田中”JR”裕康さん・フジロックで歩き疲れた音楽好きが電車のように正確なペースで100マイルを走るまで Count Down to UTMF 第二回【PR by THE NORTH FACE】


今年のウルトラ・トレイルマウントフジ Ultra-Trail Mt. Fuji(UTMF)は4月26日金曜日正午に富士山こどもの国をスタート。THE NORTH FACESTRAVA、そしてUTMFはコラボレーション企画の第一弾として、STRAVA上でのバーチャルイベントである「UTMF2019 -Virtual STY」を開催中です。

4月11日木曜日からUTMF開催前日までの15日間で、昨年まで開催されていたSTYの92kmに相当する距離を走るというチャレンジ。始まってから一週間の本稿執筆時点までに、もう269人が92kmを達成してデジタルトロフィーをゲットしています。

このバーチャルイベントを記念して、イベントに参加している方を紹介する連載記事「Count Down to UTMF」の第二回は田中裕康さん。昨年のUTMFでタイ11位の田中さんは先日ご紹介したSTRAVAのレポートの中でトップ選手のトレーニングの例として登場しています。しかし田中さんがランニングに取り組むようになったのは30代の後半になってから。UTMFのような長距離のトレイルランニングで活躍するようになったのは40代も半ばに入ったここ数年のことです。一体何が田中さんを変えたのか。ニックネームの「JR」の由来は何か。お話を聞きました。

(写真・2017年信越五岳100マイルを4位でフィニッシュした田中裕康さん)

フジロックで体力不足を痛感したのが走り始めた理由

田中裕康(たなかひろやす)さん:大手IT企業のシステムエンジニアの仕事の傍らで始めたトレイルランニングでランナーとして才能を発揮。初めての100マイルレースとなった2015年のOSJ KOUMI 100で優勝。以来国内だけでなくアメリカの100マイルレースにも積極的に挑戦している。昨年はUTMFでタイ11位(サンゲ・シェルパと同着)、信越五岳100マイルで2位。今年はUTMB®︎への出場を予定している。妻と中学生の子どもたちの4人家族の45歳。STRAVAのアカウントはこちら

田中裕康さんは中学生の頃はバスケットボール、高校ではテニスの経験があるものの、社会人になってからはフットサルを時々する程度。転機になったのは苗場スキー場で開催されるフジロック・フェスティバルでした。三日間、自然に囲まれた野外のステージ5、6カ所を歩いて移動した田中さんは、帰宅してから自分の運動不足を痛感します。

「三日間歩き続けて最終日に足底に激痛がはしり、好きなバンドをフェンスにもたれかかりながら観ました。これじゃダメだ、もっと体力をつけないと、と思いましたね。」と振り返る田中さんは2010年ごろからジョギングを始めます。ハーフマラソンを完走、そしてフルマラソンも完走して走る楽しさに目覚めた田中さんはランニングからトレイルランニングへ。2013年に青梅高水山トレイルランの15kmでデビューしますが「レース後帰りの階段で両脚が攣ってしまって悶絶しました。でもこれは面白い、と終わってすぐ次のトレイルランニングの大会にエントリーしました。」とのこと。

100マイラー・Tomoさんからニックネームに「JR」とつけられた理由

とはいうものの、このころはまだトレイルを走るのが楽しいとは思っても、レースで上位に入ろうとは思っていませんでした。その田中さんを変えたのがTomoさんこと井原知一さんとの出会い。井原さんは現時点までに100マイルのレースを45回完走し、今年からは独立してランニング・コーチとして活動しています。「私は学生時代の仲間がUTMFを完走した、と聞いて自分もいつかは100マイルを走りたい、と思っていた頃。Tomoさんとは当時お互い住んでいるところが近かったので、一緒に生田緑地(川崎市)あたりを走るようになりました。」

それからわずか1年、2015年のOSJ KOUMI 100で田中さんは優勝します。100マイルという長い距離、長い時間の中で、どんなペースで走るか、レース中にどういうタイミングで補給していくか。Tomoさんから学ぶことで優勝を手にすることができたといいます。

2015年のOSJ KOUMI 100で優勝した田中裕康さん(左)とペーサーの井原知一さん。

田中さんに「JR田中」のニックネームを付けたのはTomoさん。「ランニング仲間が時々『天狗24耐』というイベントをやっています。トレイルのコースを1周3時間で8周して100マイラーになろうというものなんですが、あるとき私は最後の8周目までほぼぴったり1周3時間のペースを守ることができたんです。」それをみたTomoさんが、JRの電車のように正確なペースで走りつづける、という意味でニックネームをつけたのでした。

田中さんにはお気に入りのニックネームですが、実際のレースでは「電車のように正確なペース」とはいかないことも。「昨年のUTMFでは途中で軽い脱水になったり、最終の二十曲峠からペースを落としてしまいました。それでも、全体を通してみればいいペースで走れたのはTomoさんから100マイルのペース配分を教わったおかげでしょうね。」

2018年のUTMFで田中裕康さん(左)はサンゲ・シェルパさんと一緒にフィニッシュを目指した。

早朝のグループランでモチベーションを高める

Tomoさんは川崎市から引っ越しましたが、田中さんは今も仲間と集まって生田緑地を走っているといいます。「今朝も朝5時から一緒に走りました。お互いに最近の出来事や、レースや補給の仕方について話しながらゆっくり走ります。1人ではできない練習ができるし、仲間と一緒のグループランは僕にとって大事な時間なんです。」

田中”JR”裕康さんも「Virtual STY」に参加しています。今年のUTMFには出場しないで、当サイト・DogsorCaravanのライブ速報に協力してくださいます。「取材しながら選手の皆さんをコース上から応援するのが楽しみ」だそうです。

(協力:THE NORTH FACE