【編者より・プロトレイルランナー、松永紘明 Hiroaki Matsunaga さんは各地のレースに参加するアスリートであり、トレイルランナーズ代表として新潟県を拠点に各地でアウトドアスポーツイベントを主催しています。松永さんから昨年2024年に走った海外のトレイルランニング大会の経験について、3回にわたって寄稿していただきます。TDSを振り返った第一回に続く今回は昨年10月に韓国のチェジュ(済州)島で行われたTransJeju by UTMBについて紹介していただきます。】
(本文と写真・松永紘明、編集およびコラム・岩佐幸一<DogsorCaravan>、Photo © TransJeju by UTMB)
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松永紘明さんが代表を務めるトレイルランナーズがプロデュースするトレイルランニングイベント「DEEP JAPAN ULTRA 100」では、6月27-29日に開催する大会のボランティアを募集しています。
3月7日までにボランティア参加を申し込んだ方に限り、特典としてザ・ノース・フェイスのボランティアTシャツが提供されます。さらにオフィシャル試走キャンプ(全3回、計5日間の予定)の参加費が無料となります。
詳細は大会ウェブサイトや大会公式SNSアカウント(Instagram, Facebook, X)でご覧ください。
日本からもアクセスのよいチェジュ島でUTMBワールドシリーズを体験
旅の終わりに日本に向かう飛行機の中で今回の経験を振り返る。まるで何かに導かれたかのように実りの多い旅となったことに感謝していると、2時間半足らずのフライトでまもなく成田空港に着陸だ。
昨年に続いて今年も「TransJeju by UTMB」に参加した。選手としてレースに参加しただけでなく、今回はDEEP JAPAN ULTRA 100の主催者としてブースを出展した経験もあわせて振り返ろう。
スタートとコース:進化を続ける大会運営
今回参加した2024年大会はこれまでのTransJeju by UTMBと比べて大きく大会として進化していた。
全ての選手にとって朗報となったのはスタート方式の見直しだ。昨年までは、50Kの上位を走る選手が、先にスタートしている100Kのランナーがコース上で渋滞しているところに巻き込まれる、という問題が発生していた。今年はスタート時間をずらすといった工夫によりこの問題は解消され、50Kの選手にとってはスムーズなレース展開が可能となった。

フィニッシュ地点に近いセグメントでコースが変更されたことは、100Kと50Kの両方のレースで、特に上位を目指すアスリートが待ち望んでいたことだった。これまでのコースではレース終盤の残り10kmというところで片側3車線以上の道路を横断するのだが、チェジュ島の交通事情により、選手はここで信号待ちをする必要があったのだ。昨年は実際にこの信号待ちをきっかけにトップ3に入る選手の入れ替わりがあったと聞く。今年はコースを一部変更して100Kは107km、50Kは58kmとすることで、距離は長くなったものの信号待ちがなくなった。これで国際的な競技イベントにふさわしい公平な競技条件となった。
競技日程やコースの変更に伴う主催者の負担がしばしば参加者の想像を上回ることは、私もたびたび経験している。それだけにより魅力的な大会を作ろうという主催者チームの熱意を感じた。

規模を増したエクスポ会場にDEEP JAPAN ULTRA 100として出展
今回は選手としてレースを走るのに加えて、私が日本で手がけているDEEP JAPAN ULTRA 100の主催者として、TransJeju bu UTMBのエキスポ会場に出展することもミッションとなっている。今回は成田空港からの直行便に乗ることでわずか2時間50分でチェジュ島に到着。大会の三日前にはチェジュ島の会場に入り、会場で選手の皆さんを待ち構える。
エキスポ会場は昨年より規模が大きくなっており、UTMBワールドシリーズの創設者であるカトリーヌ・ポレッティとミシェル・ポレッティの夫妻や、韓国観光公社の担当者も視察に訪れていた。大会前日には、世界各地から参加するトップ選手によるプレスカンファレンスや歓迎イベントが開催され、会場の熱気も一際高まっていた。

