1978年、パキスタンの山奥、標高約5,000メートルのK2ベースキャンプ。カメラに向かって力強く親指を立てる一人の登山家の足元には、雪山にはおよそ不釣り合いな「黄色いスニーカー」がありました。
この1枚の写真こそが、後に世界中のアウトドア・ファンを熱狂させるナイキの「ACG(All Conditions Gear)」の真の始まりだったことを知る人は、今では少ないかもしれません。重厚なレザーブーツが常識だった時代に、なぜ彼らはナイキのランニングシューズで世界最高峰に挑んだのか。そこには、現代のトレイルランニングにも通ずる「革命的な発想」が隠されていました。
Sponsored link
(写真 1978年、写真家ダイアン・ロバーツがK2ベースキャンプで撮影したリック・リッジウェイとジョン・ロスケリーの足元には、ナイキのシューズがあった。)
意外なスポンサーシップと、110マイルの実験
当時、ナイキはまだアウトドア市場とは無縁のブランドでしたが、K2遠征隊に対し、ベースキャンプまでの110マイル(約177キロ)に及ぶ過酷なアプローチを支えるための軽量なトレーニングシューズをひそかに提供していました。それが、当時の長距離ランニングにおける最高峰モデルの一つ「LDV(ロング ディスタンス ベクター)」でした。

LDVはビル・バウワーマンと、オレゴン州ユージーンの整形外科医デニス・ヴィクシーによって設計された、軽量でストレートラスト構造のスタビリティ ランニングシューズ「ナイキ LD-1000」をベースとしていた。
この遠征に参加した一人であり、当時を代表するアメリカのアルパインクライマーとして知られた リック・リッジウェイ Rick Ridgeway は、その想定外の使い心地を次のように振り返っています。
「ほとんどがオフトレイルでした。到着する頃には(シューズが)かなりボロボロになっていたことは想像できると思います。しかし、LDVの良いところは、岩の上を跳ねるように移動できたことです。荒れたトレイルで岩を飛び移る際も、従来の硬く重い登山靴よりはるかに動きやすく、機能的にも優れていました。」
このエピソードからわかるのは、過酷な挑戦に挑む冒険家たちの既成概念に囚われない「機能性への信頼」です。ボロボロになりながらも、超一流のクライマーたちがスニーカーの「軽さ」と「柔軟性」を認め、それが伝統的な登山靴を凌駕する武器になることを身をもって証明した。これこそが、ACGが誕生する最初の火種となったのです。

LDVは当時のナイキを代表する長距離ランニング シューズの1つ。登山用ではなかったが、軽さ、スピード、快適性を重視して作られていた。
「Light is Right」——走るための知恵が山を変えた
帰国後、登山家たちはボロボロになったLDVをナイキに郵送しました。そこには、軽量性を保ちつつ耐久性を高めるための具体的な提案リストが添えられていました。この現場の声が、ナイキのデザインチームの魂に火をつけます。
「軽いことこそ正しい」という思想。それはナイキの共同創業者であるビル・バウワーマン Bill Bowerman がランニングの世界で追求し続けてきた哲学そのものでした。1981年、その思想は「ラバドーム」「アプローチ」「マグマ」という3つのモデルとして結実します。特に「アプローチ」は、ナイキで初めてGORE-TEXを採用したシューズであり、その設計思想は後にバスケットボールの名作「エア フォース 1」にも影響を与えたという事実は、プロダクトの進化がジャンルを越えて繋がっていることを示唆しています。

ナイキ初期の軽量ハイキングシューズ、ラバ ドーム。1989年のACGデビュー以前に発売された製品の一つ。

ナイキ アプローチは1982年に発売。ナイキの初期のハイキングシューズ3モデルの1つ。
1989年、ACGの正式な産声と「本物」へのこだわり
1980年代半ばまで、ナイキのアウトドア製品は「名称を持たない分散したプロジェクト」でした。それが1989年、ついに「あらゆる天候に対応する」という決意を込めた名称、「ACG(All Conditions Gear)」として統一されます。

1984年発売の「エスケープ」は、初期サンプルがランナーから即座に高い評価を得たといい、ナイキが正式にトレイルランニングへ参入する節目となった。
ブランドの立ち上げにあたり、チームが最もこだわったのは「本物であること」でした。最初のカタログ撮影場所に選ばれたのは、クライマーが崇拝するユタ州モアブの岩峰、キャッスルトン・タワー。このプロジェクトを主導し、現在も語り継がれるあの三角形のロゴをデザインしたのが、アートディレクターのロン・デュマス Ron Dumas でした。彼はACGの視覚的なアイデンティティを確立し、ブランドに「機能的な裏付けのある美学」を吹き込みました。

モアブのキャッスルトン・タワーズでクライマーの撮影が行われた。
「本物のブランドとして位置づけたかったのです。登山家たちにキャッスルトン・タワーに登ってもらい、私たちはヘリコプターに乗りこみました。キャッスルトン・タワーは本当に美しく、頂上にいる登山家たちは小さな点のように見えました。壮大な光景でした。」
この「高みを目指す」姿勢こそが、ACGのアイデンティティを決定づけました。初期の名作「フアスカラン・ジャケット」や「エア ワイルドウッド」には、K2から始まった「機能的ミニマリズム」と、過酷な環境で生き抜くための「システム思考」が色濃く反映されていたのです。

フアスカラン・ジャケット

マウント・セント・ヘレンズ・ジャケット

キリマンジャロ・アノラック K2
過去から未来へ:ACGが再定義するパフォーマンスの核心
今回のACG刷新は、単なるブランドの再編に留まりません。それは1978年のK2で証明された「軽量性と機動性」という原点への回帰であり、現代のテクノロジーをもってその本質を再構築する試みといえます。

K2をフィーチャーした1978年の広告
当時の広告が「登場を待っていられない人がいた」と記したように、アスリートの要求は常に既存のプロダクトの先を行っています。素材や構造が飛躍的な進化を遂げた今も、過酷な環境下で自らの限界に挑むアスリートの姿勢は、あのベースキャンプでの光景から変わることのない、ACGの核心部であり続けています。

1989年、ACGのローンチの一環として登場したエア ワイルドウッド ACG。
新たに「パフォーマンス・アウトドア・ブランド」として定義されたACGが、これからのトレイルシーンにおいてどのような役割を果たしていくのか。私たちは、その進化の過程をこれから目の当たりにするのかもしれません。
(Source: NIKE ACG)














