月曜日の話だが、中野サンプラザホールで行われた小沢健二「ひふみよ」の初日に行ってきた。この春に突然13年ぶりのライブを行うことが発表され、ファンを驚かせた。なにせ最新のアルバムは2006年の「毎日の環境学」であり、ポップな音楽とあくまで甘く洒脱な歌詞の「渋谷系」で度肝を抜かれたアルバム「Life」は1994年のことだったのだ。果たしてどのようなライブとなるのか。抽選となったチケット購入も無事に当たった。
詳細は書かないが、演奏された楽曲の大半は「Life」とその後のシングル曲で「刹那」に収録されているもの。その後の「Eclectic」などのやや実験的な曲は入っていない。ということはすなわち、私も含めた観客の皆さんが20代だった頃に大盛り上がりになるのは必定であり、どの曲も大合唱大会。ドアノックでは右左に腰を振るし、ブギーバックではラップを口ずさむ。ふてくされてばかりだったのは10代の頃ではなく20代の頃も、であり、分別もついて歳を取った結果は大変なことになっている。小沢の歌声と詞は今もどこまでも甘く軽快で知的だ。何をいいたいかというと、オールドファンの琴線をかき鳴らすことでは裏切られることは全くなかったということだ。
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しかし、無論いくつかのはっきりした志向も感じられた。
ライブ中に挿入される小沢によるエッセイの朗読。その内容は世界の国々を旅して得た相対化された価値観があり、それで日本をみてみればおかしなことがたくさんあったり、それで音楽のことや人の幸せのことや笑いという感情のことなどを考えてみれば新しい含意がみえてくる、というもの。そのロジック自体はモーリー・ロバートソンがJWAVEで語っていたものに似て特に珍しいものではなく、それこそ10代20代の頃に飽きることなく語り合っていた話のようにも思える。
だからといって小沢は旅する国際人として祖国を突き放すのではなく、むしろ日本を愛想としているようにも思えた。かつて英語で歌っていた一部の歌詞を日本語に置き換え、演奏のはじまりは「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぅ」といった具合。
また演奏中に挿入される画像の多くは自然の風物の画像であり、環境問題、環境活動への関心も伺われた。さらに歌詞はこのライブで初めて披露される曲を中心に非常に観念的でわかりにくくなっている気がした。
そんなわけで、あまり難しいことは考えずにヒットメドレーを楽しむこともできれば、様々な裏読みをして含意を読み解くこともできる、そんなツアーだった。
この日、アンコールも終わったあと、小沢は急に涙声になり人ごとだけいわせてほしいと前置きして「岡崎京子がきています」といってステージをあとにした。
その背景は次のようなものだったらしい。なるほど。
小沢健二のライブに車椅子の岡崎京子が……。王子様の涙とファンの「おかえり」が響いた一夜