UTMFはこれからも目標でありライバルであり続ける・松永紘明 Playback UTMF 2019 第二回【PR】

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THE NORTH FACEアスリートと今年のウルトラ・トレイルマウントフジ Ultra-Trail Mt. Fuji(UTMF)を振り返る連載企画の第二回は松永紘明 Hiroaki Matsunagaさん。

日本で最も早い時期からトレイルランニングのプロ・アスリートとして活動し、UTMFは2012年の第一回大会から毎回完走していて表彰台に上った経験もあります。さらに最近では大会プロデューサーとしてUTMFに並ぶ国際的な大会を新潟県三条市で開催しています。

7回目のUTMF完走を果たした松永さんに、今年の完走について聞くところからインタビューは始まりました。

(Photo by © Sho Fujimaki / UTMF)

UTMFのコースは決して易しくない

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松永紘明(まつながひろあき)さん:1980年生まれ、静岡県出身。少年時代からサッカーに打ち込み、そのトレーニングのために山を走り始める。大学生でハセツネCUPに出場、卒業後はプロ・トレイルランナーとして国内外のレースで活躍。あわせて「トレイルランナーズ」代表として新潟県を拠点にトレイルランニングなどのアウトドアスポーツイベントの主催・プロデュースを行なっている。(Photo by © Shimpei Koseki / UTMF)

DogsorCaravan:今回でUTMFは2012年の第一回大会にはじまって7回連続の完走でした(26時間43分、32位)。今年は雨が降り続けただけでなく、寒暖の差が大きくて厳しい大会になったという声もあります。今年のレースを振り返ってどう感じますか?

松永紘明さん:2009年にUTMB®︎を完走して以来、もう10年近く100マイルのレースを走ってきました。特にUTMB®︎ではレースが中止になったかと思えば翌朝やり直しのレースがスタートしたり、一晩で120センチも雪が降って急にコースが短縮されたり、逆に長くなったり、35℃灼熱の暑さの時もあったり、といろいろな経験をしました。そうした経験はそのたびに身体の隅々に染み渡って、今の僕を作っています。だから、コースがぬかるんでいようが、雪が降ってこようが、「なんでもあり」なのが100マイルなんだと受け止めることができるようになりました。

DC:じゃあ今年のUTMFもそんなに厳しくはなかったですか?

松永さん:そうですね、想定の範囲内でした。風邪で38℃の熱が出ている状態で走ったり、野生動物に噛まれたりした海外のレースの後だったので、それに比べれば体のコンディションはよかったですし。ただ、二日目に雪が山に本格的に降る前に河口湖にフィニッシュできたので、もし本格的に降った後だったら厳しかったと思います。その後の雪の状況からすれば、コースを短縮するという大会の判断はやむを得なかったと思います。

DC:いろんなトレイルを走ってきた松永さんからみて、UTMFの難しさはどこにあると思いますか?

松永さん:UTMFは舗装路や走りやすい林道が多いといわれます。でも、だからといって楽なコースでは全くないですね。確かにロードが長く続くところもありますが、山に入ると激しいアップダウンの連続です。しかもコースになっているトレイルにはテクニカルで、十分気をつけなくてはいけないところが少なくありません。舗装道路が長くトレイル率が低くてこの累積標高ですから。でも、だからこそ完走したときの達成感も大きいんですよね(笑)。

同じトレイルランニングでも100マイルは特別な存在

DC:同じ自然の中、山の中を走るのでも、100マイルとそれ以外では違いますか?

松永さん:全く違うと言っていいと思いますね。同じトレイルランニングでもUTMFやUTMB®︎のような100マイルのレースとそれ以外では違う競技といっていいくらいです。

DC:100マイルの何がそんなに特別なんでしょうか。

松永さん:僕の経験でいえば、100マイルを走るまではトレイルランニングは「スポーツ」でした。タイムや順位を競い、トレーニングすればもっと速く走れる。でも2009年にUTMB®︎を必死の思いで完走して思い知らされたのは、これはメンタルの強さがモノをいう、ということでした。100マイルのレースの途中で潰れてしまってそこからまだ数十キロを走るなんて、何かの思いの強さがなければできません。100マイルを走るっていうのは、スポーツというよりも修行に近い。

DC:100マイルを走るようになって自分自身、何か変わったと思いますか?

松永さん:トレイルランニングの奥深さを知って、さらにのめり込むことになりました。僕は2006年からプロのトレイルランナーとして活動していますが、最初のうちは副業として冬はスキーのインストラクターもしていました。2009年にUTMB®︎を完走して、そして日本でもトレイルランニングの人気が一気に高まってからは、トレイルランニング一本でやっていこうと決意しました。人生の転機になった経験でしたね。

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Photo by © Shimpei Koseki / UTMF

これからもUTMFに挑み続ける

DC:第一回大会から毎回UTMFを走っていて、大会や参加するランナーが変わってきていると感じますか?

松永さん:トップの選手だけでなく、参加する選手全体のレベルは確実に上がってきていると思いますね。走力はもちろんですが、どんな装備が必要になるか、山で身を守るためにどう行動すべきか、といった知識や経験を備えた人が増えていると思います。大雨になった年もありましたが、そうした経験が日本のトレイルランニングを鍛えた、という面もあったんじゃないかな。

DC:これからも毎年、UTMFを走り続けますか?

松永さん:もちろんです。生きている限り、100マイルを走り続けようと思っています。プロのトレイルランナーですから、ただ完走するだけではダメ。レースに出る以上は上位を目指すつもりです。

DC:最近、地元の粟ヶ岳で国際的なスカイランニングのレースを開催されました。

松永さん:新潟県三条市の粟ヶ岳はUTMB®︎やUTMFのためのトレーニングで毎年走っていました。粟ヶ岳とその麓にある下田(しただ)の郷を、モンブランとシャモニー、あるいは富士山と河口湖のように世界の人たちに知ってもらえたらという思いで「粟ヶ岳スカイレース / MT.AWA SKYRACE」をプロデュースしています。大会プロデューサーとしてもUTMB®︎やUTMFは大きな目標なんです。

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Photo by © Shimpei Koseki / UTMF

(協力:THE NORTH FACE