スタートとともに1周6.706m(=100マイル/24)のコースを1時間以内に走り、スタートからちょうど1時間後に再びスタートする。これを最後の一人になるまで繰り返す。バックヤードウルトラ backyard ultraはユニークな形式のウルトラマラソンで、アメリカやヨーロッパを中心に各地で大会が開かれています。今春以降COVID-19によって大会の中止が相次ぐ中で、4月にはzoomを使ってインターネット越しにお互いの様子を見ながら参加するという「クオレンティン・バックヤードウルトラ Quarantine Backyard Ultra」が開催されました。50カ国から2,300人が参加し、zoomでスタートを知らせるホイッスルがなったのを確認してそれぞれ自宅の周りやトレッドミルを6.7km走ることを繰り返すというレースは、新型コロナの時代のイベントの形として世界のランニングコミュニティで話題になりました。
この「クオレンティン・バックヤードウルトラ」が7月11日に再び開催されました。参加選手はそれぞれの「1周」(6.7km)のコースを1時間ごとに走り始めますが、10時間が経過したころには全選手の3分の2がストップ。20時間経過後に残ったのは45人、30時間後は15人、40時間後は5人まで参加者は減っていきます。そして43周目をスタートした最後に残った二人のうちの一人が上野暁生 Ueno Akioさんでした。
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二人のうちどちらかが勝負から下りればそこで勝者が決まる。一対一の勝負となってから上野さんとジョン・ノル Jon Nollさんの二人はお互い遠く離れてはいるもののzoomの画面越しに様子をうかがいながら一周、また一周と二人で8時間走り続けます。日本時間の深夜に51周目が始まり、まもなく上野さんがトレッドミルから下りたことで二人の勝負についに決着がつきました。
第二回の「クオレンティン・バックヤードウルトラ」で準優勝となった上野暁生さんは2018年のOSJ KOUMI 100で2位となり、翌年2019年にはニュージーランドで開催されたTarawera Ultramarathon 100 mileで3位になった経験を持つウルトラランナーです。上野さんに今回の「クオレンティン・バックヤードウルトラ」を振り返っていただきました。
最初から暑さとの闘い、8時間におよぶ最後の一対一のレース展開
DogsorCaravan(以下、DC):先週の「クオレンティン・バックヤードウルトラ」(以下、QBU)はお疲れ様でした。日本時間の7月11日土曜日の午後10時。そこから13日月曜日の深夜12時過ぎまで50時間、50周を走り続けたわけですね。今の体調はいかがですか?
上野暁生さん:普通のジョクはできるくらいには回復しています。筋肉の疲労というよりは、内臓のダメージが大きかったですね。
DC:普通のウルトラマラソンは決まったゴールを目指してできるだけ速く走るのが目標です。でもバックヤードウルトラは1時間に走る距離は決まっていますよね。どんな感じで走るんでしょうか。
「1周」6.7kmを走って1時間後にまたスタートを繰り返すわけですが、事前の想定では45分間で1周して15分で休憩と補給をするつもりでした。今年2月に日本初のバックヤードウルトラとして高尾で開催された「Backyard Ultra Last Samurai Standing」ではそれくらいの時間配分で最後まで走ることができたんです(注・このレースで上野さんは40周を走って準優勝)。
ところが今回のQBUは想定通りにはいかなくて、だいたい走るのに47〜48分。51分かかることもありました。走る時間が長くなるとそれだけ休む時間は短くなります。走っている途中で次の休憩で何をするか考えて、走りながらサポートクルーに準備を頼んでいました。
走るペースが落ちて、次第に休憩や仮眠に充てる時間が短くなったのは誤算でした。今回は気温が高い中で走ることになり、早くから熱中症気味。休憩では横になって仮眠をとるのは諦めて、シャワーを浴びて身体を効率的に冷やすのを優先しました。休憩の合間の仮眠といっても馬鹿にはできません。1周するたびに5分寝れたら、50時間後に50周する頃には合計して4時間以上寝ている計算ですから。今回は後半になっても熱中症が回復する兆しはなく、睡眠よりも熱中症をこれ以上悪くしないことを優先するしかありませんでした。
