[DC] 開拓者としての生き方と次世代へのメッセージ。伝説のランナー、バブロ・ヴィヒル(Pablo Vigil)のインタビュー・Joe Grantのブログより

トレイルランニング、マウンテンランニング、ウルトラマラソンが盛り上がっているのは日本だけでなく世界的な動き。こうした盛り上がりに先立つこと40年あまり前、ヨーロッパの名レースで4連覇したアメリカのランナーがいました。。ヨーロッパでもアメリカでも、このスポーツがまだそれぞれの地域ごとのスポーツでしかなかった時に、大西洋をまたいで活躍したこのランナー、バブロ・ヴィヒル(Pablo Vigil)は今日の世界的な盛り上がりの先駆者といえます。

一方、コロラド州ボルダーを拠点に、世界のトレイルランニングレースで活躍する他、地元の高山をクライミングを取り入れたランニングで自在に駆け回るスタイルでも注目されるマウンテン・アスリート、ジョー・グラント(Joe Grant)。アスリートとしての活躍の他に、美しい写真やセンスに満ちたエッセイも手がける彼が地元の山で活躍する人を訪ねるインタビューシリーズに、バブロが登場しました。

まるで放浪者のような生き方で山を走ることを愛し、極めたパブロはまさにジョーや彼の友人・トニー(Anton Krupicka)の大先輩にあたる存在。29歳のジョーが61歳のバブロとのインタビューから何を得たか?日本のランナーにとっては驚くような話でそのまま共感できるとはいえないかもしれませんが、レースで活躍するエリートランナーにとっては示唆を受ける箇所もあるかもしれません。当サイトはジョーの許諾を得て、このインタビュー記事の日本語訳を以下に掲載します。

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  • オリジナルのJoe Grantのウェブサイト、Alpine Worksに掲載された記事はこちら。
  • Life Above Treeline – an interview with Pablo Vigil | Alpine Works
  • 当サイトが以前、パブロについて紹介した記事はこちら。
  • キリアンが伝説のトレイルランナーを訪ねるKilian’s Quest Season 4 予告編 とPablo Vigilのこと | DogsorCaravan.com

  • 昨年秋のKilian’s Questのビデオシリーズでキリアンがパブロを訪ねた際の動画はこちら。
  • Kilian’s Quest S4 E08 – Keeping the passion alive – YouTube


    森林限界を超えて – パブロ・ヴィヒルとのインタビュー / Life Above Treeline – an interview with Pablo Vigil

    by Joe Grant, alpine-works.com, February 19th 2013

    この一連のインタビュー「森林限界を超えて」では、山に生き、山を走る人たちの考え方を紹介する。毎回のインタビューでは7つのテーマ(レースの成績、スタイル、恐れ、タイム、意義、性格、経験)を設け、それぞれのテーマを手がかりに山での経験について話を聞く。

    バブロ・ヴィヒル(Pablo Vigil)について、山岳ランナーの間ではシエラ・ツィナール(注・Sierre-Zinal、スイスで毎年8月に開催される31キロのトレイルランニングレースで欧州で最も伝統あるレースの一つ。)で1979年から1982年にかけて4連覇したことがおそらく最も知られている。彼の達成した主な業績は次の通り。クリーブランド・マラソンで3度優勝、(4年に一度開催される)全米マラソンオリンピック選考会にも3度出場。クロスカントリー走や山岳ランニングの米国代表チームのメンバーにも選出されていた。2012年にはコロラド州のランニング殿堂入りを果たしている。70年代には、フランク・ショーター(Frank Shorter、アメリカのマラソンランナーで1964年ミュンヘンオリンピックの金メダリスト)と5年にわたって一緒にトレーニングをし、プリ(Steve Prefontaine、アメリカの中距離陸上選手であらゆる米国記録を更新して活躍が期待されたものの、24歳で自動車事故死した伝説のランナー)と飲み歩き、アレン・ギンズバーグ(Allen Ginsberg、ビート文学を代表するアメリカの詩人)と遊び回っていた。 私(Joe Grant)はパブロの自宅に招かれ、ランチをとりながらランニング、芸術、家族、旅について何時間も語り合った。彼の質素な住まいの壁には様々な古い本や絵などが並べられている。リビングルームの床にはギターやドラムがいくつも並べてある。その部屋にはパブロという人物と同じように、豊かさと重厚さを備え、暖かみがあって人を引きつける魅力があった。バブロ・ヴィヒルは山岳ランニングの伝説の人物であり、真っ直ぐで思いやりがあり、人に何かを感じさせるカリスマだ。私は一緒に過ごした短い時間から多くを学んだ。このインタビューを通じて彼の知恵の一端を伝えたい。

