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先週末の5月18日(金)にスタートしたUTMFを走った当方のレースレポート、後半です。前半はこちら。
[report] ほろ苦い展開と100マイルレースの魅力・UTMF/Ultra-Trail Mt.Fuji 2012を完走(1/2) | Dogs or Caravan.com
(朝焼けの富士山を右手に見ながら、いいペースで進む)
朝のSTYスタートが近づいているにもかかわらず、先行する仲間の様子などを教えてくれたSさんと握手をしてから、A7富士山こどもの国をスタート。しばらくは走りやすい林道が続く。やがてだんだん空が明るくなり、右手をみると赤く照らし出された富士山の姿が美しい。
明るくなり、気温も少しずつ上がってくると少しほっとする。前後のランナーはまばらで朝の林道を走るうちに安定したペースで走れるような気がしてきた。途中でジャケットと長袖シャツを脱いでTシャツ姿になる。
林道はやがて曲がりくねったトレイルになり、送電線の下に入る。ここからが送電線に沿って「まっすぐ」進むトレイルなのだが、想像とはかなり違っていた。送電線の間に立つ鉄塔は少し小高いところに立てられているのでそこに向けて登る。鉄塔の左側にまわるとしばらくなだらかな下りのトレイル、というよりも里山の雰囲気。散歩や仕事で歩かれている地元の方を何人かお見かけした。やがて急にえぐれた沢のようなところを渡るが、鉄板などの資材で作られた橋があるところもあれば、そうでない所もある。沢の底から登り返す。これの繰り返し。似たようなコースの連続に同じところを何度も通っているような感覚に陥る。
北山の給水のみのポイントW1でコップ一杯だけ水をいただき、ジェルを飲み込んですぐに出発。しばらくすると人影が見える。無限の強さのまらそんもんくさん、Hosakaさん、キャットさん、そして小川比登美さん。強い人たちばかりのところへ追いつき、しばらく前後しながら進むが、まだまだ余力がありそうな皆さんに比べれば、当方は虫の息。送電線の下を離れてロードに出たところで、走っていく皆さんの後ろで当方は歩いてしまう。脚の疲労に加えて胃の具合もなんだか変で、ジェルを飲み込もうとすると戻しそうになるのを無理やり飲み込むような具合。
キャットさんと一緒にA8西富士中学校についたのは土曜日の朝7:15。ここからの天子山地をこの状態で入って最後までたどり着ける自信がない。まだ朝は早く、少し休んでも明るいうちに本栖湖につけるはず。そう考えて西富士中学校の体育館で少し仮眠しようと並べてあるマットで横になったら、なぜか濡れタオルをおばちゃんに渡されて、足をマッサージされることに。このコーナーはそういうケアをしてもらえるコーナーだったらしい。されるがままになっていると、これまたスタミナ無限大の強いランナーにしてお医者さんのT先生がいらっしゃったのでしばしここまでの経過をご報告。今回は医療スタッフをされていたが、レースを走っておられたらどんなだっただろうか。
結局小一時間ほど横になったところで起き、マッサージをしてくださった皆さんにお礼をいって外のエイドステーションで補給開始。持っていた胃腸薬を飲んだ。ここでもオレンジ、バナナなどで補給。富士宮焼きそばも食べることができた。ここで、Ryotaroさん、Hagiさん、Watanabeさんの三人組が休憩していた。昨年のUTMBのサロモンチームのように3人でチームになり、ペースを計算しながらここまでやってきたのだという。その後の天子山地でも足取りは確かであっさりと前を譲ることになった。
8:40ごろA8西富士中学校を出発。出発前には装備チェックも行われた。
(天子山地、あわてず淡々と)
天子山地へと向かう途中も朝からたくさんのスタッフの方々が誘導してくださっている。付近の民家の皆さんも声をかけてくださる。天気もいい。少し休んだものの脚の重さには変わりなく、ケガこそないがIT bandは張ってきており、足首は少し腫れてきている。胃の具合もすっきりしない感じで相変わらず、戻しそうになりながらジェルを飲み込んでいるが、ジェルを取るペースが落ちている。