序盤からお腹を下しはじめたのも辛かったですね。後半は2時間おきくらいにトレッドミルをストップしてトイレに駆け込んでいるような状態でした。当然、そこで時間をロスします。1周6.7kmを50分で走るならペースは1キロ7分半くらいですが、トイレに5分も入っていると、その分はあわてて巻き取らないといけなくなります。休憩時間なしで次の1周を走り始めるのはさすがに無理ですから。
体力の消耗を極力抑える、熱中症を悪化させない、筋肉が固まらないように補給はきちんととる。そのために次の休憩で何をすればいいかひたすら考える。その繰り返しでした。
DC:43周目に入ってからは、レースを続けているのは今回優勝したジョン・ノルさんと上野さんの二人だけに。残り二人だけになってからはやはり相手の様子を意識するんでしょうか。
スタートしてからはずっと淡々と自分のコンディションを保つことだけを考えていて、他の選手のことは考えていませんでした。でも40時間を過ぎて最後の数人になってからはzoomに映る選手の様子をディスプレイで見ていて、他の選手の様子が変わってきたことに気づくようになります。zoomではウェブカムからずっと同じ角度で映っている選手を見ることになりますが、上体がブレるようになってきたなとか、さっきまで自分より先に一周を走り終えて休憩していたのに逆にまだ走っているぞ、とか。
最後の二人になると先に止めた方が負けですから、俄然相手の様子が気になりはじめました。(インターネット越しではなく)リアルで行われるレースなら相手に声をかけて励ましたり様子をうかがったりするんでしょうが、今回はさすがに声をかけることができません。何か変化がないかずっとzoomで相手の様子を見ていましたね。
DC:最後となった51周目のことを教えてください。先に上野さんが足を止めた時、何があったんですか?
熱中症が続いていて、スタートから40時間が過ぎるあたりからは、ほとんど固形食を胃が受け付けなくなりました。39時間過ぎには気分が悪くて嘔吐しています。熱のダメージが酷くて、トレッドミルを走りながら氷水をかぶったりしても、身体がいうことを聞きません。とにかく暑い。体温が下がらない。身体がどんどん悪くなっていきました。脚は意外と大丈夫で最後まで1周を47分とか48分で走れていたと思います。でもエネルギーが底をついた感じがして、「これは60時間までは走れないんじゃないか」と考えていました。
補給食がもう何も喉を通らなくなったのが49周目でした。50周目を走りはじめて、すぐに脚の筋肉が固くなってきたと感じたんですね。その時、直感で「ああ、これ以上やると身体が動かなくなるな」というのがわかったんです。これは止めざるを得ない。
それでもなんとか50周を走り終えました。止めるしかないけれど、相手だってもう走れないかもしれないんだからと思って、一か八かでホイッスルがなるとトレッドミルに乗りました。でももう足が動かない。そこで止めました。
DC:100マイルのレースだったら、あと何キロ走ればフィニッシュできるとか考えて自分のやる気をキープできますよね。でもバックヤードウルトラは1周走ることの繰り返しがいつまで続ければいいかわからない。どんなことを考えながら走るんでしょうか?
今、走っているこの1周に集中する、これに尽きますね。100マイルレースでも同じことはいえるんですが、バックヤードウルトラの場合は1時間で走る距離が決まっています。エイドで思い切って20分休むとか、今は調子がいいから一気にペースを上げて挽回するとかはできません。
これがBUの難しいところですね。1時間ごとに鳴るホイッスルにあわせて行動し続けるうちに、1周6.7kmがだんだん長く、そして休憩時間は短く感じるようになってきます。そういう状況にあわせて自分をどうマネジメントしていくか。そこが難しいけど面白い。
走り続けて最後の二人になって、相手と一対一の対決になってからが、僕にとってバックヤードウルトラで一番興奮するところです。それで一周を走り終えると次のホイッスルまでは休憩をとる、というのをどちらかが倒れるまで続けるのはまるでボクシングみたいですよね。
今年はビッグヤードウルトラを目標に据え、QBUは秋の本番に向けた調整の好機
DC:上野さんは「チーム100マイル」のメンバーで、100マイルをはじめとするレースもたくさん経験されています。バックヤードウルトラを走ろうと思ったのは何がきっかけですか?