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    Photo from Alpine Works

    レースの成績(Performance)

    パブロ・ヴィヒル(以下、PV):僕のうちに君が来てくれたこと、君のことをもっと知ることができることを本当に光栄に思うよ。僕は君の書いたものを読んでいるよ。アントン(Anton Krupicka)やキリアン(Kilian Jornet)のものも読んでいる。君たちのような若い世代のウルトラマラソン・ランナー、山岳ランナーが僕みたいな老いぼれの物語を聞きたいなんてびっくりだよ(笑)。

    ジョー・グラント(以下、JG):僕だってあなたが僕たちと話したいなんて驚きです(笑)。

    PV: 新しい世代の山岳ランナーが出てきていることに本当にわくわくしているんだ。君たちが世間に知られ始めていることはすばらしいことだよ。僕らのときには、少なくともこのアメリカで山岳ランナーが世間の話題になることなんて全くなかったからね。ヨーロッパだったらもっと世間に知られて、尊敬されてそれなりに稼げるだろうから、ヨーロッパに行くしかないのかな、なんて思ってたよ。稼ぐといっても大した額にはならないけど、いくらかは稼いでもちろんヨーロッパで山を楽しみ、旅行をして、新しいカルチャーに出会ってフランス語を勉強する。そんなところだけどね。で、何が聞きたいんだっけ?(笑)

    JG: あなたがレースで結果を出していたときに、何を考えていたかを知りたいんです。どうしてレースに出ようと思ったんですか?

    PV: 了解。まずね、アメリカでは山岳ランニングというのは、どんな選手も真のアマチュアじゃないといけないと思われていたんだよ。生活をなげうって少しばかりのカネを勝ち取ろうとか考えるのは、完全なタブーだったんだ。ヨーロッパにだって、アメリカと同じように長い山岳ランニングの伝統がある。でもここアメリカでは選手は完全なアマチュアでなくてはならなくて、カネを受け取るのもスポンサーがつくのもだめだったんだ。もっともそのころスポンサーになろうという会社はなかったけどね。だから、僕たち山岳ランナーはヨーロッパに行って全く違うカルチャーに出会ってレースを走ることに憧れていたんだ。勝てば賞金がもらえると聞いてワクワクしたよ。ただ、僕についていえば、そんなことも魅力的だったけど、とにかくヨーロッパに行ってそこで放浪したい、そんな冒険がしたいと思っていたんだ。僕はスイスなんて行ったこともなかったからね。1978年にクロスカントリー走のアメリカ代表チームに入って初めてヨーロッパに行った。1979年には今度はチャック・スメッズ(Chuck Smead、アメリカのマラソンランナーでアメリカ式のウルトラマラソンを欧州に紹介したことでも知られる)と一緒にスイスに行ったんだ、アルプスに牧場、そこでの冒険。すべてにとにかくワクワクしたんだ。1979年に最初にシエラ・ツィナールに出るためにスイスに行ったときは、実は自分で旅費を払ったんだ。自分で渡航費を払ったんだけど、そこに行くまでに完璧な状態にして行こうと思ってた。わかると思うけど、海外に行くと、体調を整える時間の余裕がないからね。現地に着いたら完璧な状態になるようにしていったら、ちょうどうまくいって最初のシエラ・ツィナールで優勝できた。大会記録を5-6分は縮めたのかな。そうしたらスゴい奴がきたと評判になって、そんな評判のせいであっという間にヨーロッパのレースから次々に招待されるようになったんだ。本当にチャック・スメッヅのおかげだね。2年目もたぶんまた勝てるな、と自分で思ったよ。

    JG: 周りからの期待でプレッシャーを感じたりしなかったんですか?

