トレイルランニングの世界で近年、そのユニークな挑戦で注目を集めるのが南圭介 Keisuke MINAMI さんです。バックパッカーとして世界を旅し、トランスミュージックとダンスに没頭した日々を経てトレイルランニングに出会います。2017年に初めてのレース、北海道トレイルランニング in ルスツの60kmで優勝すると、わずか数年で国内外のロングレースで活躍。その中にはヨーロッパアルプスの400kmにも及ぶレースも含まれます。
そして南さんは2024年秋、フランスとスペインにまたがるピレネー山脈を貫くロングトレイル「GR10」のFKT(Fastest Known Time、最速記録)に挑戦します。この挑戦は大西洋岸から地中海岸まで、距離914km、累積標高差51,400mを9日余りで走破することを意味します。
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この挑戦の模様は、パタゴニアによりドキュメンタリー映画『Chasing South』として記録されました。映画は単なる挑戦の記録にとどまらず、南さんの過去や内面にも深く迫り、「解放」というテーマを浮かび上がらせます。
今回、映画の公開にあわせてDogsorCaravanでは南圭介さんにインタビューを行いました。GR10への挑戦を決意した経緯、壮絶な挑戦の中で見えたもの、映画制作への思い、そしてトレイルランニングと環境保全活動にかける未来への展望を伺いました。
(写真・ピレネー山脈、GR10のFKTに挑戦中の南圭介。Photo by Patagonia)
旅とダンス、そして怪我が生んだトレイルランニングとの出会い
DC(DogsorCaravan):南さんはトレイルランニングを始めるまでの経緯もユニークだと伺いました。GR10という過酷な挑戦に至るまでの道のりを教えてください。

南圭介(トレイルランナー):北海道出身。自らの限界を押し広げるため、より長く、より過酷なトレイルを求めて世界を駆け巡る。トレイルを走っていないときは、東京から遠く離れた小笠原諸島で、外来生物の侵入を防止する柵の施工や、海洋ゴミの清掃など、環境保全活動に取り組んでいる。
南圭介さん(以下、南): もともと僕は走ることに全く興味がなかったんです。トレイルランニングを始める前は、世界中の音楽フェスやパーティーを巡る旅をしていました。それが自分の旅のスタイルだったんですが、次第に何か違うなと感じるようになって。日本に帰国し、冬の間は小笠原で環境保全の仕事をするようになりました。そして、もっと環境負荷が少なく、ダイレクトな旅をしたいと考えたとき、トレイルランニングが浮かびました。
決定的なきっかけは、小笠原での仕事中に怪我をして手術を受けたことです。術後の痛みに眠れない夜、テレビでイギリスの過酷な冬のウルトラレース「Spine Race」のドキュメンタリー(NHK BS「グレートレース」)を見たんです。幻覚を見ながらも走り続ける選手たちの姿に衝撃を受けて。「すごい世界だな」と。
昔から、アマゾンの部族が何日も踊り続けて神と交信するとか、ドラゴンボールのスーパーサイヤ人のような人知を超えた力にすごく興味があったんです。ノンストップで踊り続けるパーティーと、限界を超えて走り続けるウルトラレースの世界が、僕の中でつながった瞬間でした。
DC:そこからすぐに走り始めたのですか?
南: 手術後のリハビリが終わったのが5月末。そこからトレーニングを始めて、9月末の北海道のレースに出場しました。「北海道で一番きついレース」という謳い文句に惹かれて(笑)。初めてのレースだったんですが、優勝することができました。
DC:未経験からわずか4ヶ月のトレーニングで優勝とは驚きです。それまでの旅やダンスの経験が活きたのでしょうか?
南: そうですね。バックパッカーとして20kg以上の荷物を背負って旅をしていましたし、一晩中踊り続けるにも体力が必要なので、軽いジョギングや筋トレはしていました。知らず知らずのうちに、走るための基礎体力は養われていたのかもしれません。体を動かすこと自体が好きだったというのもありますね。
なぜ914kmのFKTへ?「本当のスタート地点に立てた」
DC:初めてのレースで優勝し、その後も国内外の100マイルレースなどで経験を積まれていますが、今回、レースではなくFKTという形式で、しかも900kmを超えるGR10に挑戦しようと思ったのはなぜでしょうか?
南: トレイルランニングを始めた当初は、街から街へとつなぐ旅のようなスタイルをイメージしていました。でも、レースに出たり山でトレーニングしたりするうちに、もっと山の中で、自分の限界に挑戦したいと思うようになりました。FKTという分かりやすい目標を掲げて、自分の限界点で目指すスタイルに惹かれていったんです。
今回のGR10挑戦は、僕にとっては「やっと始まった」という感覚です。ロングトレイルやFKTの世界への、本当のスタート地点に立てたと思っています。
最終的な目標は、ネパールの「グレート・ヒマラヤン・トレイル」のアッパールート(約1700km、標高3000〜6000m)を踏破することです。その最初のステップとして、なじみのあるヨーロッパのロングトレイルに挑戦したいと考えました。バックパッカー時代も、夏はヨーロッパ、冬は南米という旅を繰り返していましたし、ヨーロッパのレースにも出場していましたから。友人に聞いて、ピレネー山脈を横断するGR10を知り、最初のチャレンジに決めました。
「メキメキ」と音がするほどの痛みと、「自分との約束」
DC:914km、累積獲得高度5万m超を10日弱で踏破するというのは想像を絶する挑戦です。映画でもその過酷さが伝わってきました。特に苦しかったことは何でしたか?
