富士山の麓に位置する山梨県富士吉田市はMt. FUJI 100や富士登山競走の開催地として、トレイルランナーには馴染み深い街です。DogsorCaravanにとってもこの街はもっぱら富士山の周りを走るための玄関口です。正直にいえば、この街が1000年以上続く織物の産地であり、今なおその歴史が色濃く残っていることを意識することはありませんでした。
2025年11月22日(土)から12月14日(日)まで開催されている「FUJI TEXTILE WEEK 2025(フジテキスタイルウィーク)」は、まさにその「織物(テキスタイル)」をテーマにした国内唯一の布の芸術祭です。2021年に始まり、今回で4回目となるこのイベントでは、国内外のアーティストがこの街に滞在し、地元産業と対話しながら作り上げた作品が、かつての織物工場や倉庫、古民家といったユニークな会場に展示されています。
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今年のテーマは「織り目に流れるもの(What Flows Beneath the Weave)」。
富士山の伏流水が地下を脈々と流れるように、街の表層の下には歴史や人々の営みの気配が流れています。それらをアートを通じて感じ取る体験は、トレイルで見えない自然の息吹を感じ取る感覚と共鳴します。
DogsorCaravanは11月21日(金)に開催されたメディア内覧会に参加してきました。ランナーにとってはオフシーズンのこの季節に、あえて富士吉田を訪ねて、街の路地裏へ足を踏み入れるのは、新鮮な経験でした。
(表題写真・安野谷昌穂《寛厳浄土》 Photo Shuhei Yoshida, Keigo Suzuki / Courtesy of FUJI TEXTILE WEEK)
イベント開催概要
まずは、旅の計画に必要な基本情報を押さえておきましょう。
- 名称: FUJI TEXTILE WEEK 2025
- 会期: 2025年11月22日(土)〜 12月14日(日)
- ※休館日:11月25日(月)、12月1日(月)、12月8日(月)
- 開催時間: 10:00 〜 17:00(最終入場は16:30まで)
- 会場: 山梨県富士吉田市下吉田本町通り周辺地域
- チケット料金(鑑賞パスポート): 一般 1,200円(前売 1,000円)/ 大学生・高校生 800円(前売 600円)/ 中学生以下 無料
- 公式サイト: https://fujitextileweek.com
会場は富士急行線「下吉田駅」や「月江寺駅」から徒歩圏内に点在しており、街歩きを楽しみながら回遊できる設計になっています。
「見えないもの」を可視化する試み:内覧会レポート
澄み渡る青空の下、富士山を仰ぎ見る会場でメディア内覧会は始まりました。印象的だったのは、主催者の皆さんの言葉から滲み出る、この街への深い愛情と危機感、そしてアートへの信頼です。

メイン会場であり総合案内所となる「旧山叶」。Photo by DogsorCaravan
雪のない富士山と、街のアイデンティティ
冒頭、富士吉田市富士山課長の 勝俣美香 Mika Katsumata 氏はこう切り出しました。「今日は朝から富士山が綺麗に見えていますが、例年なら五合目まで雪がある時期にもかかわらず、今年は雪が少ない。温暖化の影響を肌で感じ、地元としては寂しさも感じています。」
変わりゆく気候の中で変わらずそこに在る富士山。勝俣氏は、かつて「甲斐絹(かいき)」や羽織の裏地で隆盛を極めたこの街が、安価な輸入品の台頭やOEM生産への移行によって「名前のない産地」になってしまった歴史を語りました。
「何とかこの街の名前を残したい。その思いから始まったのがこのアートイベントです。最初は小さなマーケットから始まりましたが、人の運と縁に支えられ、ここまで大きくなりました」
ボトムアップで生まれた、稀有な芸術祭

実行委員会会長の南條史生氏。Photo by DogsorCaravan
続いて登壇した実行委員会会長で、森美術館元館長としても知られる 南條 史生 Fumio Nanjo 氏は、この芸術祭の特異性を強調しました。
「多くの芸術祭は行政のトップダウンで始まりますが、ここは違います。地域に移住してきた人々や地元の人々が『何かやりたい』と声を上げ、下から湧き上がるようにして始まった。これは非常にユニークで、日本の地方創生の重要なモデルケースになるはずです」
南條氏は、朽ちてしまったかつての銀行の跡地がカフェや展示スペースとして再生された例を挙げ、アートが街の風景や経済に具体的な変化をもたらしていることを示唆しました。
「全員新作」という挑戦