直接には今年2月に高尾で開催された「Backyard Ultra Last Samurai Standing」について聞いたのがきっかけですね。以前から海外ではバックヤードウルトラという競技があること、その先駆けはラズが主催する「ビッグドッグス・バックヤードウルトラ Big Dog’s Backyard Ultra」で最近はエリート選手が参加するようになって盛り上がっていることは知っていました。
(注・「ビッグドッグス・バックヤードウルトラ」はバークレーマラソンズ Berkley Marathonsの主催者として知られる「ラズ」ことラザルス・レイクが2012年に始めた世界初のバックヤードウルトラのレース。毎年10月にアメリカ・テネシー州で開催され、出場資格を認められた選手のみが参加できる。)
高尾の大会のことを聞いたのは大会まであと1ヶ月というタイミングでしたが、優勝すると「ビッグドッグス」への出場権が得られるレースだと聞いて、面白そうだと思ったんです。
DC:その高尾のバックヤードウルトラで最後の二人になるまで走り続けたんですね。
16人が参加して、僕は優勝した舘野久之さんと最後の二人になるまで走ることができました。走っていてとても調子がよくて体力には何も問題ないし、足もバッチリ動いていて。気温も少し寒いくらいで走るにはちょうどよかった。これは楽勝だな、と思っていたんです。ところが、42周目を走り始めた時、膝の具合がおかしくて足がロックされたように急に動かなくなってしまったんです。そこでリタイアするしかありませんでした。
舘野さんが「ビッグドッグス」への出場権を手にしたんですが、その後すぐにラズから「出場できるよ」というオファーのメールが来ました。バックヤードウルトラではいい記録を出すには優勝した選手だけではなく競り合う選手も必要なんだ、と。なので最後の一人となるまで競り合った2位の選手で40周以上走っている場合は「アシスト」として「ビッグドッグス」への出場を認める、というんです。もちろんすぐにエントリーしました。そしてこの大会を今年の目標にすると決めて、年間スケジュールも変更です。
DC:その後、新型コロナウィルスが広がって外出自粛の呼びかけが始まります。
世界各国で外出制限がされるようになってからまもなく、バックヤードウルトラではカナダのチームが主催して4月に第一回のQBUが開催されるということは早くから知っていたんです。この4月のQBUにも参加したいなと思いましたが、2月に高尾で走ったばかりでまだ完全回復にはほど遠い。結局、4月のはじめというタイミングでこの第一回QBUに参加するのは見送りました。
独りで10月の「ビッグドッグス」を意識してトレーニングを始めたのですが、やっぱりもう一度秋の本番までにバックヤードウルトラを経験した方がいいと思うようになりました。そんな時にカナダのチームが7月に2回目のQBUをやると聞き、すぐにエントリー。10月の本番までレースも少ないし、走ることへの制約が多い中で40時間、50時間と走り続ける経験ができるのはチャンスだと思ったんですね。
トレッドミルと信号のない海沿いを走るベストの環境を整える
DC:今回、QBUを走るためにトレッドミルを自分で用意したと聞きました。
4月の第一回大会のデータを主催者が公表しています。それによると、1,577人の参加選手のうち、1,314人が自宅の外や庭とかを走り、193人がトレッドミル。両方を切り替えながら走った人が70人くらい。トレッドミルもあった方がよさそうなので、どうすればいいか考えました。
バックヤードウルトラで何十時間も走るとなると家庭用のトレッドミルでは耐久性が足りません。大きな業務用のトレッドミルが必要ですが、僕の自宅は高層マンションなので運び込むのも設置するのも難しい。スポーツジムのトレッドミルは何十時間も使い続けるわけにはいきません。それに大会本番ではトレッドミルを走るときはその様子をウェブカムでzoomに映し続ける必要があって、これもジムでは難しそうでした。
いろいろ考えた結果、パワースポーツの滝川次郎さんに相談しました。鎌倉のOSJ湘南クラブハウスの地下に最近、「鎌筋」というプライベートジムができたのをご存知ですか?そこにトレッドミルを置いてQBUのために使わせてくれませんか、と相談したら、快諾してもらえました。
これで日差しがあって気温の高い日中はトレッドミルを走り、夜の涼しい時間帯は鎌倉の海沿いを走るという作戦で行けることになりました。外を走るときは事故や時間のロスを避けたいので信号のないところにしたいと考えていたので、鎌倉の海沿いの歩道はちょうどいい。
それでトレッドミルを「鎌筋」に設置したのですが、業務用なので大人4人がかりで運び込んで、200ボルトの電源が必要だというので電気工事まですることになりました。5月にQBUに参加することを決めてから、この準備に1ヶ月かかりました。
DC:本番では作戦通りに行きましたか?