南: 苦しかったことだらけでした(苦笑)。肉体的なキツさも相当なもので、特に4日目(約400km地点)以降は、少し立ち止まっただけで全身がガチガチに固まってしまう。次の一歩を踏み出すと、固まった筋肉が無理やり動かされて「メキメキ」と音が聞こえるほどの激痛が走るんです。あんな痛みは初めてでした。
でも、不思議なことに、そんな痛みの中でも、一歩、二歩と踏み出すと、三歩目にはまた走れるようになることもある。かと思えば、1時間も2時間も全く動けなくなる時もある。その違いは何かと考えたら、結局は「心」なんです。心がゴール地点となるバニュルスの街に向いているときは、すぐに走り出せる。でも、疲れや体のサインに心が負けて、スタート地点のアンダイエの方に戻ってしまっているときは、体が動かなくなる。
一番難しかったのは、その気持ちのコントロールでした。後ろ向きになった心を、どうやって現在地に戻し、ゴールの方向へ向かわせるか。僕の中には「自分で決めたんだからゴールまで行く」という自分と、「もうどうでもいいじゃん」という自分が同時にいました。ひたすら「決めた自分との約束を守るんだ」と言い聞かせて、常にゴールを目指す選択をし続けるように頑張っていました。
サポートクルーはもちろん、途中で出会うハイカーたちの応援も大きな力になりました。挑戦前にインタビューした「トランスピレネア」レースの主催者、シリルさんに「とにかく気持ちを強く持て。ロングトレイルはそれしかない」と言われた言葉も支えになりましたね。GR10のハイカーコミュニティにも僕の挑戦が伝わっていて、「お前か、日本人は!」と多くの人が励ましてくれました。
極限状態で見えた景色と、撮影を通じて経験した「いい意味のプレッシャー」
DC:ピレネー山脈の壮大な景色も映画の見どころの一つですが、その景色は南さんを助けてくれましたか? それとも厳しい自然は心をくじく方向に働きましたか?

南: ピレネーは、西からバスク地方、ハイピレネー、アリエージュ、そして東の地中海側と、エリアごとに山の表情が全く違います。牧草地が広がるのどかな山もあれば、岩場の多い険しい山、アップダウンが延々と続く山もある。湖がたくさんある美しいエリアもありました。その変化に富んだ景色はもちろん力になりました。
でも、一番印象に残っている景色は、4日目に完全に動けなくなった時に見たものです。GR10で一番標高が高い峠でたくさんのハイカーに応援されて、「よし行くぞ!」と下り始めた直後、20分ほどでパッタリと体に力が入らなくなってしまって。気持ちはゴールに向いているのに、体だけが動かない。何度もトレイルに寝転がって空や景色を見ました。キラキラ光る湖面、太陽に照らされて輝く枯れ草。すごくきれいだった記憶はあるんですが、僕の体は完全にゼロの状態でした。あの極限状態で見た景色は、今でも鮮明に覚えています。
DC:今回の挑戦はパタゴニアの映画として撮影されることも決まっていました。それはプレッシャーになりましたか? それとも力になりましたか?
南: もちろん、ものすごいプレッシャーでしたよ。「僕なんかでいいの?」って。でも、「絶対に完走しないといけない」というプレッシャーよりも、この挑戦や映像を通して、誰かに勇気を与えたい、何かに挑戦するきっかけになってほしい、という思いの方が強かったんです。
僕自身、井原知一(トモ)さんの「メインクエスト」という映像作品を見て、「僕ももっとやれるはずだ」と強く思わされました。だから、僕の挑戦が、今迷っている人や一歩踏み出せない人の背中を少しでも押せたらいいな、と。そういう意味では、撮影は僕にとって「いい意味でのプレッシャー」をかけてくれたし、完走への力にもなりました。
映画で語った葛藤と「解放」への思い
DC:映画では、GR10の挑戦だけでなく、南さんの過去の経験や内面の葛藤にも触れられています。ご自身のことをここまでオープンに語るには、大きな決意が必要だったのではないでしょうか。映画のテーマである「解放」にもつながる部分かと思います。
南: 確かに、表に出さなくてもいいことだとは思いました。でも、自分の中で整理したいという気持ちもありましたし、同じようなことで悩んでいる人もいるんじゃないかと思ったんです。
映画で語っている、僕にとって大切な人との約束も、今回のFKTをやり遂げる上で非常に大きなモチベーションでした。その人との約束、そして自分自身との約束。それを絶対に破りたくなかった。その思いが、自分の中にあるものを正直に出すことにつながったんだと思います。
FKT挑戦の裏側:トレーニング、装備、そしてピザ
DC:これだけの挑戦をするには、入念な準備が必要だったと思います。トレーニングや装備、補給などで特に重要だった点は?