天子山地はトレッキングポールを使い、ゆっくりと登っていく。調子がよければもう少し早いリズムでいけるはずだが、本栖湖までの道のりの長さを思うと慎重になる。いや、慎重になるというのは言い訳で単に怠けただけかもしれない。さすがに後ろから駆け上がってくる人は少ないが、普通に歩いて登ってくるランナーにも前を譲ることが多くなった。
天子が岳まで上り詰めてからは鋭く切れ落ちた箇所の多い稜線を行くのだが、一人で歩いているとアップダウンの深さに次第にため息がもれてくる。先月の試走で同じコースを通ったのだが、皆で話しながらだったせいかここまでアップダウンがあるとは感じなかった。無数のアップダウンに上野原トレイルレースのことを思い出した。一応主要なピークの標高をメモしているのだが、自分がどの当たりにいるのかわからなくなる。
この山の中でも主要なピークや峠、危険箇所にはスタッフの方がおられて注意を促してくれる。途中からは向こうから登ってくるハイカーの方ともすれ違う。
熊森山の手前で再び滝が原の大田監督に遭遇。杓子山に続いてこんな山深いところでのお仕事に頭が下がる。熊森山に用意されていたペットボトルの水を運び上げてくださったらしい。その熊森山でペットボトルを受け取り、しばし休憩。ジェルをとりながら水を飲み干してさらに先へ。
地蔵峠からは毛無山への急な登りが始まる。ペースは遅いがただ立ち止まらないことだけを決めて前へ。高度が上がってくると少し霧が出て風が強まり肌寒くなってくる。
この頃、後ろからすごい勢いでトレッキングポールを使って登ってくる人の気配が。STYでトップを走る宮原徹さんだ。思わず観客モードに切り替わって目の前を登っていく宮原さんを応援。宮原さんも一瞬笑顔になったように思えたが、ぐいぐい登っていく。この後も次第にSTYの上位選手に追い抜かれていくが、トレッキングポールを持っていたのは宮原さんだけだったように思う。
程なく毛無山の頂上に到着、一瞬霧が晴れ、雲海に山容をのぞかせる大きな富士山が見えた。ここで長袖シャツを取り出して着込む。雨が岳を経由して端足峠へ下りていくが時折雨が降ってくる。時刻は16時過ぎだったろうか。明るいうちには本栖湖へ行きたい。
長い下りは泥で滑りやすく、熊笹の根がトラップになって足を引っ掛けやすく、下りるのに気を使う。これを標高差で500mも下りるのは息が詰まる。
端足峠に到着。そこには富士山が描かれた顔出しを持った男性が。ああ、この方が六甲キャノンボールの仕掛け人、Roll OutのKatoさんか!疲れていてきちんとお話はできなかったが、写真を撮ってくれるとおっしゃるので、顔出しに収まって記念写真を取っていただいた。来年の2月は六甲キャノンボールにも参戦したいものだ。
<写真はKATOさん>
続く竜ヶ岳への登りは楽ではないが、端足峠から見上げた時に感じるほど絶望的なものでもない。ただ、夕闇が迫る山頂付近は濃い霧と強い風で眺望は全くなし。
竜ヶ岳からの下りも雨が岳からと同様に足元の悪いところが多く、時折転びながら下りる。脚が元気ならぐいぐいはねるように下りていけるところだが、今日は無理せず慎重に。途中でSTY女子トップのフェルナンダ・マシェールが猛スピードで下りてくる。道を譲ったら「アリガト」と応えてくれた。
さらに下りると、OSJの滝川さん、Saekiさん、Takahashiさん、そしてHoshinoさんの声援が聞こえてきた。華麗に駆け下りて行きたいところだが、とぼとぼと進むのが精一杯。天子山地のきつさに文句を垂れ、ジェルブラストをもらったお礼をいい、滝川さんに脚に消炎スプレーをかけてもらってさらに下へ。
すると今度はKoshidaさん。レース応援のために駆けつけてくれたのだという。再びコースについて悪態をつき、写真を撮ってもらいながら、本栖湖スポーツセンターまで一緒に走る。
<写真はKoshidaさん>
日も落ちようとする本栖湖に到着。A9本栖湖スポーツセンターには土曜日の18:08に到着。A8西富士中学校から実に10時間53分。ちょっと時間がかかりすぎだ。
A9本栖湖スポーツセンターにも応援やサポートに来られているたくさんのランナー仲間がいた。励まされ、少し気分も高揚してくるが、胃のほうは未だしっかりしない感じ。身体がふらふらする。食堂で食事ができるというので、欲張って鹿カレー、かっぱ飯、きのこ汁をいただいたが、いつものように食は進まない。きのこ汁と鹿カレーは大体食べられたが、かっぱ飯はきゅうりをかじるのが精一杯。申し訳ないが残してしまった。30分近く長居してしまってからいよいよ最後の30キロに向けて出発。
