6月23日(土)の午前5時にスタートした100マイルのトレイルランニングレース、Western States Endurance Run(WS100)。当方は日付も変わった24日(日)午前0時6分に79.8マイル(128.4キロ)地点のGreen Gateに到着。精魂尽きて、歩くしかないと思っていたところに、思いがけずShyamalさんがペーサーとしてついてくれることに。残りの20マイルに向けて出発した。
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(最初こそ元気だが次第にペースが落ちる)
最初のうちこそ、Shyamalに後ろからついてもらってペースを維持しようとするが、とても走り続けることができない。ここからのコースは、昨年三月に走ったWay Too Cool 50kのコースと重なっていて一度は走ったことがある。比較的走りやすく、遠くに山が見えて風景がよかった気がするが、今回は夜中。漆黒の闇の中のトレイルをグルグルと進む。
歩きが多くなると後ろから追いつかれて抜かれることになる。その度に、ペーサーをしてくれているShyamalに申し訳なくなる。Shyamalに前に出てもらって当方は後ろをついて行く。時々走るのだが、足が痛む。左足のかかとの前・外側あたりが踏み込むたびにきしむように痛む。さらに左の脛外側も強烈に張っていて痛む。怪我や走れなくなるほどの故障ではないが、一歩一歩が辛い。この痛みに耐えて走り続けてこそ全力で100マイルに挑んだといえるのだろうか。それでも、わずかの間でも走るとShyamalは、よくやったと褒めてくれる。
ペーサーと一緒に走るのは初めての経験だが、ランナーのモチベーションを高めるには重要な存在だとわかった。ランナーに力があれば、後ろにぴったりついてもらうだけで、自然とペースを落とさないようにしようという意識が働く。前を走ってもらうのも、おいていかれないように追い込もうという意識が働く。
しかし、今の自分には積極的に走り続けようという意欲が薄れてしまっていた。「もし24時間以内のフィニッシュを目指すなら、できる限り頑張るから言ってほしい」、とShyamal。そうはいってもこれから遅れを取り戻すにしても24時間は難しい。「特定の時間にはこだわらないけれど、力を振り絞ってプッシュした、といえるようにはしたい」と応える当方。
5.4マイルを進んで、85.2マイル(137.1キロ)地点のAuburn Lake Trailのエイドには1:33amに到着。24時間完走ペースの0:50amとの差は43分。ここで体重を測るが、腕に巻いたテープに書かれたレース前の体重として書かれた手書きの数字をスタッフが139lbsではなく134lbsと読んだため、腎臓の昨日が低下して水分が排出できなくなっているのではないか、と言い始めた。数字の読みの話をすると、スタッフは確かめるから、といってしばらく待たされる。
ALTから次のエイド、Brown’s Barまでも小さなアップダウンがあるが走れるトレイル。しかし当方は走れない。Shyamalに前に行ってもらい、当方は後ろから追う。しかし気が急くばかりで、何度もつま先を石に引っ掛ける。
途中で、Shyamalとはいろいろな話をした。日本に住むご両親を訪ねて日本に来た話、東京マラソンを走った話、当方が日本で出たレースのこと。東京からトレイルを走ろうと思えば電車で1時間はかけないとトレイルに入れない、と話すと驚いていた。そんなに時間がかかるのにどうやって登りや下りのトレーニングをするんだ、という。
だんだん足の痛みが辛くなってくる。自ずとペースがおちる。長い5マイルを進むと、やがてローリングストーンズの曲が聞こえてくる。エイドの手前から電飾。89.9マイル(144.7キロ)地点のBrown’s Barのエイドは派手だが、クルーは入れず人は多くない。残り10マイル。到着したのは3:10am。24時間完走ペースの2:05amから65分。必死で補給するが、あまり体に入らない。
Brown’s Barからは川の近くまで一旦下って行く。Shyamalは、明るい時にくるとここからの川の眺めは素晴らしいんだけど、という。朦朧としながら今度は登り。登り切ると、草原のようなところに出て、先に車道とエイドの光がみえる。UnbreakableでGeoffにトップを奪われたTonyがすごい勢いで駆け下りていくあの草原だ。
(日が登り、最後の力を振り絞る)
舗装路を渡った先にあるのが93.5マイル(150.5キロ)地点のHighway 49のエイドだ。4:31am到着。24時間完走ペースの3:10amから81分。ここで再びサブリナさん。このあたり、疲労もピークで何を話したか定かでない。エイドでは朝食メニューでソーセージを焼いていた気がする。
Highway 49から少し登ると見晴らしのいい草原が広がっている。空が少しずつ明るくなってきた。ああ、明るくなるまでにフィニッシュすることはできなかった。
だが、明るくなったことで少しモチベーションが上がってきた。ダウンヒルを走り始める。前にいるランナーを2人くらい抜いて、次のエイドのNo Hands Bridgeまで走り続けた。これにはShyamalも驚いていた。
96.7マイル(155.8キロ)のNo Hands Bridgeのエイドの手前から、その名の通りの橋を渡るあたりまで、朝の風景が美しい。アメリカン川の渓谷、それを囲む稜線が朝焼けの空に浮かんでいる。Shyamalは何を思ったか、「Western Statesのコースのスタートとフィニッシュを逆にしたらどうだろうか」と聞いてきた。「そりゃあ、100マイルの最後に高い山を登ることになって大変だろうね、でも誰かはやってみたんじゃないかな」と応える当方。
No Hands Bridgeを渡った先は再び登り。走れないが止まらないで歩く。残り1マイルのエイドのあるRobie Pointが近づくと、”Congratulations!” と声援を送ってくれる人たちがいる。笑顔で応えながら、とうとうRobie Pointに到着。ここからは舗装路、住宅街を通っていく。ゆっくりだがShyamalと一緒に走る。空は快晴、これ以上ない爽やかな朝だ。レース前にご近所のおじいさんが教えてくれた、Mile 99 partyの皆さんもいた。
フィニッシュ地点のAuburnのPlacer High Schoolのトラックに飛び込み、いよいよフィニッシュ。午前6時27分、25時間27分7秒で当方のWestern Statesへの初めての挑戦は幕を閉じた。
(写真はサブリナさん)
レース直後は体重を測り、採血される。その後、Shyamal、サブリナさんと固く握手。長かったような、短かったような。しかし、休みなくこれほど長く走り続けたこのレースは、今まで経験しない厳しさだった。
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今回のWS100の経験で言葉で整理しておきたかったことはすでに最初にまとめている。こうして時間を追って自分の経験をまとめてみて、自分の思いを再確認できた。
今回、カリフォルニアへの旅は一人だったが、WS100をフィニッシュできたのはレースの途中で出会った初対面の人たちだった。日本からやってきた好奇心の強いランナーをカリフォルニアのトレイルランニング・コミュニティの皆さんは何かと気遣い、応援してくれた。特に、サブリナさんや、Shyamalについては、出会いがなければフィニッシュまで辿りつけなかったかもしれない。そして、日本のトレイルランニング仲間の皆さんも今回の当方の旅に関心を持っていただき、様々な形で応援してくださった。長い一日を走る間も、応援の声を聞きながら、励まされながら前へと進み続けた。応援してくださった皆様に心からお礼申し上げます。
今回の旅は当方のトレイルランナーとしての経験に深く埋め込まれた。そして、最近自分のなかで考え始めていた、自分の生き方、大事にすべき価値についても確信を強める方向で作用したように思える。自然、健康、生き方の自由、コミュニティから受け取ることと与えること。そんなことを考えながら、ますますトレイルランニングの世界に関わっていきたい。
(翌日立ち寄ったレイク・タホ)