南: 900km以上を走り切る体を作るために、トレーニングはかなり積みました。ヨーロッパでの200マイルレース出場も、GR10に向けた練習の一環と位置づけていました。おかげで、完全に足が潰れるということはなかったですね。
装備で言えば、挑戦の10日ほど前にヨーロッパが寒波に見舞われ、標高1500mで20cmも雪が積もったんです。急遽、後から来る撮影クルーに頼んで、マイナスの気温にも対応できるウェアを追加で日本から持ってきてもらいました。実際、吹雪くこともあったので、これは正解でした。
補給食は、僕は基本的に何でも食べるスタイルです。特にピザが好きで、挑戦中もよく食べていましたね(笑)。途中のレストランで出されるローカルフードもしっかり食べていました。食べるのが大好きなんです。それが長距離を走り続ける上でのエネルギー源になっていたと思います。
小笠原での環境保全活動とトレイルランニング
DC:南さんはトレイルランナーとしての活動と並行して、冬の間は小笠原で環境保全活動をされているそうですね。具体的にどのような活動をされているのですか?
南: はい、トレイルランニングを始める前から関わっています。一つは、父島の隣にある無人島・兄島で、固有種を守るための外来種(グリーンアノールというトカゲ)侵入防止柵の設置作業です。もう一つは、現地のNPO法人での海洋ゴミの清掃活動や、その問題についてのレクチャーなどです。
最近では、その活動にトレイルランニングを組み合わせて、ゴミを拾いながら走るイベントを子供たちや学生向けに開催しています。自然の豊かな小笠原ですが、走るのが苦手という子も多いんです。でも、トレイルなら自分のペースで走れるし、起伏もあって楽しい。ゴミ拾いも結構な体力を使うので、体力作りにもなります。「走って初めて楽しかった」と言ってくれる子もいて、少しずつですが、走ることや自然を守ることの魅力を伝えていきたいと思っています。
次なる挑戦はアメリカへ、そしてヒマラヤへ
DC:GR10という大きな挑戦を経て、今後の展望について聞かせてください。トレイルランナーとして、また環境保護活動家として、どのような未来を描いていますか?
南: トレイルランニングに関しては、GR10はあくまでスタートだと思っています。これから世界中のロングトレイルに挑戦していきたい。次に考えているのは、アメリカの「アパラチアン・トレイル」(約3,500km)です。スコット・ジュレックの本(『NORTH 北へーアパラチアン・トレイルを踏破して見つけた僕の道』スコット・ジュレック著、栗木さつき訳、NHK出版、2018)に感化されてしまって(笑)。実は北米大陸は僕が行ったことのない唯一の大陸なんです。そして、最終目標である「グレート・ヒマラヤン・トレイル」へと、少しずつ距離を伸ばし、厳しい挑戦を続けていきたいです。
環境保護活動も、引き続き小笠原での固有種保護や海洋ゴミ問題の啓発に取り組んでいきます。小笠原はアオウミガメの日本最大の産卵地でもあるので、ゴミの誤食などで命を落とすウミガメを守る活動にも、もっと力を入れていきたいですね。動物が好きなので。
映画『Chasing South』に込めたメッセージ
DC:最後に、これから映画『Chasing South』をご覧になる方へメッセージをお願いします。
南: GR10の挑戦後半は、本当に次の一歩を踏み出すのが辛い瞬間が何度もありました。朝、ホテルのドアを開けて大雨が降っていると、心底外に出たくないと思ったり。でも、そんな時でも、勇気を出して一歩踏み出すと、意外と体が動き出すこともあるんです。
映画を通して、そんな葛藤や、それでも前に進もうとする姿を感じてもらえたら嬉しいです。そして、皆さんが今やっていることや、これから挑戦したいことの、ほんの少しでも糧になればいいなと思っています。ピレネー山脈のエリアごとに移り変わる美しい景色も、ぜひ楽しんでください。
DC:南さんの挑戦はまだ始まったばかりですね。これからのご活躍も楽しみにしています。本日はありがとうございました。
南: こちらこそ、ありがとうございました。
映画『Chasing South』の上映情報
南圭介さんのGR10 FKT挑戦を追ったドキュメンタリー映画『Chasing South』は、今後各地での上映イベントが予定されています。詳細については、パタゴニアのウェブサイトやSNSなどでご確認ください。
- フィルムの公式ページ:https://www.patagonia.jp/stories/chasing-south/video-159803.html
- 自主上映イベントの日程(本稿公開後も自主上映イベントが各地で開催される予定、詳細は上のリンクをご覧ください)
- cafeマシコビト(栃木県)日程:4月20日
- moderate(三重県)日程:4月27日(土)
- Outdoor Speciality MOOSE 植田本店 日程:4月30日(水)
- ITJ BASE(静岡県)日程:5月5日(日)
- TRAIL HUT(北海道)日程:5月11日(日)
- アウトドア・宿マンディル(北海道)日程:5月18日
- SALLYS RUNNING DEPT.(富山県)日程:5月21日
(協力・パタゴニア)














