トップアスリートを魅了する「さくらやまトレイル」。地域のおもてなしと森が織りなす持続可能な未来

群馬県藤岡市。秋には7,000本の「冬桜」と一面の紅葉が山肌を美しく染め上げるこの地に、いま、日本のトップトレイルランナーたちが熱い視線を注いでいます。通常、桜といえば春の風物詩ですが、ここ桜山の冬桜は寒空の下で可憐な白い花を咲かせ、紅葉の赤との見事なコントラストを描き出します。

筆者が現地を訪れたのは2月の下旬。冬桜の季節は過ぎていましたが、桜山の自然は別の表情で私たちを迎えてくれました。澄んだ青空に映える淡い黄色のロウバイが甘い香りを漂わせ、足元には素朴で愛らしい福寿草が春の訪れを告げるように顔を出しています。さらに、枝先にはほころび始めた梅の花も見られ、厳しい冬を越えて少しずつ芽吹いていく山の息吹を肌で感じることができました。

Sponsored link


その桜山を舞台にした「さくらやまトレイル」は、山麓の八塩温泉を起点とし、標高約597メートルの桜山山頂を目指す、片道約6kmのコースです。温泉から山頂へ向かうこの道のりは、かつては生活のための道として使われ、現在ではハイキングコースとして親しまれています。針葉樹林の静けさと落葉樹の色彩が入り交じる自然豊かなこの道は、登り応えのある前半と、景色を楽しみながら歩ける平坦な後半で構成されており、トレッキング愛好家だけでなく、トレイルランナーにとっても絶好のフィールドとなっています。

この恵まれた環境を活かし、2021年のプレイベントを経て、翌年スタートしたのが、トレイルランニング大会「さくらやまトレイル」です。昨年約300名を集めたこの大会は、単なるスポーツイベントの枠に収まらない、深く、そして温かい物語を持っています。大会では15kmと26kmのコースに加え、昨年はコースを2周する52kmのレースも行われました。

今回、私はトップ選手たちの合宿に密着しました。そこで見えてきたのは、魅力的なコースを彩る地域の人々の温かいおもてなしと、その舞台を裏で支える林業の知られざる営みでした。

上正原真人選手率いる子どもたちの山岳ランニングチーム「Mountain Addicts」のメンバーと、伊勢崎市のトレイルランニング専門店「TRAILHEAD」のコミュニティのランナーの皆さんも合流して桜山を駆け巡った。

上正原真人選手率いる子どもたちの山岳ランニングチーム「Mountain Addicts」のメンバーと、伊勢崎市のトレイルランニング専門店「TRAILHEAD」のコミュニティのランナーの皆さんも合流して桜山を駆け巡った。

(写真 © 日下俊彦)

▼まずは、現地の熱気と美しい自然を捉えたVlog動画をご覧ください。

冬も走れる、パンチの効いた実践的コース

2月の三連休、さくらやまには吉野大和選手をはじめとする錚々たるトレイルランナーたちが集結していました。彼らがこの山を選ぶ理由は明確です。

「東京からも1時間半〜2時間で来れて、トレーニングに集中しやすい環境です。急登やテクニカルな下り、間に峠走もあって、バリエーション豊富でバランスが取れていますね」(村田諒選手)

関東近郊の山々が雪に閉ざされ、本格的なトレイルランニングが難しくなる冬場において、「冬でもほぼ雨が降らず、雪もなく快適に走れる」(小笠原光研選手)という気候条件は、アスリートにとって何よりの魅力です。

「ロードあり、急登ありと、いろんなトレーニング要素がギュッと詰まっていて、かなりパンチのあるコースです」(笠木肇選手)

都心からのアクセスの良さと、冬場でも実践的なトレーニングが積める環境。標高こそ高くない里山ですが、かつての生活道路や林道を繋ぎ合わせたコースは、思わず息が上がる急斜面や、足さばきが試される落ち葉のトレイル、そして景色の開けた尾根道など、地形の変化が絶え間なく続きます。この自然の不確定性こそが、ランナーの実力を容赦なく引き出し、彼らを虜にするのです。

一方で、日常的な練習拠点としてこの山を愛する吉野大和選手は、こう語ります。

「市街地からもそんなに遠くなく、手軽にサクッと行けて自分のライフスタイルに合っています。それに、地元だからこそみんなで作り上げている大会とか、トレランコースというのが、自分はすごい好きですね」

こうした魅力的なコースと、吉野選手が語るような「みんなで作り上げる」温かい空気感を舞台に、大会を大きく支えているのが、地域の人々による温かいエコシステムです。

SPA TO SUMMIT 〜身の丈に合った地域エコシステム〜

さくらやまトレイルのコンセプトは「SPA TO SUMMIT(温泉から山頂へ)」。過酷な山道を走り抜けた後は、地元・八塩温泉の湯で疲れた体を芯から癒します。太古の海水が閉じ込められた岩塩層から湧き出るこの温泉は、塩分濃度が高く、冷えた体をじんわりと温めてくれます。

