トレイルランニングの中でも50km以上の距離、さらには100kmや100マイルといった長い距離を走るウルトラ・トレイルランニングは経験のないランナーにとってはハードルの高いアクティビティです。しかし、一度でも経験すればその魅力を知り、少なからぬランナーがどっぷりとその「沼」にはまってしまう。その理由の一つについて、クリッシー・モールは著書『はじめてのウルトラ&トレイルランニング』(ベースボール・マガジン社)の中で次のようにふれています。
ウルトラランニングには、己の本当の姿をさらけ出す力があります。(中略)つまり、思っていた以上にできる自分、力のある自分に出会えるということ。トレーニングをしていると、進化の糸口がつかめる飛躍のときが、何度かあります。そしてレースの日、試練が課されれば、困難を乗り越え目標を達成する自分がいる。
「はじめてのウルトラ&トレイルランニング」195ページ
著者のクリッシー・モール Krissy Moehlはアメリカのウルトラランナー。2000年代の初めにシアトルのトレイルランニング・コミュニティの中からアスリートとしてその才能を発揮し、2003年には第一回のUTMB®︎で優勝、2005年にグランドスラム(アメリカの伝統ある4つの100マイルレースを同じ年に完走するというチャレンジ)を達成。その後も2009年にはUTMB®︎で2度目の優勝、ウェスタンステイツで2位に。日本でも2003年のハセツネCUPで3位に始まり、2010年の信越五岳、2013年のUTMFで優勝しています。この本はクリッシーのアスリートとしての活躍に加えて、コーチやレースディレクター、各地での講演活動といった経験から積み上げた結果の集大成といえるでしょう。翻訳はランニングについての本の翻訳経験が豊富な篠原美穂さん、監修にはアメリカのトレイルランニング事情についても詳しいトレイルランナー、西城克俊さんが当たっています。
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その内容はウルトラランニング、トレイルランニングの経験がない人に向けた入門書、という形をとっています。しかし、トレーニングの内容や装備の準備、ペーサーやサポートクルーとのコミュニケーション、身体のケアといった幅広いトピックについて、かなり掘り下げて紹介されています。クリッシー自身の体験談や仲間から学んだことも豊富に盛り込まれていて、経験豊富なウルトラ・トレイルランナーにとっても学ぶことの多い内容となっています。
まずは現状にあわせた目標を設定する
クリッシーによるウルトラ・トレイル入門はどんな言葉で始まるのだろうとページをめくると、第一章の冒頭にはライフスタイルと現在の走力を確認する質問で始まっていました。100マイルのトレイルランニングレースを目指すなら、ある程度毎週コンスタントに走ることができるようになってから、というわけです。最初にどのくらいの期間でどんな目標を達成するのか、考えてみることから始まります。
続く第二章から第四章では目標とするレースの選び方や、ウルトラ・トレイルのティップスといった話題へと続きます。まだ、ウルトラ・トレイルを走ったことがないランナーであれば、水分や食事の補給の問題、足のケアの問題、睡眠の問題といったウルトラ・トレイル特有の話題にきっとワクワクするに違いありません。経験者であれば、自分が苦労して切り抜けた課題やトラブルについて、クリッシーがどんな経験をしたか、気になるところでしょう。
トレーニングはメリハリとバラエティをつけて
第五章が本書の中心となるトレーニングプランについての解説です。ここではコースの距離などの目標に応じて週単位、そして日単位のトレーニングプランに落とし込まれている、という懇切丁寧な内容。もし目標としているレースがあるのなら、その達成に向けて具体的にどんな毎日を過ごしたらいいのか、イメージできるようになるでしょう。
クリッシーがトレーニングプランについて強調しているポイントは、トレーニングの内容にメリハリとバラエティをつけるということ。ロング走を繰り返すだけでなく、体幹トレーニングやインターバル、そして休養を日替わりで組み合わせる他、週単位でも内容を変え、4週間のうち1週間は休養を目的に練習のボリュームを控える、といった具合です。このあたりのノウハウは説明されて頭では理解しても、日々の忙しさや予定通りいかなかった場合にどう修正して軌道に乗せ直したらいいかが分からなくなったりしがちなところ。こんな場合にアドバイスしてくれるパーソナルコーチがいると安心でしょう。
クリッシーの経験を織り込んだアドバイス
トレーニングについて解説する第五章に続いては、身体のケアやサポートクルーに何をお願いすればいいか、ウェアやシューズ、バックパックといったギアについての考え方についても解説。いずれもクリッシー自身がこれまで経験してきたことに基づいての説明となっています。ところどころ、具体的な製品のブランド名が出てくるので、ギアマニアにとってはここも興味深いところ(日本では販売されていないブランドや製品もあります)。第九章「ウルトラ女子の皆さんへ」は女性ランナーの皆さんのためのアドバイスやティップス、そして励ましに当てられていますが、男性ランナーにとっても気づきの多い一章です。
入門書として最初の一ページから順に読んでいくのもよし、気になるトピックについてクリッシーのアドバイスを求めて拾い読みしていくのもよし。目標とするレースに向けたワークブックとしても活用できそうです。
評者としては、本書のテキストや本書の美しい写真の中に登場する人物についてのクリッシーの描写も注目しました。これは本書の楽しみ方としてはちょっとマニアックすぎるかもしれませんね。