【Transgrancanaria 2026 プレビュー】カナリア諸島に吹き荒れる「英国の嵐」と、WTMショートシリーズという新たな戦場

World Trail Majors (WTM) 第3戦、トランスグランカナリア(The North Face Transgrancanaria)がいよいよ開幕します。27回目を迎える今年は、125kmの「Classic」だけでなく、46kmの「Marathon」にも世界王者が集結。圧倒的な層の厚さを誇る「英国3本の矢」や、それに立ち向かうアメリカとスペインの雄、そしてケニアのスペシャリストたちが火花を散らすショートシリーズの動向まで、今年の見どころは尽きません。アフリカ大陸の北西に位置し「ミニチュア大陸」と呼ばれる島の過酷な自然環境を舞台に繰り広げられる、世界最高峰の戦いを解説します。

(All photo by The North Face Transgrancanaria / World Trail Majors)

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大会・レース概要:自然との対話と、地域社会に根付く27年目の進化

  • 開催期間: 2026年3月4日(水)〜8日(日)
  • 場所: スペイン・カナリア諸島 グランカナリア島
  • シリーズ: Gran Canaria World Trail Majors 第3戦(全10戦)
  • 規模: 68カ国から5,000名以上のランナーが参加。フランス、イギリス、ドイツなどの欧州勢に加え、地元カナリア諸島からも2,000名以上が参戦する、まさに冬のトレイルランニング界における最大の祭典です。

【2026年のトピックス:ロケ・ヌブロの復活と自然の猛威への対応】

今年最大のニュースの一つは、グランカナリアの象徴である巨大な一枚岩「ロケ・ヌブロ(Roque Nublo)」へのルートが、ClassicとAdvancedカテゴリー(80km)で復活したことです。環境保護の観点から昨年はコースへの組み込みが見送られていましたが、地元環境当局との綿密な調整と長月の対話により、レースの参加選手のみが通行を許される特別な区間としてコースに戻ってきました。夜明けの光に染まるこの神聖なエリアを駆け抜ける選手たちの姿は、今年の大会における最高のハイライト映像を飾ることになるでしょう。

一方で、大会直前には島を襲った集中豪雨により、ラ・マンサニージャ(La Manzanilla)地区で大規模な土砂崩れが発生しました。これに対しオーガナイザーは即座にピランコネス自然公園(Pilancones Natural Park)を経由する代替ルートを設定し直し、Classicは125km、Advancedは80km、Marathonは46kmへと距離が微調整されました。自然の脅威と共存し、環境への敬意を払いながら柔軟かつ安全に大会を開催するこの姿勢こそが、まさにトレイルランニングの真髄を体現しています。

【Classic (125km)】 男子:英国勢の「猛攻」 vs 迎え撃つ米西の雄

金曜日の深夜23:59、首都ラス・パルマスの美しいラス・カンテラス・ビーチの波音を背にスタートするフラッグシップレース「Classic」(125km / +6,764m)。凍える夜の山地を越え、夜明けとともに荒涼とした火山の風景を抜け、焼け付くような太陽が降り注ぐ南部のマスパロマスを目指すこの過酷な旅で、今年の男子フィールドは「英国勢による大攻勢」の様相を呈しています。

圧倒的な完成度を誇る「英国3本の矢」による包囲網

優勝候補の筆頭は、ウェスタンステイツやUTMBを制し、現代トレイル界の頂点に君臨するトム・エバンス Tom Evans(UK・ITRA 937)です。元軍人らしい緻密なタクティクスと揺るぎないメンタルを持つ彼は、2022年に同大会のAdvanced(62km)で優勝しており、島のトレイルが持つ鋭い岩肌や乾燥した気候といった特性をすでに熟知しています。満を持しての100マイル級への挑戦は、他選手にとって最大の脅威です。

トム・エバンス Tom Evans

トム・エバンス Tom Evans

彼に続くのが、昨年驚異的なペースで走りながらも、アメリカのケイレブ・オルソンに敗れ惜しくも2位となり、並々ならぬ決意で雪辱を誓うジョナサン・アルボン Jonathan Albon (UK・ITRA 931)です。障害物レース(OCR)で培った世界最高峰のテクニカルな下りの技術は、グランカナリアの荒れたサーフェスで最大の武器となります。そして、昨年のこの大会で3位に入り、さらに夏のUTMBでも3位と大ブレイクを果たしたジョシュ・ウェイド Josh Wade (UK・ITRA 908)。この強力な「英国3本の矢」が、チームワークにも似た隙のない連携とペース戦略をもって、表彰台を独占する勢いでスペインに乗り込みます。