    PV: プレッシャーは全然なかったけど、3年目になるとさすがに感じたかな。 なぜって、誰も3回も優勝していなかったからね、確か。2回優勝した選手はいたけど3回はいなかったから、3回目の優勝ができるかどうかはプレッシャーを感じたね。もちろん4回優勝なんて誰もいなかったしね。こんな具合に始まって、自分でもいろいろ考えだして、もちろんいろいろな招待もあって、レースもあり、カネもスポンサーもついて物事が動き始めたんだ。雪だるま式だよ。

    海外にいくとうまく行く、ということがあるもんなんだよ。海外を旅すると物事が後からついてきて、自分がヒーローになっている。そんなもんさ。もしボルダーだかコロラドだかカリフォルニアだかに戻ってきていたら、おういいね、よかったね、ただそれだけ。ヨーロッパだったら、みんなに愛され、喜ばれて、サインをねだられる。インタビューだって受ける。ジュネーブだかどこかでテレビで生中継さ。本でも大きく取り上げられる。そりゃあすごいことだよ。すべてがそんな感じさ。カルチャーが全然違って、コースも人も山もみるものすべてが新しい。もちろん当時は若くて独身、家族も仕事もなかった。走ってばかりの怠け者みたいなもんだ。でもそんな日々は最高の時代で最高の仕事ができた時期だった。だから若い人にもそんな経験をしてもらいたいね。君とか、アントンとか、キリアンとか。女性のランナーにもね。できるうちにできるだけのことをやるといい。人生のうちで輝いている時期を生かしてほしいね。

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    Photo from Alpine Works

    スタイル(Style)

    PV: 成功しようと思うなら、何かを犠牲にしなくちゃダメさ。物事にはっきり優先順位をつけないとね。僕がまだ若かったあの頃、カネのことはあまり優先してなかったね。ランニングをするのに、カネを稼ごうとかそこで有名になろうとかは考えてなかったね。とにかく走ることに情熱をもっていなくちゃ、走ることを愛していなくちゃダメだろ、って思ってた。芸術やダンス、どんな世界でもそうだろう?ランニングが俺たちの情熱であり愛。ドケチみたいな生活をしようと思ってた。食事はピーナツバターとオートミールだけ。住むのはでっかいトレーラーで他に13人の汗臭い、馬鹿みたいだけど愉快で楽しい独り身のランナーたちと一緒。ボルダーではそんな生活をしてた。君も何を犠牲にしてでも自分の情熱の赴くままにしたいだろう?僕もそうだったし、人生ですばらしい時期だったよ。僕は運がよくて、そんな生活を稼げるまで続けることができて、世界中を旅していろんな生き方をしているすばらしい人たちに出会った。農業をしている人から有名人までいろいろ。他のインタビューでも話したけど、ジェシー・オーウェンス( Jesse Owens、アメリカの短距離選手で1936年のベルリンピックで4つの金メダルを獲得)とも会ったし、フランク・ショーターとは一緒に練習もしたよ。何かを犠牲にしなくちゃダメさ。何も犠牲にせず、決めたことを守りもせず努力もせず、失敗から学ぼうともしなかったら、何もおこるはずがない。情熱、愛、やる気、何があろうと続けていく忍耐が必要なんだ。暖房もない山小屋に住むことになるかもしれないし、馬鹿みたいなランナーたちと一緒にトレーラー暮らしかもしれない。でも自分の気持ちに本当に正直になればそんな生活もしたいと思うに違いない。仕事とか努力じゃなくてただ楽しいことなんだ。

    これも読む
    DC Weekly 2023年3月6日 Dalat Ultra Trail, Louzan Trail, Jackpot Ultra, 各務原アルプス

    若い連中は時々、まずカネとか評判のことから考えてそれに釣られていると思うことがあるよ。自分で始めるとか、情熱とか一生懸命がんばるとか、少しずつ大きくしていく、ということを考えないんだな。すべてはどんなふうに物事に取り組むか、どんなレベルのことにしたいか、それ次第さ。君らやキリアンがやっていることで有名になったりカネが入ってきたりするにしても、まず最初にやらなきゃいけないのは自分の宿題をやることであり、何かを犠牲にすること。簡単なことじゃあないさ。でも君らが年を取ったら、僕は今61になるけど、シエラ・ツィナールのことやオリンピック選考会のこと、クロスカントリー走で世界を旅したこと、そんなことが素晴らしい思い出として振り返ることができる。そんな経験に値段なんてつけられないよ。人生で最高の時期だったし、世界中にまたがる友情を築けたんだ。アメリカでだけでなく、世界中の人とつながっていたり、間接的にたくさんの人に影響を与えてトーチを手渡しているわけだ。僕がこんな話をするとみんなうんざりするだろうけど、次の世代の若者に影響を与えること、トーチを渡すこと、それって大事なことじゃないかな。山岳ランニングの火を絶やすことなくそのレベルを高めていくにはどうしたらいい?君らが今やっているみたいに、100マイルのレースにあれこれ出るなんて僕には想像もつかないけど、ランナーとしては気持ちはわかるよ。

