[people] 後半です:若きミニマリスト・ランナーの実践と思想・トニーことアントン・クルピチカの紹介記事(下)

先日紹介した、アメリカのトレイルランナー、トニーことアントン・クルピチカについて2007年に書かれた紹介記事。先日紹介した前半に続いて後半を紹介します。

[people] 若きミニマリスト・ランナーの実践と思想・トニーことアントン・クルピチカの紹介記事(上)

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この記事でトニーはまだ23歳か24歳。しかし、彼のランニングと生き方について考え方がどのように生まれたのかがわかる貴重な記事。ミニマルなスタイルに興味を持つ人だけでなく、トレイルランニングの自然の中を走る、という側面に魅力を感じる人には是非ご一読いただきたい。

Running Times Magazine Tarzan of the Plains

Running Times Magazine: Tarzan of the Plains

平原のターザン:トニー・クルピチカ、トレイルランニングの自然児(抄訳)
アダム・W・チェイス(後半)

(前半はこちらからご覧ください。)

長く走る

普通、若者はウルトラマラソンに興味を持たないが、クルピチカはそういう「普通の」若者とは違う。彼によれば、人間の身体がそれほど長く走ることができる能力に好奇心がわいたのだという。高校生の頃、彼にとって、アン・トラソン(女性トレイルランナー、80年代末からウェスタン・ステイツで14回優勝)、スコット・ジュレック、マット・カーペンターの3人がお気に入りのランナーだった。「スコットジュレックが初めてウェスタン・ステイツで24歳か何かで優勝したとき、スコットは20歳だったか22歳だったかで初めての50マイルレースを走ったという記事を読んだんだ。僕もその歳までには最初の50マイルレースを走ろうと思った。スコットは間違いなく僕にそんなやる気を起こさせたよ。」

クルピチカは17時間を走り続けることがどれほど困難なのだろうかと考えてみた。その頃、彼は3時間ほどしか続けて走ったことがなかった。彼によれば、それ以来この好奇心と走ることの喜びと楽しみが、ランニングの一番の動機付けとなっているという。

2004年の夏の間、彼はアリゾナ州フラッグスタッフにある米国海軍天文台で天体物理学の研究をしながら、周囲のトレイルを探索するために何度か30マイルを走った。最後の週には、一週間でどれくらい走ることができるか試してみようと考えた。結局一週間で183マイルを走り、この経験は長い距離を走ることへの興味を駆り立てることになった。

翌年春、ちょっとした足首のケガでカーブした路面を走れなくなり、彼は大学の陸上部を退部し、自分で週に200マイルを走り始めた。毎日30マイルや40マイルを走ったのだが、7月の中ごろには再びケガが痛み始めて走れなくなってしまった。

2006年の夏が近づく頃、彼はPikes Peak Marathon(コロラド州で毎年8月に行われる山岳マラソン)に出ようと考えていた。しかし、Leadvilleのトレイルマラソン(注・Leadvilleでは100マイルレース以外にも距離の異なる複数のレースが開催される)やHigh Mountain Institute 50kで優勝すると、誰もが彼が次は100マイルレースに出るのだろうと考えるようになった。コロラド・スプリングスにあるランニング・ショップのマネージャー、ジョン・オニールは彼に何度も100マイルレースにエントリーしたかと尋ねたという。「ジョンにはそのたびに『馬鹿なことをいわないでくれよ』といっていたんだ。」と彼は振り返る。

クルピチカは毎年人気でエントリーするにも競争率が高いPikes Peak Marathonに応募したが、電話を持っておらず、電子メールアドレスも具合がよくなかったせいで、大会本部は彼に出場できることをしばらく伝えることができずにいた。クルピチカはきっと出場権を得られなかったのだと考え、「なんだ、それなら100マイルに出てやる。」と心を決めたのだ。

レースの3週間前、彼はLeadvilleへと車で向かい、コースを確認してLeadvilleからWinfieldまでのコース前半部を試走した。そのタイムはマット・カーペンターが2005年に大会新記録を出したときのペースよりも数分早かったという。