UTMBワールドシリーズのシリーズ戦となったことで、この大会は韓国で最も国際的なトレイルランニングイベントという地位を築いているといい、特に日本や香港、シンガポールをはじめとするアジア各国から多くの参加者を集めている。DEEP JAPAN ULTRA 100をますます国際的な大会へと育てたい私にとって、参加者に直接話せて生の声を聞ける今回のブース出展は貴重な機会となった。

ハルラ山の自然を駆け抜けるレース本番
大会当日となり、今度はアスリートとしてレースを走る。今回も昨年と同じく50Kのレースを選んだ。午前5時40分に100Kの約900名のスタートを見送り、その20分後には私も約1,600名のランナーとともに、ハルラ山が作り出した壮大な自然へと進む50Kのコースへと踏み出した。

コースは序盤のロードからトレイルへと変わってからも緩やかな登りが続き、徐々に傾斜を増していく。中盤以降は、急峻な登山道や火山岩が露出したテクニカルなセクションが待ち受けている。特に、Jeju50Kのコースには、ゴツゴツした溶岩が転がる間を標高差1,100mも一気に下る箇所がある。ここでは慎重な足運びが強いられる。

今年の天候は昨年とは大きく異なり、快晴で気温も24℃を超える暑さとなった。このコンディションではランナーは脱水症状やエネルギー不足に注意する必要がある。私もエイドステーションではフラスクに合わせて1リットルの水を補給し、そこにKODA NUTRITION ELECTROLYTES POWDER MATCHAを500MLあたり1包溶かしたほか、コース上では30分おきにKODA NUTRITION ENERGY GELを摂取した。あとで数えたところ、今回はフィニッシュまでに3.5リットルの水分と12個のジェルを摂っていた。

火山岩や樹林帯の間に現れる急勾配の登りを進むうちに、今回コースが変更されたセクションにやってきた。普段は水の流れない涸れ川に降りて登って、最後は舗装路でワールドカップスタジアムでゴール。達成感あふれる、6時間40分、総合19位での完走だった。

レース後はチェジュ島の魅力を訪ねるひと時を過ごす
レースを終えた後はチェジュ島ならではの観光やグルメを楽しむ。大会会場のある島の南部から、空港のある北部のチェジュ市に移動し、市街地に近いイホテウビーチや龍頭岩を訪れ、カフェでのんびりと過ごす。また、東門在来市場では、地元の人々の活気に触れ、チェジュ島の文化を肌で感じることができた。

続いてはグルメを楽しもう。私のおすすめはアワビのピビンパ。これは亜鉛を摂ることができるのでリカバリーには最適だ。生きたタコやアワビがたっぷり入った海鮮鍋は、レースで消耗した体に最高のエネルギーを与えてくれた。

最終日の夜には、大会主催者のアンさんとともにカンジャンケジャン(ワタリガニの醤油漬け)の名店へ。アンさんから地域の歴史や暮らしの変遷、兄弟姉妹の活躍ぶりを聞くうちに、自分の中でチェジュ島への愛着が増していくのがわかる。私にとって、地元の人と過ごす時間こそ、旅の醍醐味であり人生を豊かにしてくれる経験なのだ。

TransJeju by UTMBで学んだこと
日本で大会を主催している私にとって、TransJeju by UTMBから学ぶことは多い。大会が成長するにつれて資金や人材集めで苦労することもある、という課題もアンさんから聞いて、なるほどと共感する。それでも、この大会はアジアにおけるUTMBワールドシリーズの主要なイベントとして、着実に成長を続けている。
日本からほど近いチェジュ島で、美しい自然、温かい人々との交流、そして巨大な火山が作り出したハードなコースがあなたを待っている。TransJeju by UTMBでの経験は、きっとあなたの人生において忘れられないものとなるに違いない。