    僕もアルジェリアのホッガー山脈で100マイルのステージレースに二回出たことがあるよ。一直線にゴールを目指す100マイルじゃなくて5日間のステージレースだったけど、それでもきつくてね。マイル6分のペースで走らなきゃいけないなんてひどいよね。一回目は優勝したんだけど、平均でマイル5分58秒のペース。しかも一日目が5キロ、二日目が50キロなんて具合だよ。まあでもレースはレースだよ、フラットな100マイルでも350マイルのイディタロドでもね(Iditarod Trail Invitational, 毎年2月にアラスカで開催される雪上のトレイルレース。インタビュアーのJoeがこのインタビューのあとで参加を予定している)。すごいもんだよ。僕にはそんな長い時間そんなとこを走るなんて想像もつかないね。

    シエラ・ツィナールとか海外のレースの話になると、みんな忘れていることがあるね。話はトレーニングをちゃんとするということだけじゃなくて、アメリカからスイスだのヨーロッパだのに飛行機でいかなくちゃいけないこと。8時間も時差があるから着いてからも体のリズムをあわせる必要があるよね。だからレースの3日前には到着しておかないといけない。理想的には時差1時間につき一日、あわせて8日前だな。僕は5日もあれば大体大丈夫だったけど、何にしても時差ボケの対策はしないといけない。体の変化もだけど、食事の違いもあるし、外国語が話せないとこれもストレスの素。練習ですら自分がどこを走ってるかわからないなんてことになるとストレスになる。そんな感じだから、たいていの人が考えもしないことを計算に入れる必要がある。現地についても、ドイツからスイスに移動するだけで時差すらないヨーロッパの連中と同じようにはいかない。全然違うんだよね。アメリカ人が向こうに行く場合、逆にヨーロッパからこっちに来る場合もだけど、そういう苦労については誰も考えもしないんだよ。こっちからヨーロッパにいくときは、向こうで落ち着いて高度に慣れるトレーニングをしっかりやらないといけない。高度はなかなか大事でね。高地トレーニングとか何か適切なトレーニングもせずにいっちゃうのはよくない。ジェルなんてものもまだなくてね、トレイルでは何も食べなかったんだ。水を飲むなんて根性なしだ、なんていわれてた時代だからね。僕も20-23マイルも走るのに何にも飲まずに走ることが何度もあったな。水なんて飲んだら根性なしだからってね。馬鹿な話さ、でもそんな時代だった。メンタルが大事だ、ってわけだからね。

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    Photo from Alpine Works

    恐れ(Fear)

    PV: 本当に怖くてビビってるときは、それを顔に出さないこと。怖くなるのは悪くないんだ。恐怖を感じるってのは直感で何かがあるのを感じているわけだからね。地面についてか、他のランナーと競っていることか何かの理由があるんだろう。でもそれを表に出さないことだ。わかるだろう、冷静を装うんだ。でもみんなが怖がっていることも本当はわかってる。ビビりなのは悪くない。でも恐怖で自分を見失ったらダメだな。神経の太さの問題。昔からあるレースだと、スタートからとんでもないスピードで飛び出していく奴らがいるだろう?あいつらは感情とか恐怖に乗っ取られてるんだ。恐怖も感情も結構、でも自分でコントロールする。コントロールできなくなったらなんとか押さえ込む。僕の考えてたことがわかったんじゃないか?何で100マイルレースでマイル6分のペースで飛び出したか。結局ロードのパートに出たらもうダメでつけを払うことになったよ。