ジョナサン・アルボン Jonathan Albon

ジョナサン・アルボン Jonathan Albon

ジョシュ・ウェイド Josh Wade

ジョシュ・ウェイド Josh Wade

アメリカの猛者とスペインの至宝が立ちはだかる

この猛攻を迎え撃つのが、過去4度(2017〜2020年)の連続優勝を誇る文字通りの「王」、パウ・カペル Pau Capell(ESP・ITRA 861)です。カタルーニャ出身の彼にとって、幾度も栄冠を手にしたグランカナリアはもはや第二のホームコースと呼べる場所です。昨年は第一子誕生により大会出場を見送りましたが、大会の隅々までを知り尽くした深い経験値と、誰よりも早く勝負を仕掛けるアグレッシブな走りで、王座奪還に向けて静かに闘志を燃やしています。

パウ・カペル Pau Capell

パウ・カペル Pau Capell

さらに注目すべきは、スペインのアベル・カレテロ Abel Carretero(ESP・ITRA 891)です。過去にこのClassicで4位に入賞した実績を持ち、島特有の過酷な気候変動とタフなサーフェスへの対応力は実証済みです。今シーズンは1月のWTM開幕戦「香港100(Anta Guanjun Hong Kong 100)」で11位に食い込み、すでにレース勘と長距離へのフィットネスを高いレベルに仕上げて現地入りしています。中盤のキャニオン(渓谷)地帯の酷暑の中での粘り強さが光るアベルの走りは、トップ争いの行方を大きく左右するでしょう。

そして、大きな台風の目となるのがアメリカのヘイデン・ホークス Hayden Hawks(USA・ITRA 916)です。彼にとってグランカナリアは、2022年大会で無念の途中棄権(DNF)を喫した「忘れ物」がある因縁の舞台です。しかしその後の彼の進化は凄まじく、2022年と2024年のウェスタンステイツでの表彰台(それぞれ2位、3位)、さらには欧州でのCCC制覇やブラックキャニオン・ウルトラズでの優勝など、100km〜100マイルの主役として完全に覚醒しました。アメリカ人ランナー特有の圧倒的なフラットスピードに加えて、近年は急峻な山岳への適応力も飛躍的に高めています。英国勢の組織的なレース運びや、パウ・カペルの経験値に対し、ホークスが持ち前の攻撃的なスピードでどう立ち向かうのかは、今年のClassicにおける最大のハイライトと言えます。

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【Classic (125km)】 女子:女王たちの防衛戦と群雄割拠のトップコンテンダー

女子のレースも、男子に勝るとも劣らない世界最高峰の戦い、そして予測不能なサバイバルドラマが約束されています。

昨年の覇者アンリエット・アルボン Henriette Albon(NOR・ITRA 759)が、持ち前のタクティカルな走りと後半の崩れないペースメイクで力強く連覇を狙います。しかし、彼女の前に立ちはだかる対抗馬たちは極めて強力です。

アンリエット・アルボン Henriette Albon

アンリエット・アルボン Henriette Albon

最大のライバルと目されるのは、昨年のWTMシリーズ初代チャンピオンに輝いたネパールの星、スンマヤ・ブッダ Sunmaya Budha(NPL・ITRA 808)です。昨季(2025年シーズン)は香港100と最終戦のケープタウンを圧倒的な強さで制覇しました。今季の香港100には出場せず、このグランカナリアに完全にピーキングを合わせてきており、ヒマラヤで鍛え上げられた彼女の驚異的な登坂力は、ロケ・ヌブロ周辺の急峻なセクションで爆発的な威力を発揮するはずです。

さらに注目すべきは、「スタミナの化け物」の異名をとるドイツのカタリナ・ハートマス Katharina Hartmuth(GER・ITRA 779)です。彼女はUTMBやハードロック100といった世界最高峰の100マイルレースで連続して表彰台に立ち、トル・デ・ジアン(350km)をも制するなど、過酷な連戦でも結果を残す並外れた回復力と精神力を持っています。2023年のこの大会でも4位に入っており、レースが過酷になり距離が延びるほど、彼女の真価が際立ってくるでしょう。

