10月1日、スイス・バレー州警察はマッターホルンで先月に発見された遺骨がDNA鑑定の結果、四年前の2014年に登山中に遭難した日本人男性のものであることが確認されたと発表しました。同日、日本のトレイルランナーで相馬剛 Tsuyoshi Somaさんが主宰するFuji Trailheadのウェブサイトで、遺骨で発見されたのは四年前に遭難した相馬剛さんであることが発表されました。
(写真・2012年ハセツネCUPを4位でフィニッシュした相馬剛 Tsuyoshi Somaさん。All photo by Koichi Iwasa, DogsorCaravan)
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相馬さんは2014年7月にスイスで開催されたEiger Ultra Trail(アイガーウルトラトレイル)に参加し、101kmのレースであるE101で11位に。その後、7月23日にかねて計画していた単独でのマッターホルン登山へ出発しましたが、戻ることはありませんでした。
それから四年後の先月9月11日にマッターホルンへの登山の拠点であるツェルマットの山岳救助隊がマッターホルン東壁の麓で遺骨と登山道具を発見。近年、雪解けが進んでいたことが相馬剛さんの遺骨発見につながりました。
相馬剛さんは1974年北海道生まれ。海上保安庁に勤務しながらトライアスロンの選手として活躍する一方、クライミングでも国内外の難ルートを登攀。トレイルランニングを始めたのは2006年から。ハセツネCUPで二度の優勝(2007年、2011年)、信越五岳トレイルランニングレースで三連覇(2009〜2011年)など、トレイルランナーとしてその名を知られることになります。
とりわけ、2008年に国内の本格的なトレイルランニングレースとしては、初の100kmという長距離のレースとなった「OSJおんたけウルトラトレイル 100km」(現・OSJ Ontake 100)で、鏑木毅 Tsuyoshi Kaburaki、石川弘樹 Hiroki Ishikawaとともに日本を代表する3選手の一人として参戦。相馬さんが3位となったこのレースは日本におけるトレイルランニング、ウルトラランニングの歴史に残る名勝負となりました。
その後、相馬さんは海上保安庁を退職し、2013年10月に愛する富士山をフィールドにしたアウトドアガイドサービス、Fuji Trailheadを設立して独立。自ら主催するトレイルランニングツアーのほか、各種のセミナーなどを通じて走ることだけにとどまらず、富士山の魅力、山で遊ぶ楽しさ、楽しむために必要な知識やスキルを伝えることに力を注いでいました。アスリートとしての活躍に加え、Fuji Trailheadを創業して日本のトレイルランニング・コミュニティから期待されていた矢先に、40歳で名峰・マッターホルンでその生涯を閉じました。
レースに臨む選手としての相馬さんは、鍛え上げられた強靭な肉体に加え、ピンチを迎えても決して諦めない強い精神力が強みでした。結果を求めてストイックに取り組む姿勢は、周囲に話しかけるのを遠慮させるほどの緊張感を感じさせるほど。そのスタイルに多くのファンが魅了されました。しかし、実際には気さくに話しに応じたり、細やかな気遣いを見せる場面も多かったのが相馬さんでした。
四年の月日がかかりましたが、相馬剛さんはようやく家族とたくさんの仲間やファンが待つ日本に帰ってくることになります。
こちらは2012年10月にハセツネCUPの後の相馬剛さんとのインタビュー(当サイトの記事はこちら)。この前年にハセツネCUPで優勝した相馬さんはこの年は4位でフィニッシュ。レース当日まで十分コンディションを整えられなかったと話しながらも終盤までレースを諦めなかったこと、この年に優勝したダコタ・ジョーンズが更新した大会新記録に向けて挑戦を続けたい、とこの時、相馬さんは話してくれました。
相馬さん、日本でみんながあなたの帰りを待っています。どうぞ安らかに富士宮でお眠りください。