今年の経験をバネにUTMB®︎では必ずリベンジする・三浦裕一 Yuichi Miura 私とUTMB®︎第六回【PR】

三浦裕一 Yuichi Miuraさんは日本のトレイルランナーの中でここ数年、メキメキとその実力を発揮するようになった選手です。特に昨年はハセツネCUPで優勝を果たし、当サイトの選ぶ日本トレイルランナー・オブ・ザ・イヤーで本賞の稲葉賞を受けています。今年春には公務員を退職してプロ・トレイルランナーとしてこれまで以上に集中して競技活動に取り組んでいます。

今年8月、三浦さんはTDS®︎に参戦。あこがれの大会の一つだったUTMB®︎の舞台に上がり前半は順調なレース展開でしたが、その後リタイアすることになりました。このインタビューでは三浦さんと今年のTDS®︎を振り返るとともに、そして今年春にプロアスリートへと転じることになった背景について聞きました。

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(写真・応援の声に応えてエイドを出る三浦裕一さん。© Nagi Murofushi)

プロトレイルランナーとなった節目の今年、TDS®︎は今年のメインレースだった

三浦裕一(みうらゆういち)さん:1987年横浜市生まれ。中学生から陸上部で活躍し、箱根駅伝を目指して國學院大へ進学するが長引くケガで目標は果たせなかった。その後、市民ランナーとして各地のマラソン大会を走るうちにトレイルランニングと出会う。2015年ハセツネCUPで2位、2016年Izu Trail Journeyで2位、2017年上州武尊山スカイビュートレイル・129kmで優勝。昨年はスカイランニング世界選手権・Ben Navis Ultraで10位、ハセツネCUPで優勝。今年2019年春に公務員を退職。これまでアスリート活動のサポートを受けてきたコロンビアスポーツウェアに入社し、プロトレイルランナーとして新しいスタートを切った。(写真・© Sho Fujimaki)

三浦裕一(みうらゆういち)さん:1987年横浜市生まれ。中学生から陸上部で活躍し、箱根駅伝を目指して國學院大へ進学するが長引くケガで目標は果たせなかった。その後、市民ランナーとして各地のマラソン大会を走るうちにトレイルランニングと出会う。2015年ハセツネCUPで2位、2016年Izu Trail Journeyで2位、2017年上州武尊山スカイビュートレイル・129kmで優勝。昨年はスカイランニング世界選手権・Ben Navis Ultraで10位、ハセツネCUPで優勝。今年2019年春に公務員を退職。これまでアスリート活動のサポートを受けてきたコロンビアスポーツウェアに入社し、プロトレイルランナーとして新しいスタートを切った。(写真・© Nagi Murofushi)

昨年のハセツネCUPで優勝を勝ち取った三浦裕一さんにとって、今年2019年は人生の転機となる年。公務員を退職してアスリート活動を中心に据えることになりました。しかしシーズンのスタートは試練で始まりました。「まずは世界が注目する日本のレースで結果を出したい」と臨んだ4月のUTMFではトップ10圏内を走りながらもコース後半で低体温症となりDNFという結果に。

「途中までは想定していた通りのペースで走っていました。ところが、山中湖のエイドにほぼ並んで入った選手たちが先にエイドを出たのをみて、焦ってエイドを出ました。この時、早朝の寒さをしのぐためのジャケットや防寒着を持たずに出発していたんです。少しでも順位を上げたいという欲が仇となりました。」

そのUTMFでの失敗を取り返そうと5月にはAso Round Trailに参加。このレースではレース序盤に左ふくらはぎに木の枝が突き刺さるというアクシデントに見舞われます。脚から血が噴き出して一人では歩けないほどの大ケガとなり、熊本から帰る際には空港で車イスを使うことになりました。

「ケガをしてから1ヶ月半ほど、全く走れませんでした。その間、何かしなくてはと上半身のトレーニングをしていましたが、不安で仕方ありませんでした。『新しい環境に思い切って飛び込んだのに、自分はもう再起不能なんじゃないか』と。」

それでも三浦さんが諦めることはありませんでした。復帰レースとなった7月の北丹沢を近藤敬仁、東徹の両選手と並んでトップで完走(記録上は2位)。続く富士登山競走では天候のため五合目打切りになったものの、五合目の自己ベストを更新して8位に。

「北丹沢では正直なところ一緒にゴールした二人にはまだ及ばなかったと感じました。でも練習をしていなかったわりには意外と走れたな、と思いましたね。」

32歳の若さゆえか、持ち前のポジティブな性格ゆえか。ケガから3ヶ月足らずで三浦さんは予定通り今年のTDS®︎に向けて日本を発ち、シャモニーに向かいました。

TDS®︎のコースの序盤を走る三浦裕一さん。(写真・© Sho Fujimaki)

TDS®︎のコースの序盤を走る三浦裕一さん。(写真・© Nagi Murofushi)

