逆境を乗り越える心のスイッチを押す・鏑木毅がトレイルランニングから学んだこと【2023年新春インタビュー】

トレイルランニングのレジェンド、鏑木毅 KABURAKI。その業績の中でも世界のトップ選手が集まるで2009年に3位となったことは、その後の日本のトレイルランニング・ブームのきっかけとなりました。筆者もドキュメンタリー番組「激走モンブラン」を観て、鏑木さんに憧れてUTMBを目指した一人です。最近の鏑木さんは2019年に50歳で再びUTMBに挑戦するというプロジェクト「NEVER」に取り組み、7年ぶりにUTMBを完走。今年4月には自らが立ち上げた(UTMF)に初めて選手として参加して完走したことも話題となりました。

その鏑木さんから、関西大学の客員教授となり自分のトレイルランニングを通じて得た経験について講義をすることになった、とお知らせをいただきました。この機会に、新しい挑戦をしようとする鏑木さんを訪ねて、インタビューしました。

Sponsored link


自分の経験や学んだことを伝えたい

インタビューしたのは鏑木さんの54回目の誕生日の前週。客員教授を引き受けた心境を聞きました。

「これからも年齢を重ねながらも、持っている力を全て発揮するような挑戦を続けていきたいと思っています。ただ、アスリートとしてはこれまでと違うステージに入っているのは確かです。これからは自分が経験の経験や学んだこと、そこから得た考え方を伝えていく活動にも力を入れたいと思っていました。関西大学から客員教授のお話をいただいたのは、ちょうどいい機会でした。」

翌月に控えた関西大学での講演会(編者注・この講演会は開催済みです)を前に、このインタビューでは鏑木さんがこれから伝えていこうとしていることのエッセンスを聞かせていただくことにしました。

関西大学で教壇に立つ鏑木毅さん

UTMBと出会わなければトレイルランニングはやめていた

早稲田大学で箱根駅伝に出場することを目指しながらもその夢を果たせなかった鏑木さんは、一旦走ることから遠ざかったのちに山を走る楽しさに目覚めます。

「トレイルランニングを知ったのが28歳の時で、日本国内でトップを目指そうと国内のレースで勝つことを目標にしました。山を走るのに自分は向いていると思っていました。転機になったのはUTMBで初めて100マイルのレースに出たこと。

完走しましたが、最後はボロボロになってしまった。でも「これは自分が戦える世界だ、求めていた世界だ」と電撃的に気づいたんです。」

2007年に初めてのUTMBを経験してからは、鏑木さんはUTMBだけを目標に日々トレーニングに没頭します。

「UTMBに人生を賭けていたし、死んでもいいくらいの気持ちではいましたね。だから3位(2009年)になることもできたと思います。」

や富士登山競走といった日本のビッグレースを制したのちに世界の頂点に挑戦する。一見、順当なサクセスストーリーのようですが、UTMBに出会う前は選手としては自分に限界を感じていたといいます。

「UTMBを経験する2年くらい前から、国内ではやるべきことはやった、あとは落ちていくだけだ、と感じていました。もう30代の後半でしたから。

当時は長距離のレースといっても70kmくらいで、すでに勝負はフィジカルで決まるようになっていました。これはもう無理、これ以上しがみつくものじゃない、と(諦めていた)。」

2007年に箱根で開催された「OSJ ハコネ50k」の優勝の副賞がその年のUTMBの出場権だったことが、鏑木さんの心に火をつけることになります。

「僕はその時38歳ですでに身体の衰えも感じていました。(ハコネ50Kのような)ミドルレンジのレースで王者でいることはもう無理。

山を走ることをやめることはないとしても、レースはこれで最後にしようか、と。ハコネ50KからUTMBへという繋がりは偶然でしたが大きな意味がありました。このレースがなければUTMBを走ることも、世界の頂点に挑戦しようと思うこともなかった。自分の可能性を知ることもなく、人生を終えたでしょう。

一言でいえば運がよかったということになるけれど、思い返せばいろんな人が出会いを繋いでくれたんです。当時、にいた三浦さんや、メディアの皆さんのおかげです。」

メンタルの強さがものをいうウルトラトレイルの世界

すでに選手として限界を感じていたという鏑木さんが、UTMBで100マイルのトレイルランニングレースを走って気づいたこと。それはUTMBのようなウルトラディスタンスのトレイルランニングでは、勝負は走力だけでは決まらずメンタルの強さや意志の力ががものを言うことでした。