    何でも進歩していくものさ、一つとして同じレースなんてない。同じ川を二度渡ることはない、っていうよね。その通りさ。君も一つのレースで2回、3回、4回、5回と勝つことがあるかもしれない、スコット・ジュレクがウェスタンステイツでやったみたいにさ。でも何度勝ったとしても次は新しいレースなんだよ。新しい競争だし、新しい一日さ。どんなことでも起こりうるし、何かいいことも起こるもんだ。4回目にシエラ・ツィナールを走ったとき、後ろのランナーをかなり引き離していて油断してたんだね。かっ飛ばしていたんだけど次の瞬間には小さい石に引っ掛けて倒れちゃったんだ。その石をかわしたかどうかもわからなかった。それで気づいたんだ、俺は競争のど真ん中にいることにめちゃくちゃビビってた、ってことに。新しい一日で何もまずいことはないんだから、何も心配しなくていいんだ。そう考えておけば、自分に正直に、周りに注意を払って、もっと集中できる。自分が気にし始めると、誰それと今競い合ってるけど、あいつケガしてるっていってたな、なんてことになる。でも大体長距離ランナーなんて嘘つきさ。あー、俺調子悪い、ケガしてる、とかいってね、で後ろからきて追い抜いてくんだ。そんなこんなでいろいろあるよ。

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    タイム(Time)

    PV: レースだったらタイムが全てさ、スプリットタイムとかね。でも僕はスプリットとか把握して走るなんてあまり真面目にやったことはないよ。チャック・スメッズはそういう分析が好きだったから、スプリットタイムを記録して、累積高度を計算したりしてた。僕はコースの距離や高低差はちょっと見るくらいで、数字を追いかけたりはしないんだ。そんなことしても自分がビビるだけのことだから。できるだけシンプルに考えて、タイムのことはあまり気にしないのが僕の流儀さ。

    でも目安にしていることはあるよ。実際自分で走る時は時間を目安にして走る量を判断するんだ。その方が融通が効くしね。走っていて何かのわけであっちの方向に行ったり、こっちのコースに行きたくなったりするから。昔は距離がはっきりわかるコースしか走らないランナーがたくさんいたんだけど、ある時からそんなのバカバカしいと思うようになったんだ。距離がどうしたっていうんだ? 好きなだけ走ればいいじゃないか、距離なんて気にするな。好きに走ればいいんだ。そうすれば融通が聞いて自由になる。今だって僕はトレーニングする時は時間を決めてやってる。10キロ、8キロ、5マイル?そんなの気にするな、ってこと。

    感じたままに走るけど、何となく気にしている目安はある。シエラ・ツィナールに行くとコース全体のスプリットとか何とかを教えてくれて、僕はそれを聞いてることもあれば、聞きもしないこともある。気になるのはライバルとの競争がどうなるか。タイムなんてどうでもいいんだ。3年目だったか4年目だったか、自分のコース記録を更新しそうと途中で聞いたけど、やっぱりタイムなんて関係ないや、と思ったね。大会記録更新は大事だけど、また誰かに破られるまでのタイムでしかないからね。勝つことの方がタイムなんかより大事さ。速いタイムで大会記録を更新するよりも、タイムは遅くても優勝する方がいい。そうだろう?大会記録なんて誰かに更新されちゃうからね。1981年だったかな、レースの主催者のジャン-クロードに「シエラ・ツィナールで2時間半を切る記録が出ると思うか」って聞かれた。マイル4分のペースだからね、そんなの無理、不可能なことの例えだとみんな思ってた。僕はジャン-クロードに、そんなのじきに出てくるさ、って言ったんだ。10人くらいのランナーが揃って、お互いに競い合って、晴れのいい天気で、地面がしっかりしてれば、2時間半なんて簡単に出る。実際にジョナサン・ワイアット(Jonathan Wyatt)が2時間半を切るまでには25年かかったけど。

    俺たちが走ってた時のタイムは、今でも3位以内に入るタイムなんだよ。つまりは、比較の問題さ。レースを走るランナーがいて、100マイルだかなんだかを5時間でフィニッシュしようが30時間で完走しようが、相対的な話でしかない。みんな楽しんで走るのさ。君の方が俺よりも、あの年配のご婦人よりも楽しんで走ってる、なんて言えるかい?