キュレーションを担当した丹原健翔氏。Photo by DogsorCaravan
今回のアート展のキュレーションを担当した 丹原 健翔 Kensho Tambara 氏は、今回の展示の質の高さについて自信を覗かせました。
「今回は隔年開催となったことで、1年という十分な準備期間を持てました。参加するアーティスト全員が現地に滞在し、リサーチを行い、新作を発表しています。これは芸術祭としては非常に珍しく、贅沢なことです」
テーマである「織り目に流れるもの」には、織物の糸と糸の隙間を流れる水や空気のように、目に見えないけれど確かにそこにある気配を感じ取ってほしいという願いが込められています。
ここからは、実際に内覧会で巡った作品の中から、筆者の心に残った3つの展示をピックアップしてご紹介します。
圧倒的な「時」の集積と洞窟体験
相澤 安嗣志 Atsushi Aizawa (JPN) 《How The Wilderness Thinks》
会場:旧山叶
総合案内所も兼ねるメイン会場「旧山叶(きゅうやまかの)」は1872年に金物業として開業し、後に機織機や撚糸機を扱う企業の建物です。2023年3月に廃業となりましたが、今も50年以上前に儲けらえた暖房用ボイラーの煙突が残る、産業の記憶を宿す空間が広がります。
その扉をくぐると、そこには圧倒的な密度の空間が広がっていました。天井から吊るされているのは、およそ800枚にも及ぶ絹の布。これらはすべて、富士吉田の機屋(はたや)で眠っていたデッドストックの生地であり、地元の染色工場で染め上げられたものです。相澤 安嗣志 Atsushi Aizawa 氏は、富士山の自然、特に噴火によって形成された溶岩洞窟「胎内樹型」からインスピレーションを得たといいます。

相澤安嗣志《How The Wilderness Thinks》 Photo Shuhei Yoshida, Keigo Suzuki / Courtesy of FUJI TEXTILE WEEK
「富士山には、登山をする前に胎内樹型という洞窟に入り、身を清めて生まれ変わる『胎内めぐり』という信仰の儀式がありました。その体験をこの場所で作り出せないかと考えました」
幾重にも重なる布の層は、まるで森の木々のようでもあり、染色工場で反物が干されている風景のようでもあります。中に入ると、外の音が遮断され、布が作り出す独特の静寂に包まれます。
特筆すべきは、使用されているデッドストック生地が孕む「時間」です。芯材として使われていた新聞紙の日付は1970年代のものもあったといいます。新品の布ではなく、かつて誰かが織り、倉庫で眠り続けてきた布を使うこと。それは、この街の産業が積み重ねてきた膨大な時間を可視化する行為に他なりません。

相澤安嗣志《How The Wilderness Thinks》 Photo Shuhei Yoshida, Keigo Suzuki / Courtesy of FUJI TEXTILE WEEK
私も富士山のトレイルを走る途中で風穴や氷穴に入ってひんやりとした空気を経験したことがあります。この作品の中を歩くと、その時の神秘的な感覚を思い出しました。
古民家に寄生し、増殖する「執念」
松本 千里 Chisato Matsumoto (JPN) 《Embracing Loom》
会場:旧糸屋
明治時代から続く元呉服店の建物が「旧糸屋」です。その重厚な梁(はり)が残る空間で、異様な存在感を放っていたのが 松本 千里 Chisato Matsumoto (JPN) 氏のインスタレーションです。

