位、30位の選手にももっと声援を送ってほしい。彼らもプロのようにトレーニングしている」と語りました。
OCCのフィニッシュ後、ウォルムズレーは、メキシコのファンから贈られたソンブレロを被り、アリゾナとメキシコの文化的なつながりを感じるひとときを過ごしました。彼は、フィニッシュラインでハイタッチが難しくなっている現状に触れつつ、後日ファンセクションに戻った際に、ソンブレロやポンチョを身につけたメキシコのファンたちに出会い、故郷アリゾナとの文化的な重なりを感じて楽しんだといいます。その場でソンブレロを被って踊ろうとしたところ、ゲートが倒れて脛に当たったというユーモラスなエピソードも披露。このソンブレロは、インタビュー当日にそのファンから贈られたもので、「フランスではあまり見かけないので、目立つアイテムになるだろう」と笑顔で語りました。
トレイルランニングの王者が語った栄光への道
膝の故障を乗り越え、OCCで見事な復活を遂げたジム・ウォルムズレー。彼は今後も数レースに出場し、弱点を強化する機会を得たいと語り、UTMBのスタートラインに立てなかったことへの寂しさも吐露しました。彼の語るトレイルランニングへの情熱と、競技を超えた人間ドラマは、多くのランナーやファンの心を打ちました。UTMBウィークは、トップ選手だけでなく、すべての挑戦者の物語が輝く舞台。ウォルムズレーの今後の活躍にも注目です。
https://www.youtube.com/live/tmqTlOaSkkg