また、過去にStarter(現在のHalf)やMarathonカテゴリーで優勝し、島でのレース経験が極めて豊富なポーランドのカタジナ・ドムブロフスカ Katarzyna Dombrowska(POL・ITRA 767)が、満を持して最長距離のClassicに挑む点も、レースをかき回すダークホースとして大きな注目を集めています。彼女のスピードが125kmという距離でどう活きるかが鍵となります。

これらトップグループを追う実力者たちの層の厚さも今年の魅力です。スウェーデンのレジェンドであり、昨年の83kmカテゴリー勝者であるイダ・ニルソン Ida Nilsson (SWE・ITRA 798)は、ベテランならではの円熟味を見せつけるでしょう。また、中国トレイル界の飛躍を象徴するリン・チェン Lin Chen (CHN・ITRA 775)、英国女子の層の厚さを見せるエレノア・ワイマン=デイビス Eleanor Whyman-Davis (UK・ITRA 752)、そしてスペインのタフな環境を知り尽くしたクラウディア・トレンプス Claudia Tremps (ESP・ITRA 743)ら、ITRA 700台中盤〜後半のエリートランナーたちがひしめき合い、一つの補給ミスやペース配分の誤りが大きく順位を落とす、息の抜けない展開となることは必至です。

WTMショートシリーズの「高速バトル」と姉妹のドラマ

金曜日の朝09:30に内陸の美しい村テヘダ(Tejeda)をスタートする「Marathon」(46km / +1,784mD -2,800mD)は、昨年2025年からスタートした「Short Series by World Trail Majors」の対象レースです。累積獲得標高に対し、下りが約1,000mも上回るという、圧倒的なダウンヒル基調の過酷なコース設定。大腿四頭筋への強烈なダメージ(筋破壊)に耐えながら、最後まで脚の回転を止めない度胸が試される、スピードランナーたちの聖地となっています。

【Marathon (46km)】女子:凱旋する若き才能と、ブッダ姉妹の挑戦

女子の最大のトピックは、サラ・アロンソ Sara Alonso(ESP・ITRA 799)の帰還です。彼女は2022年にこのMarathonで優勝し、一躍世界的なトップランナーへと飛躍しました。その後、ゼガマやモンブランで活躍し、深刻な怪我を乗り越えて世界選手権でも銀メダルを獲得した彼女が、自らがブレイクを果たした思い出の地に凱旋します。 迎え撃つのは、昨年の同レース勝者であるヌリア・ギル Núria Gil (ESP・ITRA 743)や、昨年のカンフランでのWMTRC世界選手権・ショート8位のイクラム・ラルサラ Ikram Rharsalla (ESP・ITRA 780)ら。スペインのトップ女子選手たちが意地をぶつけ合う、息を呑むような高速バトルとなることは確実です。

以上三選手に挑む顔ぶれも多彩です。経験豊富なベテラン、ジェマ・アレナス Gemma Arenas (ESP・ITRA 757)に加え、香港のトレイル女王チョ・ユー・ラム Cho Yu Lam (HKG・ITRA 670)らも参戦し、多国籍なスピード勝負が展開されます。

さらに見逃せないのが、ランマヤ・ブッダ Ram Maya Budha (NPL)の参戦です。Classicに出場するWTM女王スンマヤ・ブッダの妹である彼女が、この高速レースに挑みます。過酷なカナリア諸島を舞台に、ネパール出身の姉妹がそれぞれ異なるカテゴリーでどのような活躍を見せるのか、心温まるサイドストーリーとしても目が離せません。

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【Marathon (46km)】男子:ハーフの王者 vs ケニアの刺客

男子の注目は、これまで同大会の「Half」カテゴリーで連覇し、自らのコースレコードを10分も縮める驚異的な走りを見せてきたアントニオ・マルチネス Antonio Martínez(ESP・ITRA 914)です。スカイランニングで培ったテクニカルな下りの技術と圧倒的なスピードを武器に、今年は満を持して距離を伸ばし、マラソン王座を狙います。