「試走は時間でみても距離でみても今までで一番長いランニングだったけれど、これはいけるんじゃないかと思ったんだ。それで、200ドルちょっとの参加料と申込書を送ったんだ。Pikes Peak Marathonの大会本部からやっと出場できると聞いたのはそれから数日経った後だったんだけど、200ドルを無駄にしたくなかったからそのまま100マイルに出ることにしたんだ。それが結果としてはよかったんだね。」と彼は振り返る。

走ることが幸せ

「アントンは若い世代のランナーの特徴を体現しているよ。」とLa Sportivaのマウンテン・ランニング・チームのマネージャー、バズ・バレルは語る。「彼らは自分の中の不安や痛みを和らげるために走るんじゃないんだ。我慢したり、数字を弄り回したり、心の中で計算をしたりということはしない。苦労することが尊いことだとか、痛みによって人として成長するとは考えない。彼らはすでに立派に成長しているし、頭を上げて自由を謳歌することの現れとして走るんだ。アントンのランニング・フォームをみれば力が入っていないのがわかるし、並んで走れば自分まで気分がよくなるよ。」

クルピチカは「その瞬間」を生きることを目指している。純粋で、わずらわしいことや面倒なことはできるだけしない生き方だ。彼にとって、山や森を走る行為は生活を自分の存在が実感できるところまで落とし込むという効果がある。そこでは、自然環境と自分の存在が親密に一体化する。心の中が澄み渡り、効率的なランニングによって目指すことがはっきりとする。

こうしたことが、彼が毎朝起きてトレイルに行くのがとても楽しみだという一番の理由だ。「フカフカした松葉で敷き詰められたシングルトラックを駆け下りるときでも、森林限界へとジグザグのトレイルを上り詰めるときでも、時々楽々とそうできると感じるこことがあるんだ。」「どんなふうに山を駆け上っていき、カールに飛び込むか、峠を飛び越えるか。広大な風景を前に自分がちっぽけなものに思えて謙虚な気持ちになる。そして下り始めると、髪をなびかせる風やシューズの中の砂利、太ももが張る感覚、顔に当たる枝。ついには完全に燃え尽きてシューズを抜いてしゃがみ込む。ただ休むだけだ。ランニングによって人生の何に集中すべきかに敏感になり、感情は強まる。ランニングをすることにこれ以上の理由があるかい?」

クルピチカの生活の中でランニングは非常に大きな部分を占めており、ある意味では生活の全てを費やしているともいえる。「客観的に考えれば、たぶん僕は生活の中であまりに多くをランニングに費やしているといわざるを得ないだろうね。でも、世の中を見ればただゆらゆらと周囲にゆられて生きている人が多すぎるし、『家族のためだから』といって金儲けに気を取られていたり、あるいはのめりこんでいたりする人が多いよ。無限に経済は成長するなんてありえない幻想に過ぎないのに、少しでもそれが続くようにしているだけの仕組みがあるに過ぎないのに。だから『ランニングに打ち込みすぎている』、といっても注釈つきの話だよ。ランニングに打ち込みすぎることは必ずしも悪いことじゃない。」

クルピチカはランニングと個人的な人間関係のバランスを取ろうとしているという。例えば、コロラド・カレッジの陸上部の4年生で、ガールフレンドのジェンクスとの関係だ。

彼女は「トニーは私が今まで出会った中で間違いなく本物の人間よ」という。「時々、彼のぶっきらぼうな態度が気に障ることもあるけど、とても率直な人なの。彼が何かをほめるときは本当に心からほめているし、何かに対する意見もよく理解できる。トニーが普通じゃない距離を走って、その結果痛みに苦しんでいるのは、忍耐力のテストをしているのね。でも、トニーは誰も足を踏み入れたことがないような山の中のトレイルで、一歩一歩前へ進むことを本当に愛しているし、そんなトニーがとても好きなの。」

自然の中で、自然に走る

2005年に物理学と哲学を専攻、数学を副専攻にしてコロラド・カレッジを卒業すると、クルピチカは地質学の学位を得るためにもう一年大学に通った。この頃から、彼は妙なところで寝泊りしていると評判になった。

