60年前にナチュラル・ランニングで世界を席巻したコーチ、パーシー・セラティの「陸上競技:チャンピオンへの道」を新訳で読む

「陸上競技:チャンピオンへの道」(パーシー・セラティ著、近藤隆文訳、木星社)は原著が1960年に出版され、オーストラリアの陸上競技コーチによる話題の書として当時注目を集めました。長らく絶版となっていた日本語版が新訳により今年4月に出版されました。

本書の著者、パーシー・セラティは同じ木星社から新訳で昨年出版された「ほんとうのランニング」の著者であるマイク・スピーノが大きな影響を受けたという人物。本書を読み進めてみると、まずは、トラックではなく砂浜を何度も駆け上ったり、上半身の筋肉を強化するといった(少なくとも当時は)型破りなトレーニングや、肉を食べないラクトベジタリアンの食事といった実践的な内容に目が留まります。一方、人間が生まれつき備える能力を重視する自然主義の思想が繰り返し語られます。

Sponsored link


ランニングをカジュアルに楽しむ人がたくさんいて、わかりやすいアドバイスや励ましをもたらす様々なメディアが溢れる今、本書を読む意味を考えてみました。

自らの実践を通して学び、金メダリストを育てた名コーチ

1960年のローマ五輪で、オーストラリアのアスリートであるハーブ・エリオットは1500m走で金メダルを獲得し、自らの世界記録を更新。エリオットを金メダルに育てたパーシー・セラティの指導内容は当時の陸上競技界の常識に全く沿っていませんでした。

セラティがメルボルン近郊のポートシーに自ら設けたトレーニング施設からは、1960年代にエリオットをはじめ多くのトップ選手を輩出。当時主流だったインターバルトレーニングを否定し、起伏のある砂浜やゴルフ場を走るトレーニングや独自のルールに基づく食事を実践。加えて陸上競技には直接関係ない彼自身による哲学的な講義が行われたといいます。

コーチとして成功をおさめたセラティの前半生は意外にも心身ともに虚弱でした。40代で心機一転して生活を見直して健康を取り戻し、自ら実践したトレーニングでマラソンを完走。ポートシーに自らのトレーニングキャンプを設立したのは51歳の時でした。

選手自身から生まれてくる願望や意欲が力を引き出すというセラティのスポーツ哲学

セラティは本書の中でポートシーのトレーニングキャンプでの生活やトレーニング、エリオットをはじめとする陸上競技界で活躍した教え子たちについてのエピソードを紹介しています。その中でセラティは既存の権威や思い込みを否定し、人間が持ち合わせている感性や知性に従うことで大きな力を発揮できるという自らの哲学をさまざまな形で繰り返します。60年後の現代からみれば、セラティはナチュラル・ランニングの先駆者といえます。

自らの哲学を繰り返すといっても、セラティは実践の人。具体的なトレーニングの方法論も豊富に紹介しています。その中にはポートシーの浜辺の砂丘に何度も全力で駆け上がったり、山を長時間歩いたりといった今日のトレイルランニングやウルトラマラソンにつながるような内容も。1500m走のような中距離走のトップ選手のトレーニングとしては、トラックでインターバルトレーニングというのが主流だった時代において、周りからは奇を衒ったように見えたことでしょう。

ノウハウが豊富な今だからこそ響くセラティの言葉

エリート選手として活躍した経験を持たず、40代で迎えた人生の危機を乗り越えた経験から独力でコーチとしてのキャリアを切り開いたセラティ。その名声と力強いメッセージは海を渡ってアメリカのマイク・スピーノへと届き、1970年代のアメリカに影響をもたらしました。1976年に出版されたスピーノの「ほんとうのランニング」は昨年12月に日本語版が発売(近藤隆文訳、木星社、当サイトの書評はこちら)されています。今、注目を集めるマインドフルネス、芸術の一つの形式(アートフォーム)としてのランニングの源流はセラティから受け継がれています。木星社のウェブサイトではスピーノがセラティの思い出を語るインタビューが掲載されており、こうした経緯が読み取れます。

とはいえ、こうした背景や経緯を抜きに読んだとしても、本書は何かに挑戦しようとする人の背中を押してくれるでしょう。人間が内なる可能性を秘めた存在であるとするセラティの言葉には、人生について楽観的で前向きな考え方があふれています。以下はその一例です。

われわれがみな神の恵み、頭脳、能力に関して平等に生まれていないのは率直に認めよう。だが、自分を高めようとする人の純粋な願望や真摯な試みに反対する力は、人間であれ神であれ、存在しないと確信している。(p. 161)

信じて進んでほしい。あなたは達成できる。「道」は開かれる。(p. 163)

この記事が気に入ったらDogsorCaravanをBuy Me a Coffeeで直接サポートできます!

Buy Me a Coffee

Sponsored link