「ミドルレンジまでのレースっていうのは、やはりフィジカルの強さ、スピードが必要になる。生まれ持った才能に左右されます。僕もそういうレースで勝つこともあったけど、いつでも勝てたわけじゃないし「この人には絶対敵わない」と思う選手もいました。

UTMBに初めて出て、これは結果を呼び込むのも呼び込まないのも自分次第だ、と直感的に感じました。そこに無限の可能性というか、面白さがあると思いました。自分はそういうメンタルで勝負する時にこそ、いい選択ができる。

トレイルランニングに出会った時も「これだ」という思いはありましたけど、UTMBを知った時はその何倍もそう思いました。自分の人生を賭けるのはこれだ、と。尋常じゃない憧れ、思いが湧き上がってきました。」

「それで1年間は無我夢中でトレーニングしましたね。寝ても覚めてもUTMBのことを考えて、(大会会場で流れるテーマ曲の)「コンクエスト・オブ・パラダイス」を聴いて自分を奮い立たせて。当時はUTMBなんて自分の周りでは誰も知りませんでしたけど、独りでときめきを感じていたんです。

ミドルレンジのレースについては一切考えなくなりました。UTMBで結果が出せるならそれでいいじゃないか、と。(4位になった)2008年のUTMBまでが助走の1年で、そこでブレイクスルーできた。そこからさらに2009年の3位に繋がった。」

UTMBで成功するために求められるメンタルの力とは何か。鏑木さんは自らの経験を交えて説明します。

「UTMBではメンタル、すなわち自分の心の持ち方を変えていくことがものを言います。(二度目のUTMBだった)2008年のグラン・コル・フェレへの登り(編者注・約100km地点となるコース上で最も標高が高い峠への登り)はそう感じた瞬間でした。登りの手前のエイドステーションを出た時にかなり疲れていたけれど、そこから選手を抜くことができた。自分の「ゾーン」に入っていった、というのかな。

「あれ、どこまでいけるんだろう」と思いました。20位くらいからどんどんジャンプアップしていって、気づけばレースは終盤。前の選手を抜くたびに元気になっていくような感覚があって、面白いほどでした。もちろん、肉体的にはもう気が動転しそうなほどキツいんです。でもそれを凌駕するほどの陶酔感があって、我慢できてしまうんです。キツいのを楽しめるような状態だったんですね。」

過去の挫折や悔しさは限界を越える意志の力の源になる

トレイルランニングの頂点に位置するUTMBで発揮した、自分の肉体の限界を越える意志の力。その源となったのは過去の挫折でした。学生時代の鏑木さんは陸上競技の選手としてはケガが続いて練習もままならず、箱根駅伝は遠い夢に終わっています。

「学生時代も、就職して自堕落な生活で85キロまで太った頃も、自分にまとわりついている負のモードをひっくり返したい、という思いがふつふつとしていました。でも何に自分のエネルギーを投入すればいいのかわかりませんでした。悶々としていた時にトレイルランニングと出会い、これで最後だと思っていた時にUTMBに出会った。

(初めてのUTMBだった)2007年の表彰台に立っている選手を見ていたら、国も年齢もそれぞれ違うのにみんな親しくコミュニケーションしていることに気づいて、素直に羨ましいなと思いました。そこまでのレベルになれば、いろんな人に知ってもらえていろんなコミュニケーションができて、世界が広がる。自分もそんなポジションに登りたいな、輝きたい。

挫折ばかりだったから、自分の人生を輝かせるチャンスがあるならそこに賭けてみたい。グラン・コル・フェレからの登りで一気に前の選手たちを抜き去ることができたのは、そんな思いが自分に乗っかったのかもしれないですね。」

過去の挫折がUTMBでの活躍の背後にあったという鏑木さんですが、誰もが挫折をバネに成功できるわけではありません。なぜネガティブな思いを前向きな力に変えられたのか。その理由を尋ねると、鏑木さんは意外な言葉を口にします。

「いろいろな理由があったと思いますが、その一つは僕の執念深さじゃないでしょうか。穏和な性格と思われるかもしれないけど、実は過去の挫折とかバカにされた経験を何年も何年も覚えていたりするんです。誰かを恨むわけではありません。でも負の思いを抱え込む性格ではありましたね。」