    君がレースに招待されて走るとしたら、招待選手なんだからいい成績で走ろう、と思うだろう?ゆっくりで走っても、たいていはいい成績が出せるだろうね。その日どれだけ頑張れるか次第さ。調子のいい日もあればダメな日もある。スポーツなんだから。体調が悪かったり、ケガしてたりなんてこともあって、それはみんな分かってる。成績が悪かったら、招待選手なのに、と他のランナーよりも責任を感じるだろう。大会から少しばかりカネをもらってるし、スポンサーもいるし、なんてことが気になる。でも国の代表でスポンサーのためにその日できるベストのレースをしただろう。それ以上できないところまでやった。すごいことさ。それが大事なんだよ。

    社交的な役割ができるアンバサダーになればいい。世界一速いランナーじゃないかもしれないが、人と上手く接することができて、印象が良くて、感謝の気持ちを言葉で示すようにする。そんなヤツがこのスポーツには必要なのさ。スーパースターだけど、気が利かなくてカネだけもらってはいさよなら、プレスには話もしたがらない、なんてヤツはいらない。プレスみたいに相手にしたくないことや関わりたくないこともたくさんある。僕もレポーター相手にひどい思いをしたこともあるけど、でも大体はうまくいった。いやなことは付き物だと思っておけばいいのさ。

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    性格(Character)

    PV: スーパースターだっていわれてるランナーがとんでもなく嫌な野郎だってことがあるね。愛憎半ばする、っていうのか。一方でスーパースターでありながら、人当たりがよくてすばらしいアンバサダーだってこともある。もしランナーとして成功したのなら、それまでの恩に報いるのは大事なことだ。自分をやる気にさせてくれたのは誰なのか?スポンサーを続けてくれたのは誰なのか?レースで勝っているときだけじゃなく、ケガで走れないときもだよ。

    僕はそのあたりちゃんとやってきた自信がある。一人のランナーを育てるのは大変なことなんだ。チャック・スメッズは僕をヨーロッパやシエール・ツィナールに連れて行って、アメリカのランナーがヨーロッパで活躍する道を作ってくれた。そういう恩には報いなくちゃね。長い目でみれば、全部自分に返ってくることなんだ。人間の宿命ってやつさ。上手に話をして感謝の気持ちを絶やさなければ、周りの人は敬意を持って前向きに接してくれる。実際のところ、僕は君らのやっていることを尊敬してるし、刺激を受けてるよ。君のやっているチャレンジについて読むと、全くとんでもないことをやってるな、でも俺にはとてもできなかったな、と思うんだ。

    JG: そんなふうにいっていただいてありがとうございます。でも、あなたに関する記事を読んで、あなたの世代が先に道を切り開いてくださったからこそ僕たちが先に進めるようになったんだと思いました。

    PV: 今もいったけど、スポンサーがついてくれて、ランナーがレースに参加できることは素晴らしいことだ。君が活躍することで、スポンサーは世界に名前を売ることができるんだからね。スポンサーをしなかったらそんなに自分の会社の名前を宣伝することなんてできないよ、百万ドルはかかることだからね。選手は世界レベルのランナーじゃなくてもいいのさ、いいアンバサダーでありさえすれば。ランナーが金やダイアモンドを手にするまでの間、いいアンバサダーをつとめることは意味があることだよ。相乗効果が働くんだよ。だから世界中からもっとたくさんの選手がレースに集まるようにしないとね。当時ヨーロッパにいる時間が長くてもアメリカに戻ってきていたのは、ランナーはカネをもらっちゃいけない、というAAU(Amature Athletic Union、アマチュア競技連盟)的な考え方をする連中が多かったからなんだ。いつもカネが全てだというつもりはないよ、でも困っている芸術家がいたら、生活をサポートするだろう?スポンサーが現れて、ランナーと契約して成績次第でボーナスを出すことでサポートする必要があるんじゃないかな。僕も70年代の終わりから80年代の初めにかけてナイキとそういう契約をしていた。そういうのがもっと必要なんだよ。

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    意味合い(Meaning)

    PV: 僕の場合はとても恵まれてた。運がよかったね。ランニングのおかげで世界中、40カ国も行くことができた。そればかりか、今もランニングを続けていられる。選手としては引退はしたけどね。直接にも間接にもこのスポーツにかかわり続けることができて、盛り上がっていくのを内側からみることが出来るのは素晴らしいことさ。それにも増して、まあまあ普通の人生を送ることも出来ているのがありがたいよ。 娘3人のことを誇りに思うんだ。ランニングのおかげで教育を受けさせることもできたんだからね。アラモサにあるアダム・ステート大の授業料を払うことができた。