(最後の30キロ、こんなに長かったか?そしてフィニッシュ)
すっかり暗くなり、再びヘッドランプを装着して出発。最初のうちは寒いが、樹海に入る頃には温まってくる。鹿カレーが効いたのか、低血糖でふらふらする感じもなくなり、以降はいいリズムで走ることができた(もっとも実際にはゆっくりしたジョギング程度の早さだっただろう)。
樹海トレイルは何度も走っているが、夜は初めて。いつもとはぜんぜん違う雰囲気だ。遠くに見えるコースマーカーを確認しながら進む。時折STYのランナーが猛スピードで駆け抜けていく。
赤池交差点から鳴沢までのロードは周囲に明かりもなく、暗闇の中をひたすら進む。前後に人も少ない。一体どこまで進むのか。少し不安になりながら大きいとおりを右折すると鳴沢の給水エイドA10には20:34に到着。エナジードリンクを一缶いただいてカフェイン補給をしてから紅葉台へ。
ここから先も長い長い林道。五湖台から河口湖を見下ろすと下りのはずだが、細かいアップダウンがある。湖畔に下りてからもまだ3キロくらいはあるが、意外とこの区間も走れた。フィニッシュ直前には今回9位というとんでもない好成績でフィニッシュされていたIsoさんご夫妻がおられた。フィニッシュゲートが近づいてきて土曜日の23:02:50、32時間2分50秒で静かなフィニッシュを迎えることができた。UTMF男子で87番目のフィニッシュだった。
(フィニッシュ後)
夜の大池公園は人も多くないが、前後して走っていたランナーや応援やサポートの方からフィニッシュを祝福される。何か食べようと吉田うどんをいただいたが、まだ食欲は戻ってきておらず、ほとんど食べられない。温泉寺で身体を温めた後、予定通り大池公園へ戻り、シュラフとマット、ビビィサックのシンプルなシステムでさかいやさんのテントの近くで仮眠。あまり快適なシステムではないはずだがよく眠れ、翌朝からの続くランナーの出迎えに備えることができた。
翌朝、Sky High Mountain WorksのタクさんをはじめMRHCの皆さんとも会うことができた。Beyondさんと握手。
<写真はタクさん>
(第一回目から質の高い運営、真摯に取り組んだランナー)
3日間にもわたるビッグイベントの初回でありながら、Ultra-Trail Mt. Fujiの運営の丁寧さと細かい配慮には頭が下がる。コース上で誘導してくださるスタッフの方の数は数え切れないほど。エイドの補給も最後まで十分であったようだし、ランナーとしては安心して走ることができた。
そしてこのビッグレースに参加者は高い完走率で応えた。天候がよかったことなどを考慮しても、ほとんどのランナーにとって100マイルという長さは未経験であることを考えれば、7割という完走率は大変なことだと思う。当方は完走こそに意味があると考えるわけでない。それでもこれほど多くのランナーが100マイルという長い苦しい旅を完了したことは日本のトレイルランニングの新しい時代の始まりを予感させる。
関係者の皆さん、一緒に走った皆さん、本当にありがとうございました。
(私自身の振り返り)
自分自身については、やはり、100マイルというのは難しいマインドゲームの側面を持っている、と痛感した。100マイルレースよりも長いレースはあるが、100マイルというフォーマットにやはり魅力を感じるのは、基本的に急速や睡眠をとらずに人はどこまで行動できるかを試す、という過酷さがあるからだと思う。この過酷さは、自分の身体に無理な負荷をかけたことのコストを必ず要求してくる。
具体的にはタイムや順位を意識しすぎて無理なペースで加速したりすれば、確実に疲労や胃腸のトラブルというコストを払うことになる。「自分のペースで走る」ということの積極的な意味がここにある。タイムにこだわって厳しいトレーニングや準備を進めてきたとしても、レースが始まったらそれはすっかり忘れて(忘れたふりをして)自分がどこまでなら動けるか、走れるかを正直に探ることが必要だ。そんな学びを次のチャンスで生かしていきたい。