大会の発着点となる鬼石観光ホテルの堀口社長(八塩温泉組合長)は、大会の規模についてこう語ります。

「秋の大会は、この会場を出発する今の規模(約300人)が限度かなと思っています。無理に交通規制をかけるのではなく、今の規模感を守りながら、場合によっては春の桜の時期にも同じ規模で大会ができればと考えています」

参加人数を増やすことはあえて目的としないで、地域のインフラや住民に過度な負担をかけない適正規模を維持します。そうすることで、質の高いローカルなおもてなしが可能になるのです。地元の果樹園で採れた規格外の果実を活かしたリンゴジュースやみかんジュース。そして、かつて養蚕農家が忙しい合間に作っていた歴史から生まれ、農林水産省の郷土料理にも認定された「とっちゃなげ汁(すいとん)」。

大会当日に開かれるマルシェでは地元の特産品が並び、収穫期を迎える「みかん狩り」もランナーやその家族に大人気です。スポーツイベントと地元の観光業などの産業が無理なく結びつき、小規模ながらも確かな経済循環(エコシステム)を生み出しています。

大会の舞台を陰で支える、林業とトレイルの知られざる共生

ランナーたちが「走りやすい」「バリエーション豊かだ」と絶賛するこのトレイルですが、実は決して自然にそこにあったものではありません。

「ランナーから、川にかけた階段が老朽化して危ないと聞いてね。地権者や前橋工科大学、森林組合と協力して、新しい道を切り拓いたんです」

そう語るのは、地元の林業関係者であり、コース整備の中心を担う新井規之さん(NPO桜山観光道路雲尾線保全会事務局)です。彼らが切り拓いた新しい林道には、木漏れ日が美しく差し込み、ランナーたちを優しく迎え入れます。

日本の山林は今、所有者の高齢化や土地の細分化により、手入れが行き届かず荒廃の危機にあります。日が当たらなくなった木は細く曲がり、やがて雪の重みで倒木となって山を塞いでしまいます。これを防ぐためには適切な「間伐」が不可欠ですが、莫大な労力がかかる一方で、そこから得られる収益は微々たるものだといいます。

「この間伐をするのに10年かかりました。トレランをやったからといって、山林の地権者にお金が入るわけじゃない。だから、なんで俺がこんなことをやってるのか、みんな分からないんだよね」

新井さんは笑いながら、しかし真剣な眼差しでこう続けました。

「でも、俺が生きている間にこの集落の人たちはみんな亡くなってしまう。ご先祖様の墓もある。どうやって山を守っていくかと考えたら、もうこれ(間伐とトレイルの活用)しかないんだよね。道を整備して、そこをトレイルランナーが走ってくれれば、ずっとこの道を通れるわけじゃないですか」

間伐を進め、光を入れることで森を健康にする。そこにできた道をランナーが走れば、道が踏み固められ維持されるのです。華やかな大会の裏側には、利益度外視で山を守ろうとする人々の尽力があり、走る人が増えることが、結果的に山を保全する力に変わっていくのです。

100年の冬桜が見守る、グローバルな未来

今から約100年前、日露戦争の戦勝記念として村人たちが総出で植えたという桜山の冬桜。その後、大火で9割の桜を失う悲劇や、根の病気という幾多の危機を乗り越え、地域の人々の執念によって守り継がれてきたこの冬桜の魅力は、今や国境を越えようとしています。

現在、さくらやまトレイルは、スポーツツーリズムが急成長しているタイ市場からのインバウンド誘客プロジェクトを本格化させています。年間12兆円規模とも言われる同国の市場に向け、「冬に見られる桜」と「温泉・郷土料理」、そして「パンチのある短距離トレイル」というパッケージは、海外ランナーにとって唯一無二の魅力となります。

かつて生活の糧を得るための林業の道だった場所は、今、トップアスリートや地元の子どもたちのチームが笑顔で駆け抜けるトレイルへと進化しました。そしてまもなく、言葉の壁を越えて世界中のランナーを迎え入れる道になろうとしています。

さくらやまトレイルは、ただ山を走るだけのイベントではありません。先人たちが守り育ててきた山と、温かい地域のおもてなしを、次なる100年へ、そして世界へと繋いでいくための、希望のプロジェクトです。

今年2026年も11月15日日曜日にトレイルランニング大会「さくらやまトレイル」が開催されます。エントリーなどの詳細は大会のホームページInstagramなどのSNSアカウントをフォローしてご確認ください。

(協力・藤岡さくらやま農泊推進協議会)

Sponsored link