アントニオ・マルチネス Antonio Martínez

アントニオ・マルチネス Antonio Martínez

しかし、彼の前に立ちはだかるのがケニアのロバート・プケモイ Robert Pkemoi(KEN・ITRA 920)です。2023年、2024年とこのMarathonを連覇した絶対王者ですが、昨年はイタリアのフランチェスコ・プッピにゴール直前で刺されて悔しい2位に終わりました。持ち前のバネとロードで培った圧倒的なスピードを武器に、大会史上初となる「3度目のマラソン制覇」への執念は計り知れません。

さらに、ポーランドが誇るスピードスター、バルトロミエイ・プシェドヴォイェフスキ Bartłomiej Przedwojewski (POL・ITRA 890)や、昨年同レースで3位に入ったポルトガルのティアゴ・ヴィエイラ Tiago Vieira (PRT・ITRA 893)ら、欧州の強力なアスリートたちも集結しており、表彰台争いは熾烈を極めます。

DogsorCaravan Analyst Note(編集後記)

1. 「ショート」が主戦場になる時代の本格到来

今年の特徴は、46kmの「Marathon」カテゴリーに、アントニオ・マルチネスやサラ・アロンソ、ロバート・プケモイといった「世界トップクラスのITRAスコアを持つランナー」が明確にターゲットを絞ってきている点です。これはWTMが昨年「ショートシリーズ」を導入し、中距離帯における明確なランキング制度とプロフェッショナルな賞金体系を整備した影響が大きく表れています。トレイルランニングは「長ければ長いほど偉い」という耐久力至上主義の時代から、距離ごとのスペシャリティを純粋に競い合う成熟期に入りました。特にグランカナリアのマラソンは、下りの割合が多くトップスピードの維持が極限まで試されるため、映像で観戦するなら最もエキサイティングでスリリングなカテゴリーになるはずです。

2. トレイルランニングと地域社会の共生、そして「観光功労賞」

ロケ・ヌブロのルート復活や、直前の土砂崩れに対する迅速なルート変更は、この大会がいかに地元カナリア諸島の行政や環境保護局と蜜月に連携しているかを示しています。注目すべきは、本大会がグランカナリア島議会(Cabildo de Gran Canaria)から観光分野における「ロケ・ヌブロ賞(Roque Nublo for Tourism Merit)」を受賞したことです。1万人規模のイベントを開催しながら、環境への影響を最小限に抑え、世界中のランナーを惹きつけることで島の国際的な地位を向上させたことが高く評価されました。さらに、The North Faceとの冠スポンサー契約が2029年まで延長されたことは、この大会が単なるスポーツイベントを超え、欧州の冬の観光・経済資源として確固たる基盤を築いていることの証明です。

3. 英国勢の大攻勢と米国・スペインの戦術の進化

男子Classicにおけるトム・エバンス、ジョナサン・アルボン、ジョシュ・ウェイドの揃い踏みは、近年のウルトラトレイル界における「英国勢の充実ぶり」を象徴しています。かつてはフランスやスペインの独壇場だった欧州の山岳レースにおいて、英国のアスリートたちは独自のデータ分析、熱順化トレーニング、コーチング理論を持ち込み、確実な地殻変動を起こしています。

一方で、ヘイデン・ホークスに見られるアメリカのウルトラランナーの山岳適応力や、アベル・カレテロ、パウ・カペルが持つ経験値の蓄積も無視できません。「昼夜の激しい寒暖差」と「極度の乾燥」が鍵となるグランカナリアにおいて、最新のスポーツ科学と、泥臭い経験値がどのように激突するのか。これは現代トレイルランニングの戦術の最先端を見る絶好の機会でしょう。

4. 日本人エリート不在を逆手にとる「世界基準」の観戦術 今回のエリートリストには、残念ながら日本からの参加選手の名前は見当たりません。しかし、これを悲観するのではなく、純粋に「世界最高峰の戦術」をフラットな視点で学ぶ絶好の機会と捉えることもできるでしょう。WTMのレースの中でもトランスグランカナリアは公式のライブ配信が非常に充実しています。世界のトップがエイドでどのように素早く補給し、勝負所でどうギアを切り替えるのか。強烈な下りでいかに脚を温存しながらタイムを削るのか。今週末は少しの寝不足を覚悟で、画面の向こうで繰り広げられる「アベンジャーズ級」の戦いを観戦するチャンスです。

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