    もっと間接的なことでいえば、旅からは値段がつけられないほど大事なことを学べる。マーク・トゥエインがなんていったか知ってるだろう?無知を打ち破りたければ旅に出よ、とかなんとか。旅は世界で一番値打ちのあることだよ。僕もたくさんの片言の外国語を覚えて、特にフランス語は第三外国語といえるくらいだけど、たくさんの人と出会った。値段のつけられない経験さ。それでこうして君とも会えたわけだから。このスポーツの次の時代を見届けて、トーチを手渡せることに気持ちが奮い立つよ。情熱は尽きることがないんだ。それが僕の学んだことだね。気持ちが奮い立ってそれが終わることはないんだ。ここにあるゲータレードにも僕はかかわってるし、今度の9月にはベネズエラで開かれるランニングの国際会議にラッセ・ビレン(Lasse Virén、70年代に活躍したフィンランドの長距離ランナー。ミュンヘン、モントリオール五輪の金メダリスト。)を連れて行くつもり。ランナーをシエラ・ツィナールに送り込むこともしているし、若い選手とかかわることは自分が走るのと同じようにやりがいを感じるね。

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    経験(Experience)

    PV: できる時にできることをやる、責任を抱え込みすぎたり、体の自由が効かなくなったりする前にね。世界から聞こえる声は常に変わっていく。なんにしても8回から5回は仕事を変える必要ある世の中さ。それが世の定めなんだ。だからできるときにやる。でも先を見通して計画も立てる。インタビューの話がこなくなったとき、齢をとってレースが出来なくなったとき、どんな選択肢があるか。そんなことに備えておく。手に職をつけるとか、投資でカネをためるとか、稼げる学位をとっておくとか。選手が齢をとって何も手元に残っていないのをみるのは寂しいことだからね。何も頼みにすることがなくて、最後にはだれもかまってくれず、自分のことを覚えてもくれていなくなくなる。そんなことになっちまう。だから何かしらのセーフティネットは用意しておかないとね。

    競技生活を通じて学ぶことは多いはず。外に出て、旅をしてランニングをする経験を通じて、スポンサーや自分のブランドのためのウェアをデザインすることもあるかもね。ゲーリー・ネプチューン(Gary Neptune、コロラド在住の登山家・冒険家)なんて、いろんな登山用具のデザインで名前が売れて、今では素晴らしい店を構えてる。情熱を持って打ち込めることから得るもの全てが、自分の成長につながる。

    話はランニングのことだけじゃない。世界が俺たちに求めているある種のイメージというか、人格というのがあるんだ。このスポーツを広めて、何かもっと大きなものにしていくことは大事なことで、当時に同じ考え方で取り組んでいくべきこと。僕らの世代が頑張って走っていた頃とは違う。そんなテクノロジーも道具もなかったからね。それが今目の前で起こっているのはスゴいことさ。こんなに世間の注目がこのスポーツに集まっているなんてね。

    僕にとってはランニングは世界で最もスピリチュアルなことの一つ。人間の精神とか、目標とか、人生の意味とか、自分の価値とか自尊心とか、たくさんのことに結びついていて、世界をよりよくしていくものだと思う。ランニングをしていたおかげでいくつかの素晴らしい考えに行き着いた。山の中で一人で過ごしたり、静寂の中で耳をすまして瞑想することができたおかげだよ。何か情熱を傾けることを持たなかったらそんなことは起こらなかったね。別にランニングでなくたっていい、絵を描くとかガーデニングとか、音楽とか、なんでもいいんだ。

    音楽もいいね、僕も最初は音楽に熱を上げたよ。自分で練習してレッスンを受けたりはしなかったけど、熱中できたね。子供のこととか、カネのこととか、家族のあれこれの問題とか、人生にはいろんなことが起こるけど、僕にとって音楽とかその後のスポーツは人生のあり方や意味を与えてくれる存在だった。僕もいろんな苦しみにぶち当たった。貧しかったり、英語が話せなかったり、マイノリティーなせいで50年代や60年代には差別も受けた。そんな時、音楽とスポーツはなじみがよくてどっちをやるのも楽しかった。そういう相乗効果は大事なことだよ。そういえばコミュニティも大事だね。僕は一匹狼になりがちだけど、みんなと一緒にいるのも好きだ。同じように熱い仲間と一緒に過ごして、お互いに理解し合って、お互いに新鮮な気持ちになる。僕も若いランナーと一緒にいると気持ちが研ぎすまされるし、テクノロジーとかなんとかのおかげで盛り上がっているランニングの世界の最新の情報に触れることができる。年寄り連中とばかり一緒にいたくないね、若い世代のことを信用してるんだ。

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