2026年1月31日、東京・青山の株式会社ゴールドウインにて「2025年世界マウンテン&トレイルランニング選手権(WMTRC)日本代表団報告会」が開催されました。
会場には、クラウドファンディングを通じて選手たちを支援した「日本代表応援プロジェクト」のサポーターやメディア関係者が集まりました。昨年9月、スペイン・ピレネー山脈のカンフランク(Canfranc)で開催されたこの世界選手権は、荒々しい岩稜帯と急峻なアップダウンが続く、まさに「世界一過酷」とも評されるテクニカルなコースが舞台でした。
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この報告会では、現地で戦った選手たちが登壇し、世界のトップ層との間に感じた明確な「差」や、そこで得た収穫、そして次なる2027年南アフリカ・ケープタウン大会への目標について、時には悔しさを滲ませながらも率直な言葉で語られました。

報告会に出席した日本代表選手。左から甲斐大貴、川崎雄哉、秋山穂乃果、笠木肇、近江竜之介。
DogsorCaravanがその熱気あふれる会場の様子をレポートします。
(All Photo ©️ 日本トレイルランニング協会)
ピレネーの洗礼と、埋めるべき「準備」の差
報告会の冒頭、現地に帯同したカメラマンによるドキュメンタリー映像が上映されました。スクリーンに映し出されたのは、日本の整備されたトレイルとは一線を画す、浮石だらけのガレ場や、手を使わなければ登れないほどの急登、そして選手たちの荒い息遣いでした。日本トレイルランニング協会(JTRA)の 福田 六花 Ricka Fukuda 会長が「日本には全くないような凄まじいコースであり、これはもはや『登山』に近い」と表現した通り、映像からもその過酷さが生々しく伝わってきました。
ショートトレイルで17位に入った 近江 竜之介 Ryunosuke Omi 選手は、スペインを拠点に活動する中で目の当たりにした、世界との決定的な「準備の差」について口を開きました。

近江竜之介選手
「強豪国であるフランスチームなどは、大会の1ヶ月前や2週間前から現地入りして合宿を行い、チーム専属のシェフやフィジオ(理学療法士)も帯同していました。彼らはコースの特性を熟知し、万全の体調でスタートラインに立っています。それに比べて日本チームが現地入りしたのはレースの3日前。時差ボケの調整もままならない中で本番を迎えるのが現状です。個人の走力以前に、スタートラインに立つまでの『組織としての準備』の段階で大きな差がついていると痛感しました」
近江選手のこの指摘は、単なる資金力の問題だけではなく、ナショナルチームとしてどのように選手をサポートし、パフォーマンスを最大化させるかというシステムそのものの課題を浮き彫りにしました。
世界と渡り合った選手たちのリアルな声
今回の日本代表勢で最高位となるロングトレイル女子12位という素晴らしい成績を収めた 秋山 穂乃果 Honoka Akiyama 選手。元長野県警山岳遭難救助隊という異色の経歴を持つ彼女は、自身の歩んできた道のりがこの難所で結実したと語ります。

秋山穂乃果選手
「陸上競技で培ったスピード、そして救助隊時代に身につけた、どんな状況でも動じない忍耐力。これまでの人生の様々な『点』が、このピレネーという過酷な舞台で『線』につながった感覚がありました」
過去の経験がすべて活きたという手応え。しかし、それと同時に突きつけられたのは、世界のトップ層との冷徹なまでの「差」でした。
「自分の持てる実力は出し切り、経験も活かせましたが、それでも上位の海外選手たちとは明確な違いがありました。彼女たちはトレーニングメニューから栄養摂取に至るまで、全てが科学的に研究されています。『山が好きで走っている』というだけでは、この先、世界との差は広がっていく一方です」
そう語る秋山選手は、今後は練習メニューを根本から見直し、感覚だけに頼るのではなく、データに基づいたプロとして「勝つための走り」を追求していく決意を新たにしました。
また、ショートトレイルに出場し43位となった 笠木 肇 Hajime Kasagi 選手は、スタート直後の圧倒的なスピード感や、下りのテクニックにおける世界レベルの高さを指摘。「日本のトレイルでトレーニングしていても、世界のサーフェス(路面状況)に対応できるような準備が必要だと感じました。特に下りでのスピード維持や、岩場での足運びは、国内のレースだけでは養えないスキルです」と、国内環境と世界基準とのギャップを具体的な技術課題として挙げました。
「走れるコース」が得意な選手が直面した壁
昨年6月のウェスタンステイツ(Western States)で10位入賞という快挙を成し遂げた 甲斐 大貴 Hiroki Kai 選手(ロングトレイル95位)。走れるコースを得意とする甲斐選手にとって、カンフランクのテクニカルなコースは、全く別の競技のように感じられたと言います。
「アメリカの走れるコースとは打って変わって、ヨーロッパのコースは本当に険しい。走ろうと思っても大きな岩がゴロゴロしていてスピードが出せず、リズムが全く作れませんでした。試走も行いましたが、それでも対応しきれないほど世界のレベルは高かった。特に登りでは、ポールを使ってガンガン歩く海外選手の方が、走って登ろうとする僕よりも速いんです。『走る』ことが正解ではない、登坂力の差を見せつけられました」
さらに甲斐選手は、現地での試走におけるロジスティクスの難しさについても言及しました。レース本番のコースはループ状ですが、広大なピレネー山脈の中に設定されたコースは、車でなければアクセスできない場所が多く含まれます。
甲斐選手によると、コースを効率よくパートに分けて試走するには、登山口までの送迎や走り終えた地点でのピックアップが不可欠でしたが、今回はチームとしての車両体制が十分ではなく、その確保が難しかったといいます。「移動手段の確保に苦心し、練習に集中しきれない場面もありました。チームとしてのサポート体制があれば、より戦略的にコースを確認し、準備を整えることができるはずです」と、次回の遠征に向けた具体的な課題を提言しました。
ベテランが語る「次世代育成」の急務
今回で世界選手権6度目の出場となったチームの精神的支柱、川崎 雄哉 Yuya Kawasaki 選手(ロングトレイル67位)。直前の怪我により万全ではない状態でのスタートでしたが、レース中にも激しい転倒で歯を欠けさせながらも、不屈の闘志で完走を果たしました。そんな川崎選手が強く訴えたのは、若手育成の重要性です。
「本気で世界選手権のメダルを狙うなら、若い時からトレイルランニングに触れる環境を日本でも作っていく必要があります。今のトップ選手が強くなるのを待つのではなく、近江選手のように、子供の頃から山を走っているような選手がどんどん出てこないと、4年後、8年後には世界との差はさらに開いてしまうでしょう。育成システムそのものを変えていかなければなりません」
これには近江選手も深く同意し、「スペインでは州ごとに若い世代のチームがあり、トップ選手が直接指導にあたっています。そこで切磋琢磨した若手が大人になった時、彼らは既に完成された山岳ランナーになっています。その積み重ねの差は、大人になってから始めた選手では埋められないほど大きい」と、現地の育成システムの実情を語りました。