松本千里《Embracing Loom》 Photo Shuhei Yoshida, Keigo Suzuki / Courtesy of FUJI TEXTILE WEEK
空間の中央には、かつて使われていた古い織機が置かれ、そこから天井や柱に向かって、絞り染めの途中でできる生地のねじれをイメージしたという布の造形が無数の触手のように伸びています。あるいは、柱から滲み出た何かが織機を絡め取ろうとしているようにも見えます。
松本氏は、一つひとつ手作業で絞るという気の遠くなるような行為について、こう語ります。
「絞りという行為には『祈り』が込められていると言われますが、私はそれ以上に、崩れかけているものを留めようとする『執着』や『執念』のようなものを感じます。それは愛情を超えた、ドロドロとした強い思いです」
制作当初はなかなかイメージが固まらなかったという松本氏ですが、この場所で過ごし、近隣住民からかつてこの場所が地域にとって重要な社交場であった話を聞くうちに、「この子たち(作品)が何をしたいのか分かってきた」と言います。

松本千里《Embracing Loom》 Photo Shuhei Yoshida, Keigo Suzuki / Courtesy of FUJI TEXTILE WEEK
「この土地や人々を支えてきた営みを、大事に絡め取って形に残そうとしている。勝手に増殖し始めたような感覚でした」
美しくもありながら、どこか背筋がゾクリとするような生命力。自然の摂理としてそれを見ることはあっても、人の営みが染み込んだ古い建物の記憶が具現化したかのような、この展示には鮮烈なインパクトを感じました。
聖と俗、極楽と地獄の境界線
安野谷 昌穂 Masaho Anotani (JPN) 《寛厳浄土》
会場:旧糸屋
「旧糸屋」の奥に位置する、かつて呉服商の家族が暮らしていた居住スペースに進むと、空気は一変して静謐なものになります。ここで展示されているのが、安野谷 昌穂 Masaho Anotani (JPN) 氏の作品群です。

安野谷昌穂《寛厳浄土》 Photo Shuhei Yoshida, Keigo Suzuki / Courtesy of FUJI TEXTILE WEEK
床の間のある和室や、日当たりの良い広縁。生活の匂いが残る空間に、ニードルパンチという技法で制作された平面作品が配置されています。遠目には抽象的な絵画に見えますが、近づいて見ると、ネクタイの端切れなど、この地域で集められた素材が無数に打ち込まれていることがわかります。
タイトルの「寛厳(かんげん)」とは、「緩やかさ(寛)」と「厳しさ(厳)」のことです。
「富士山は観光地として『極楽』のような華やかな面を見せますが、山そのものは厳しい自然環境という『地獄』の側面も持っています。その表裏一体の世界観を表現しました」

安野谷昌穂《寛厳浄土》 Photo Shuhei Yoshida, Keigo Suzuki / Courtesy of FUJI TEXTILE WEEK
そう聞いて、筆者は富士山でトレイルランニングをするときに感じることと重なっていると思いました。麓から見る美しい富士山と、自らの足で登る際の過酷な急登や荒々しい岩肌。今までに見た富士山のさまざまな姿とその時の思い出が、安野谷氏が描く「赤富士」や「黒い富士」、そして植物とも内臓ともつかない有機的なモチーフから蘇ってきます。
作家自らが雑巾がけをして清めたというこの空間は、鑑賞者が座ってくつろぐことも許されています。縁側に座り、庭からの光を感じながら作品と対峙する時間は、安らぎと没入感を与えてくれます。
街のもう一つの顔を走るように知る
「FUJI TEXTILE WEEK 2025」を巡って感じたのは、これが単なる現代アートの展覧会ではなく、富士吉田という街の地層を掘り起こす旅だということです。
私たちが普段、レースや練習で走り抜ける道路のすぐ脇には、かつての職人たちの息遣いや、産業の興亡、そして富士山と共に生きてきた人々の祈りが、今も静かに息づいています。そうした場所に繰り広げられたアート作品は、そうした目に見えない地下水のような「流れ」を、それぞれの流儀で可視化する装置として機能していました。
もし富士吉田に行くのは夏に富士山に行くためだけだったら、この冬にぜひ富士吉田を訪れてみてはいかがでしょう。ゆっくり街を歩きながら眺めるアートは、きっと普段とは違うインスピレーションを与えてくれるはずです。

紅葉の美しい富士吉田市内でした。Photo by DogsorCaravan
そして、アートを通じて街のもう一つの顔を知った後で、この街や富士山のトレイルを走るときには、足裏から今までと一味違う、深くて温かい感触を感じるかもしれません。