本番では地下の「鎌筋」と外の気温や湿度を常時モニタリングして、数時間先の天気予報を確認していました。先週のスタート初日は雷と雨がすごかったので、天気予報をみながら、雨が止みそうなら次の1時間は外を走ろうとか、気温が上がりそうだから地下でトレッドミルを走ろう、といった感じです。
でも実際は想定以上に苦しむことになりました。土曜日の夜に走り始めて、日曜日の午前には早くも熱中症気味になっていました。夜の間は走ったのは海沿いで、気温は26℃程度ですが海からの潮風で湿度は90%近くありました。こうした湿度の高いコンディションの中を走るのは身体に堪えます。朝になって地下のトレッドミルを走り始めると、一気に体調を崩しました。地下にある「鎌筋」は窓が無く、シャッターを上げると外気が入って蒸し風呂状態になります。エアコンが設置されていないので、サーキュレーターを二台回していましたが気温27℃で湿度80%という環境。地下とはいえ、外でトレッドミルに乗っているのと同じような感じでした。普通なら完全に締め切って空調を管理した室内でやるんでしょうが、正直なところ地獄のような苦しさでした(笑)。
結局、本番では50時間で335kmほどを走り、そのうち外で海沿いを走ったのが120km。残りはトレッドミルでした。
フィジカルだけでなくメンタルが勝負を決めるからバックヤードウルトラは面白い
DC:高尾に続いてQBUでも最後の二人になるまで走り続けて、一対一で対決するかのように走り続ける経験をされました。やっぱりその高揚感が上野さんにとってのバックヤードウルトラの魅力でしょうか。
最後の二人になってからの気持ちの高まりというのもあります。ただ、バックヤードウルトラの一番面白いところは、僕ぐらいの年齢になってもトップを目指して闘えることだと思います。
最近では100マイルのように超長距離のレースであっても、トップレベルで競い合うにはスピードが必要になっていますよね。だからスピードに強みがある若い選手が勝つことになります。でももっと長い距離、長い時間のレースになると、ウルトラランナーとしての経験がモノをいう場面があると思います。ラズがいうように、バックヤードウルトラはメンタルとフィジカルが試される競技です。どんなにフィジカルが強い選手でも200kmも走ればその強さをキープできなくなる。そこからは精神面、メンタルの強さが鍵を握る。僕のようにさほど足が速くないランナーでも、巧みな作戦と強いメンタルで表彰台を狙うことができるのが面白いと思います。
DC:今回のQBUを経験して、10月の「ビッグドッグス」に向けて自信がつきましたか?
今年に入って2月の高尾、7月のQBUとバックヤードウルトラを二回経験して自分の体力、走力の底上げができたと感じています。10月の「ビッグドッグス」まではあと3ヶ月あります。コロナ禍もあるので予定通り開催されるかはまだわかりませんが、しっかり準備していくつもりです。