会場では支援者に贈られたフォトブックへのサイン会も行われた。
コミュニティの力が変えた「意識」
厳しい現実を突きつけられた一方で、今回の遠征では大きな希望もありました。それがクラウドファンディングを通じた「日本代表応援プロジェクト」です。多くのファンや企業からの支援が集まり、現地には専属のカメラマンが帯同。LINEのオープンチャットを通じて、日本にいるファンと現地の選手がリアルタイムで繋がり、レース展開や応援メッセージが飛び交いました。
福田会長は「応援してくれる方々と一緒に戦うことができた。選手にとっても、物理的な距離はあっても、まるで現地に大応援団がいるような心強さがあったはずです」と、コミュニティの力がチームにもたらしたポジティブな影響を強調しました。川崎選手も「苦しい時、自分一人のためではなく、日本代表としての誇りと、応援してくれる皆さんの期待が足を前へと進ませてくれた。あの応援がなければ、もっと早く心が折れていたかもしれない」と感謝の言葉を口にしました。
2027年ケープタウン、そしてその先へ
報告会のクライマックス、マイクを握った選手たちは、ピレネーでの悔しさを燃料に変え、それぞれの「未来へのロードマップ」を力強く語りました。
まず口火を切ったのは、甲斐選手です。彼は自身の代名詞とも言えるレース、ウェスタンステイツへの執念を燃やします。「アジア人初のウェスタンステイツ優勝を目指します」。その言葉には、迷いはありませんでした。「得意な走れるコースだけでなく、今回のピレネーのような険しいコースでも戦える『真の強さ』を身につけたい。これからも”くれいじー”に、世界への挑戦を続けます」
サロモンのグローバルチームに所属し、世界の最前線を知る近江選手。彼の視線は、トレイルランニングという競技そのものの未来を見据えていました。「もし5年後、トレイルランニングがオリンピック種目になるなら、僕はそこにターゲットを絞ります。それまでは欧州を拠点に、世界一を目指して走り続ける。アジア人としてどこまでやれるか、証明したいんです」
そして、今回の経験で「点が線につながった」と語った秋山選手は、さらなる高みへ向かうための具体的なビジョンを提示しました。「今年のCCC(UTMBの100kmカテゴリー)でのトップ10入りが目標です。そのために新たなコーチを迎えました。感覚だけでなく、科学的なトレーニングを取り入れ、確実に世界で戦える身体を作り上げます」
この日、出席予定ながら体調不良により欠席となった 上田 瑠偉 Ruy Ueda 選手からのメッセージも代読されました。かつて世界王者にも輝いた実績を持つ彼は、今回の結果を冷静に受け止め、次のように現状への危機感を吐露しました。「世界との差は年々広がっていると肌で感じています。今回の結果を重く受け止め、自分のトレーニングや取り組み方を根本から変えていく必要がある」
この率直な言葉は、個人の課題にとどまらず、世界と戦うために日本チーム全体が向き合うべき現実を改めて示唆するものだったといえます。
福田会長は「いつかは日本で世界選手権を開催したい」という壮大な夢を語りつつ、まずは協会として、若手育成や遠征サポートなど、選手が世界と対等に戦える体制づくりに尽力することを約束しました。
ピレネーでの激闘は、日本のトレイルランニング界に多くの課題を突きつけましたが、それ以上に大きな「伸びしろ」と「進むべき道」を示してくれました。選手個々の進化、そして協会やファンを含めた「チームジャパン」としての成長が、2年後の南アフリカ・ケープタウン大会、そしてその先の未来へと繋がっていくことに期待したいと思います。
DogsorCaravanはこれからも、世界に挑む日本のアスリートの挑戦をお伝えします。













