エベレストに挑んだキリアン・ジョルネがつづる旅と思索・書評「雲の上へ 6日間でエベレスト2度登頂の偉業への道」

山岳スポーツの頂点を極めたアスリートが、7年におよぶエベレスト最速登頂を目指すプロジェクトを終えた後に著したメモワール。その内容は傲慢なほどに常識はずれなところもあるかと思えば、栄光の勝利と静かな孤独をともに求める矛盾に悩む様子が赤裸々に綴られています。

キリアン・ジョルネ Kilian Jornetの著書「雲の上へ 6日間でエベレスト2度登頂の偉業への道」(エイアンドエフ)が先月発売され、当サイトにも出版社から一冊ご提供いただきました。

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静かに丁寧な文章で綴られる旅とレースの経験

キリアンの回想の始まりは単独無酸素、加えて超軽装のトレイルランニングスタイルで登頂を目指すエベレストへと旅立つシーンから始まります。世界のトップアスリートが、大きな目標を前にさぞやいきり立ち、興奮を抑えられない様子や、取り組もうとする課題がいかに大きな意義を持つのか、といった様子をこれでもかとばかりに書き立てる-のかとページをめくり始めた筆者の当ては外れました。

パートナーのエミリーと住むノルウェーの北極圏にある町・トロムソの夏の終わりの情景、妻を前に旅立ちのあいさつの言葉が出てこないもどかしさ。そして退屈で凡庸な飛行機での移動。多くの時間を読書に当てているというキリアンは自らの様子をいきいきと描写します。特別な才能を神から授けられた超人的な人物も、愛する家族と一緒に住む町で様々なしがらみと格闘していることがわかります。

筆者の思い込みを打ち砕いたキリアンは、続いて自らの半生を振り返ります。特にアスリートとしてその才能を開花させ、トレイルランニング、山岳ランニングのファンだけでなく、国際的に名を知られたロックスターへとなっていく道のりが克明に描かれます。19歳でスカイランナー・ワールドシリーズのチャンピオンとなり、プロアスリートとなることを決意させた2007年のゼガマ、アメリカ・コロラド州のハードロック100、UTMB、シエール・ジナール、山岳スキーの名大会であるピエラメンタ。いずれもキリアンが大きな成功をおさめた大会です。それぞれのレースについて語られるキリアンの思いは、読者の気持ちを揺さぶる格好のレースガイドでもあります。

華やかな成功をおさめたアスリートでありながら、意外にも覚めて孤独な理由

しかし世界最高の山岳ランナーに上り詰めるまでの栄光の記録を読み進めていくと、どこか冷めた視線を感じます。レースには勝ちたいが、人に騒がれずに孤独でいたい。トロフィーや楯は一つも手元に残さず、処分できなかったものは分解してスキーのワックスがけの道具にしてしまう、とまでいうのです。

本書の前半で語られる彼の生い立ちと、山岳スポーツとの出会いは、そうしたキリアンの心の中を垣間見る手がかりを与えてくれます。標高2000mの山小屋で育ち、両親と山を歩いて身体を鍛えられた一方、学校に通い始めると友だちと交わることはなく、12歳で「山岳スキー技術センター」というユースチームに加わってスキーやサイクリングのトレーニングに打ち込む。目標を定め、必要な能力を高めるためのトレーニングの計画を立て、それをマゾヒスティックに実行していく。その記録を細かくノートに書き留めていく。

プロアスリートである今は、多くの人と接し、伝統的なメディアに露出するのに加えて、ソーシャルメディアを通じて発信していくことも求められる。ただ、今もキリアンの中では競技と向き合って自ら目標を見出し、試行錯誤しながらトレーニングに取り組むことは、自らの中から生まれる欲求に従っているに過ぎない。レースで勝って賞賛や注目を集めることからは、可能な限り距離をおきたい。

成功を極めているキリアンを外からみていると、ちょっと意外な内面です。しかしこれこそが、「レースの高揚感と標高8000メートルの静けさを愛している」という一見相反するキリアンの言葉の背後にある内面なのでしょう。

「インフルエンサー」になるのではなく、モチベーションが感じられることに力を注ぐ

毎週、国内や海外で行われるさまざまなトレイルランニングレースの結果を探し、上位に入った選手の名前を紹介している筆者には、ドキッとさせられる言葉もありました。「最近ではプロの一流ランナーになって輝かしい世界の上位五パーセントに入るか、走る『インフルエンサー』になるかを選ばなくてはならない。」

前者を選ぶなら、競技人口が増える中で報われる可能性は相対的に低くなる中で厳しいトレーニングを続けることになります。ソーシャルメディアが発達する今日では後者を選ぶことで成功する道は広がりつつあります。しかしそこでは自分の目標とそのためにどうトレーニングするか、よりも外からの見た目の良し悪しや関心を持ってくれる人が多いかどうかで活動が左右されます。

どちらかの道に優劣があるわけでなく、キリアンといえども自分のインフルエンサーとしての価値に無関心ではないでしょう。そうした中でキリアンは原点に戻り、自分にモチベーションを与えてくれることを追求します。本書の多くは、その過程で取り組んだプロジェクト「Summints of My Life」に当てられていますが、それは2013年8月のマッターホルン山頂往復のFKTのようにわかりやすくキャッチーな挑戦もあれば、6日間でエベレスト山頂に二度登るというちょっとわかりにくいものもありました。そしてその過程では一緒に記録に挑んでいたパートナーを事故で失う悲劇もありました。「インフルエンサー」としての立場からは厳しい声も浴びたに違いありません。それでも山に入り、自ら企画したプロジェクトに取り組んだキリアンを奮い立たせたのは何だったのか。

キリアンの文学的、哲学的なテキストはすぐに答えを与えてはくれませんが、読者を奮い立たせるきっかけを与えてくれるでしょう。

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