順調にスタートしたものの急に調子を崩すことに

初めてのUTMB®︎で三浦さんが選んだのはTDS®︎。「去年のレースに大瀬(和文)さんが出ていたのを知って選びましたが、距離のほかはどんなコースなのかほとんど知りませんでした。」

今年から距離が延びて145kmとなったTDS®︎のスタートは午前4時に。(写真・© Sho Fujimaki)

今年から距離が延びて145kmとなったTDS®︎のスタートは午前4時に。(写真・© Nagi Murofushi)

午前4時に暗闇のクールマイユールをスタート。朝焼けの景色を楽しみながら順調にコースを進んでいた三浦さんが不安を感じはじめたのはスタートから5時間が過ぎ、50km地点のブール・サンモーリス Bourg Saint-Mauriceのエイドに到着した時。サポートを受けてドリンクやジェルで補給したものの吐き気を感じたといいます。

「動き出せばお腹の調子も落ち着くだろう、とエイドを出ました。それでもやっぱり落ち着かなくて、エイドを出て15分もしないうちに嘔吐。それからは気持ちが悪くて手持ちのジェルもドリンクも受け付けなくなりました。後で振り返ると、日本を出て飛行機を降りたあたりから水分補給が十分でなかったかもしれません。」

50kmのエイドでサポートを受けるがこの頃から調子が崩れ始めていた。(写真・© Sho Fujimaki)

50kmのエイドでサポートを受けるがこの頃から調子が崩れ始めていた。(写真・© Nagi Murofushi)

もう少し進めばまた走れるようになるかもという願いも虚しく、少し足を速めると吐き気とめまいがして立ち止まることの繰り返し。そうするうちに今度はコース前半で石にぶつけてできた左ひざの切り傷が痛み始めます。満身創痍の三浦さんはついにボーフォール Beaufort(92km)でTDS®︎をリタイアすることになりました。スタートから16時間以上過ぎていました。

満身創痍となりながらも進み続ける。(写真・© Sho Fujimaki)

満身創痍となりながらも進み続ける。(写真・© Nagi Murofushi)

「リタイアした直後は正直なところ、もうこれ以上痛い思いをして走らなくていいんだ、とほっとしました。でも、シャモニーに戻ってから次々にゴールするTDS®︎、そしてその日の朝スタートしたOCCの選手の姿を見ていると、うらやましくなってきてフィニッシュできなかった自分が悔しくなってきました。『やっぱり我慢してこのフィニッシュゲートをくぐればよかった』と思いました。」

トレイルランナーとして自分の力を世界を相手に試したい

学生時代は箱根駅伝を目指す長距離ランナーだったものの、卒業後の三浦さんは競技からは離れていた時期もありました。大学卒業から9年後の今年春、再びアスリートとして挑戦しようとしたのはなぜだったのでしょうか。

「トレイルランニングが楽しくて、ランナー仲間の皆さんからはいろんなレースの話を聞きましたが、その時の自分の仕事では自由にレースに出るのは到底無理で諦めていました。」

転機になったのは昨年のハセツネCUPで優勝したこと。公務員の仕事を辞めればもっと自由に走って、海外も含めてもっといろんな大会に出られる。トレイルランニングでどこまでやれるか自分の力を試したい。以前から漠然と考えていたことをどうしたら現実にできるか考えるようになります。それでも趣味として取り組んでいたトレイルランニングに仕事を辞めて取り組んでいいのか、という葛藤は続きます。

「最初に相談したのは大学時代の陸上部の先輩でした。仕事を辞めるかどうか悩んでいると話したら、すぐに『じゃあ辞めちゃえばいいじゃん』。好きなことを仕事にするのは正しい判断だよ、と聞いて目の前が晴れた気持ちがしました。」

いつか必ず170kmのUTMB®︎で最高のパフォーマンスをみせたい

プロ・トレイルランナーとなって最初の海外レースにTDS®︎を選び、170kmのUTMB®︎を選ばなかったのは「UTMB®︎はしっかり準備して、最高のパフォーマンスで走りたいと思っていたから」。今回のTDS®︎を通じて、三浦さんは世界のトップ選手の実力を肌で感じることになりました。

「今回はTDS®︎を完走できませんでしたが上位に入った選手と自分の通過タイムを比べると、世界の壁は厚いと実感します。でも、海外の強い選手たちと一緒に走ってコテンパンにやられると、どうしたら勝負できるようになるだろうとやる気が湧いてきます。」

これまでハセツネCUPでも、香港のスカイランニングアジア選手権でも悔しい経験をバネに過去の自分を上回る結果を出してきた三浦さんなら、きっと遠くない将来に笑顔でシャモニーにフィニッシュするシーンを見せてくれるに違いありません。もしかすると来年のUTMB®︎に期待してもいいのかも。

「来年もシャモニーに行ってUTMB®︎のレースに出たいと思っていますが、170kmのUTMB®︎でなくてもいいと思っています。今まであこがれてきたレースですから、あわてずによく準備して最高の走りができるように経験を重ねてから挑戦するつもりです。」