5年目の学生生活の間、彼は生活費を切り詰め、家賃も払いたくなかったので、最初の学期の間中、友人のジュリアン・ボッグスの寮のベッドの下で寝泊りした。二人とも大した荷物や道具を持たなかったので、ボッグスはクルピチカのために寝るスペースを空けることができたのだ。次の学期、クルピチカは別の寮に寝床を移した。今度の寝床はそれまでに比べれば幾分豪華で、友人のキラン・ムールティのクロゼットの中だ。カードキーを滑らせる仕組みではなく、数字をセットしてカギをかけるしくみだったので、寮には自由に出入りすることができた。「クローゼットはウォークインじゃなくて傾いた天井がついていたけれど、ドアはあったし、斜めに寝れば身体を完全に伸ばすことができたんだ。」コロラド・スプリングスにいたときはもっと普通のシングルベットのアパートに住んだが、家具は何もなしだ。

昨年、クルピチカは大学の作文講座のチューターを務めた。「10ヶ月で2万ドルと健康保険もついていたんだ。悪くない仕事で、もう一年ジョセリンとも一緒に過ごすことができたしね。」この年、彼はほとんどの時間をランニングに費やした。現在、彼は大学院生であり、ボーズマンにあるモンタナ州立大学のリサーチ・アシスタントとして、地質学の修士号を得るために勉強している。「ただ単にもっと学びたいだけだよ」と彼はいい、特に何かのキャリアパスを考えているわけではないという。

バレルはクルピチカについて、「とても知的で、根っからのランナーで、よく考えた上で質素で本質的なものにそぎ落とした生活をしている。彼にその暮らしぶりについて尋ねてみても、恥ずかしがるでも不平をいうでもなく、非常に思慮深く、明晰で、自分について自覚した人物で、話していて気持ちがいいことに気付くんだよ。」という。

クルピチカは電話を持たず、テクノロジーは人生の問題をあまり解決しないと信じている。「テクノロジーで問題を解決しようとすることで自然環境を破壊してしまうことを我々は知らずにいるんだ。テクノロジーによってひどすぎて手を触れることもできないような生活習慣を実現するくらいなら、もっと自然に従って生きるべきだと思う。無論、どれだけそうしようと思うか、実際にそうできるか次第ではあるけどね。もっと「原始的な」生活に戻れば、テクノロジーに煩わされることもなくなる。弊害が除かれるというだけでなく、もっと幸せになれるだろうし、個人として充実した生活がおくれると思うよ。」

クルピチカは、ネブラスカ育ちであることやトウモロコシを主食にして育ったこととは関係がないとことわりつつ、環境問題については次のように語る。「エタノールは全く解決策にならないよ。電気とガスのハイブリッドも解決策じゃない。自分たちが乗っているその車に乗らないようにするのが解決策だよ。もちろん、バランスや妥協は必要だろうし、ライフスタイルをどれくらい変えるかは人によってちがってくるだろうけどね。」

「僕は別にガンジーになってコメだけを食べて自分の衣服は自分で紡いで生きたいと望んでいるわけじゃないんだ。でも今の文明や生活様式はひどいもので、僕らは少しの間でも一歩引いて考えてみるべきだよ。こういう生き方は自然にダメージを与えるのに値するのか?ある目的を達成するために他のいいやり方がないか考えられないか?」

「人間は特定の生活に慣れてしまうと、氷河が消えてなくなったり、野生の熊が絶滅したりするまで、そんな生活に疑問を抱いて立ち止まることができないんだ。自然環境に価値を見出し、自然を守ろうという倫理感を心に宿すけれど、ここはアメリカで資本主義は神に与えられた権利だから稼げるだけ稼いで幸せになれると思っている。でも、あらゆるものを手に入れて踊り騒ぎ、生存をかけて闘っているに過ぎない自分たちを賞賛するのは道徳的に間違っているよ。」

そんなことを考えながらも、クルピチカは人から自分だけ正義ぶっていると思われるかもしれないとわかっている。しかしそれでもいいのだという。彼はレースで優勝して、世間に知られることのメリットは、自分の声が人々に届くことだと自覚している。人々に自分たちがどんな生活を送っているか、それをどのように変えることができるか、ランニングのパフォーマンスを上げるために何ができるかできないか、考えるきっかけとなる。彼は自分がレースに出ることでどこかで誰かがこう考えてくれればいいのだという。「なんと、彼は全く新しい生き方をしている、古い考え方にはとらわれていない。たぶん私も新しい、違うやり方を試してみるべきなんだ。自分が考えているよりももっと多くのことができるのではないか、違う生き方ができるのではないか」、と。

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