アメリカのトレイルランナー・ウルトラランナー、リッキー・ゲイツ Rickey Gatesの著書「アメリカを巡る旅 3,700マイルを走って見つけた、僕たちのこと。」(川鍋明日香・訳、原書 “CROSS COUNTRY : A 3,700-Mile Run to Explore Unseen America”, Chronicle Books LLC, 2020)が7月10日に発売されます。
出版元の木星社より提供していただいた本書を読み進めました。そこには5ヶ月かけて自分の足でアメリカを横断するという大冒険とそこで見た人々や風景が写真とともに記録されています。その筆致は淡々としていますが、読者に今のアメリカ(あるいはグローバル化とIT化の進んだ先進国の社会)を直接体験している気持ちにさせます。そして彼自身がこの挑戦を通じて自らの身近な人たちとの関係を確かめようとしていることにも気づきました。
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「ランニング・アーティスト」
木星社のウェブサイトでは「プロフェッショナル・ランナー/ランニング・アーティスト」。PAPERSKYの昨年の記事では「クリエイティブ・ランナー」。リッキー・ゲイツのことを知るとウルトラランナーという肩書きでは何か物足りないのです。
1981年にコロラド州アスペンに生まれ、ロッキー山脈の豊かな自然に親しんで育ったリッキー・ゲイツはトレイルを走るようになり、2006年には米国代表選手としてマウンテンランニング世界選手権に出場するまでになります。しかし、リッキーは次第にアスリートとしてレースの結果に一喜一憂することよりも、走ることやそのために旅をすること、旅先の自然と人々に出会うことの魅力を伝えることに関心を移していきます。
その成果は2014年ごろから映像作品などの形で発表されています。2016年にはアンナ・フロストとともに日本を訪れて熊野古道や北アルプスを走ったドキュメンタリーを制作。本書で描いているアメリカ大陸の横断の後には、サンフランシスコ市内の全ての道を47日間にわたって走るプロジェクトに取り組んでいます。
身体一つで過酷な挑戦をすることは人の心を打つ
2016年のアメリカ大統領選でトランプが勝利。アメリカ社会の分断の象徴として世界中に衝撃を与えましたが、リッキーは分断したアメリカの社会とその背後にあるアメリカの歴史を知るために、自らの足でアメリカ大陸を走って横断するプロジェクトを着想します。その頃ガールフレンドとの関係が少々難しかったこともその思いつきのきっかけだったのかもしれません。
翌年、リッキーはサウスカロライナ州のビーチでアメリカ横断の旅をスタート。初めて聞く南部訛りの英語を話す人たちとのエピソードから始まり、旅はトレイル、川下り、見渡す限りの平原、なじみ深いロッキー山脈、灼熱の砂漠と続きます。本書はその旅の出来事や途中で出会った人について綴られていきます。
一人で走っているリッキーの姿を見かけて、食事やビールを奢ったり、くしゃくしゃの5ドル札を手渡してくる人たちは、見ず知らずの人にも共感して応援しようというアメリカ社会の連帯感が健在であることを示しています。しかし、出会う人たちは、成功した経営者もいれば日々の暮らしに精一杯な人、リベラルな人から保守的で陰謀論に染まった人までと様々。リッキーは写真とともに現在のアメリカを生きる人たちについて温かい目線と穏やかな文章で綴ります。
そして旅の合間には通じて母親や彼女、ランニング仲間と再会し、時には一緒に走ってそのつながりを再確認していくエピソードも語られます。
旅が物語として語られることは珍しくありません。ただ、リッキーが自らの生身を過酷な状況に晒すことで、たまたま出会った見ず知らずの人の本音に迫り、家族や友だちとの絆を確かめることができたのかもしれない。本書は「ランニング・アーティスト」だから語ることのできる物語なのです。
アクションを起こすきっかけを与えてくれる一冊
本書の読後には、きっとどこかへ旅したい、行ったことのないところを走ってみたい、と思うでしょう。私自身はそれに加えて、家族や友達、仲間、とりわけ長く会っていない人たちに何かを伝えたいという気持ちになりました。さらに、自分は旅をして見知らぬ土地を走っても大事なことに気づかないままそこを去っているのではないか、リッキーに見習うべきではないか、という思いも湧き上がってきます。
最後に、アメリカ各地を旅して写真に記録したという本書のスタイルで思い出すのは、1950年代のアメリカを旅して社会のリアルな姿を描き出したロバート・フランクの写真集「The Americans」。そこに序文を寄せたジャック・ケルアックは放浪の生活から作品を表したビートニクの作家。リッキーはケルアックのスタイルをきっと意識しているだろうし、木星社が今年世に問うたランニング関係の二冊(「ほんとうのランニング」と「陸上競技チャンピオンへの道」)もビートニクの時代精神を共有しているように思えます。今回、本書「アメリカを巡る旅」の日本語版が出版されるのも必然のことだったのかもしれません。