過去に執着せず前向きに生きようという人は多いですが、鏑木さんはそうは思わないといいます。

「失敗したり、人に馬鹿にされたり、そういう悔しさは絶対に執念深く覚えておくべきだと思います。誰かを恨む気持ちは切り離して、自分が負ったネガティブな思いは心の中に溜め込んでいく。それはいつか自分が輝く時のエネルギーになる。そう思っています。自分の子どもや、学生の皆さんにもそう話しているんです。」

鏑木さんは、UTMBで活躍してきた選手たちにも自分と通じるものがあるといいます。

「マルコ・オルモ(2006年、2007年のUTMBをそれぞれ57歳、58歳で優勝)さんはインタビューで「100マイルを走るのは自分の人生のリベンジだ」と話している。

キリアン・ジョルネ(2008年、2009年、2011年、2022年のUTMB優勝者)も実はどこか影のあるキャラクターです。話してみても伏し目がちで内向的、いわゆる「陰キャ」だと思いました。彼は10代の頃から頂点を極めてきたんだけど、何か秘めたものがある気がするんですよね。陽のエネルギーだけじゃなくて、陰のエネルギーもある。100マイルで活躍している選手って、そんな雰囲気だったり、エピソードがある人が多い。ただ走力に恵まれているというのとは違うんですよ。」

「やっぱり普通じゃないから。どんなレースも最後は苦しいけど、UTMBの最後なんて濃厚な時間ですよ。普通だったら頭がパニックになるような状況。そこを、わあって乗り越えるというか、受け流すというか。人間力というのかな。一つの能力だと思うんです。単純じゃない。」

次に鏑木さんが話してくれたのは、逆境も自分の受け止め方によってチャンスに変えられる、というエピソードでした。

「2008年の二度目のUTMBを走っている最中に、以前の職場の同僚のことを思い出したんです。僕が県庁職員だった時に、全国的なイベントの事務局を務めたことがありますが、これが多忙を極める職場で残業続きでした。僕は毎日ヘトヘトになっていましたが、彼はハイテンションというのか、生き生きと楽しそうに仕事をしていたんです。役所の仕事で全国規模のイベントなんて滅多に経験できないから面白くて仕方がないんだ、と。

その同僚のことを、憧れの檜舞台、モンブランを走っている時に思い出した。今、自分が彼と同じことを経験しているんじゃないか、と。「あ、要はものは考えようか」と改めて納得したんです。苦しいなと思っても考え方一つで変わる。今、自分の力を披露する場をもらっている。こんな嬉しいことはない。頑張れば順位も上がる。そう思った時に、苦しいことを楽しむというマインドのスイッチを押すことができた。

それまでは、たとえば富士登山競走ではとにかく耐えるだけだった。それがUTMBで心の乗り越え方を知ることができた気がします。」

鏑木さんを成功に導いた、ネガティブな思いをポジティブに反転する力と、苦しい状況を前向きに受け止める心のスイッチ。自分の経験を聞いてくれた人が、一人でも多く自分の心のスイッチを押してくれることこそが、客員教授としての自分のミッションだと話してくれました。

今はトレーニングしても手応えがない、でも一生懸命やるのが楽しい

年齢を重ねながらアスリートとしてどうパフォーマンスを保つか。鏑木さんは以前からプロトレイルランナーを引退することはない、と話していました。UTMBで3位となってから13年が過ぎた今、年齢とアスリートとしてのあり方について、どんな思いを持っているのか、聞きました。

「まず、山を走ることは相変わらず楽しいですね。自分をもっと知ってほしいから走るとかいうのではなく、ただ山を走るのが単純に楽しくて、それが一番のモチベーションになっています。サーフィンとかスノーボードはうまく乗れることが楽しいですよね。トレイルランニングも同じようなところがあって、楽しく山を走るにはある程度の体力は必要。山を乗りこなす感覚でトレイルランニングを楽しみたい、という思いが今の自分の根っこにあります。」

とはいえ、アスリートとしてのトレーニングについては年々難しくなっているといいます。

「以前のトレーニングが石を着実に積み上げるような感じだとすれば、今は石を持ってきてもそのあたりに散らかしているだけ。一つの練習に集中していると、あっという間に別の能力が落ちていて大きな穴が空いてしまう。すると努力しても全部流れていってしまう、みたいな感覚です。

2019年にUTMBに出ましたけど(編者注・50歳で再びUTMBを目指すプロジェクト「Never」に挑戦)そこからも年々力が落ちていると感じます。手を抜いてはいないし、それなりに一生懸命頑張っているんだけど落ちていく。

そう気づいた時は自分がトレーニングをする意味があるのか、とショックでしたね。でも、今は何か工夫すればちょっとでも積み上げられるのでは、と考えることを楽しんでいます。頑張っても成果につながらない。でも止めようとは思わない。楽しんでいるんです。」

力はつかないけどトレーニングは楽しいというその言葉は決して負け惜しみではありません。

「スポーツの世界で全盛期を過ぎた選手がそれでも頑張るという点では、自分は先駆的じゃないかと思います。自分自身について、ああこうして老化していくのか、と科学者になったつもりで客観的に観察しているんです。

40歳でUTMB3位になった人が13年後にはこう変わって、走れなくなっていくのを観察している。時には老化を食い止めることができるのではと何か試したり。日々、壮大な実験をしているような感じでこれが面白い。

例えば最近わかったのは、年を取ったからとゆっくりしたランニングをするだけでは逆に老化が加速するということ。むしろ走る距離は減らして、いろんな動きを取り入れるべきです。スプリントだったり坂道ダッシュとか、動的な補強運動を取り入れる方が効率的に力をキープできる。

こういうノウハウが面白いですね。老いることは全然嫌ではない。以前のように走れない自分について「あ、なるほど、こうして走れなくなるんだ」と笑いながら納得しているんです。」

頂点を極めた鏑木さんが今も現役アスリートであることにこだわる理由は何か。今回のインタビューの中でもこの質問への答えには一番力が入りました。

「順位とかタイムといった結果にこだわるフェーズというのは自分の中でもう終わっています。50歳を過ぎて、自分がこだわる指標が変わった感じです。(2019年に50歳でUTMBに再挑戦した自らのプロジェクトである)NEVERでは順位とかタイムではなく、自分の心意気を見てもらいたいという一心でした。

それならレースに出る意味があるのか、といえばそれはやっぱりあって。全力を尽くす場としてはいい機会になります。」

「もちろん、僕が走るとみんなが応援してくれるのもうれしくて。今年のUTMFでは選手として最後尾からスタートして完走しましたが、選手の皆さんがすごく喜んでくれました。かつてUTMBで3位の自分が今でも走っている。コース上で応援しているよりも、老いてなお走っている方が何かを伝えられる。それも自分の役割かもしれないと思いました。」

でも年代別で優勝を目指すという目標もあるのでは?この質問への答えにも、鏑木さんの強い思いが滲みます。

「UTMBの年代別カテゴリーで入賞を狙わないんですかと聞かれることがありますが、そこには興味がない。同年代の人に勝つとか負けるとか意識していなくて、負けても別に気にならないんです。2019年のUTMBでもレースの結果は自分の全盛期とは比べものにならない。でもやり切ったという気持ちがあったし、これ以上無理というところまで頑張った。だから今も満足しています。」

「もちろん、50代、60代で結果を出す選手の皆さんのことをリスペクトしています。でも中高年のスポーツのあるべき姿を考えると結果主義よりもやりがいとか満足感を大事にすべきなのかなと思います。同じ年代でも身体的なハンディとか、時間のやりくりが大変だとか、それぞれの事情が大きく違いますからね。」

インタビューを終えて・レジェンドからあふれるメッセージは刺激に満ちている

今回のインタビューは長年の鏑木ファンにも、トレイルランニングもUTMBも知らない人にとっても、刺激的なメッセージに満ちています。鏑木さんと長く接してさまざまな機会に取材してきた筆者にも、ハコネ50Kの頃には選手として限界を感じていたという話は初耳でした。一方、初めて鏑木さんの話を聞く人は、挫折の経験を心に抱えている人こそ成功をつかむための潜在的な力を備えている、というメッセージに励まされることでしょう。このメッセージをきっかけにトレイルランニングに挑戦する人が現れるかもしれません。

このインタビューの後の週末に、鏑木さんは韓国・ソウルで開催されたSeoul 100Kに参加。3年ぶりの海外レースを12位で完走しています。インタビューの後に聞いたところでは今後もまだ見たことのない世界を見たい、新しいテーマに挑戦したい、と様々なアイディアを聞かせてもらいました。

この記事が気に入ったらDogsorCaravanをBuy Me a Coffeeで直接サポートできます!

Buy Me a Coffee

Sponsored link