先週末10月7日(日)のハセツネこと日本山岳耐久レースで、7時間22分という大会新記録で日本のトレイルランナーを大いにわかせてくれたDakota Jones / ダコタ・ジョーンズ。彼がアメリカのトレイルランニング情報サイトのiRunFar.comに自らの言葉で綴ったハセツネ参戦記を寄稿しています。
以下では彼の参戦記を日本語に翻訳したものを掲載します。弱冠21歳ながら彼がハセツネと日本のトレイルランニングについて様々に学び、感じたことを活き活きと綴っているのを楽しんでいただけると思います。我々日本のランナーがハセツネに出て感じることを彼も同じように感じているとわかって微笑ましく思いました。
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ダコタが文章を書くことについて語っている当方とのインタビューは以下をご覧ください。
[DC] #Hasetsune ハセツネのコースを試走しての感想、ランナーへのメッセージ・Dakota Jones レース前インタビュー(2) | DogsorCaravan.com
(注・以下の日本語訳はiRunFar.comおよび同サイトを通じて筆者であるDakota Jonesに翻訳および掲載の許可を得ています。)
Hasetsune: Mr. Jones Goes to Japan (and Wins)
ハセツネ:ジョーンズ氏、日本に行く(そして優勝する)
2012年10月12日 Dakota Jones / ダコタ・ジョーンズ
先週末の70キロのレースでは残り18キロのところで水も補給食も尽きてしまった。エイドステーションはとっくに通り過ぎてしまったし、望みはどこかで沢を見つけてそこで沢水を飲むことくらい。フィニッシュするまでは何も補給できないのは分かっていた。すっかり日は落ちて夜になり、ヘッドランプを頼りに急で岩がむき出しのコースを登る。そこで思うことといえば「はぁー、いけるのかなぁ、これ」。
どこへいけるか?フィニッシュ地点へいけるかどうかという話だ。ハセツネ・カップは毎年2000人以上のランナーが参加する日本で最大のトレイルランニングレースで、午後1時にスタートして制限時間は24時間。スタート時間が午後なのはたとえ先頭を走る選手であっても、夜の暗闇の中を走らなければならないようにするため。スタート・フィニッシュは五日市という町で、区分上は東京都の範囲内にあるが、都心まではクルマで1時間半はかかるところだ。「ハセツネ」の名前は 日本の有名な登山家・長谷川恒男の姓と名のそれぞれ二音節をつなげたニックネームに由来している。長谷川恒男は20年以上前にヒマラヤでの登山中に雪崩に襲われて亡くなり、その業績を称えて彼の夫人と仲間たちが始めたのがこのレース。僕が自分で集めた情報によれば、最初はランニング大会という感じではなく、むしろアドベンチャーレースといった感じで今よりももっと大きいバックパックを背負って、もっと山深いところまで行ったようだ。レースはその後多少は穏やかなところで落ち着いて、今では日本のトレイルランニング界でとても人気のあるレースとなっている。とはいうものの、決して甘いレースではない。距離は71.5キロで登りの累積高度は4,500mに達する。さらにこのレースの最大の特徴はコースの最初から最後までレースで必要となる食料と水を全て自分で持たなくてはならない、という点だ。ハセツネ・カップのエイドステーションは42キロ地点にある一カ所のみで、そこで補給できるのは最大1.5リットルの水だけ。その他は何も補給することは許されない。
そんなわけで、僕はコース上で3番目のピークとなる大岳山をもがきながら登っていた。喉が渇き、水も補給食も尽きてしまった。しかし、僕はこのとき自分が本当に3番目のピークを目指しているのかどうかよくわからなかった。というのも、ハセツネのコースには3つの主要なピークがある、と聞いていたのだが、実際のところハセツネのコースには最低でも22は主要なピークがあった。いや、たぶん49はあったかもしれない。とにかく、スタートしてから7時間半の間、山をまっすぐに登ってはまっすぐに下ることの繰り返しで、最後の数マイルの下り区間に来るまでは普通に走るリズムを刻んでいるように見せかけるだけで精一杯だった。日本の山は高くないのかもしれない。コースの最高地点は1,500mちょっとだ。しかしとても急な山が続く。大体、高さで25m〜100mくらいを登り、同じくらい下る。ピークに向けて登っていくときは下りは少し短め、あるいはピークから下っていくときは下りが少し長め。何をいってるかわからない?そうかもしれない、実際僕のレースはそんな感じだった。コース最高地点は三頭山で、それが標高1,500mくらいだということはわかっていた。そんなわけなので、僕の気持ちがわかってもらえるだろうか。世界一急な登りの後で(大体、それは最初僕が山頂についたと思っていたピークを過ぎてからやってくる)、たどり着いた山頂はまだ標高1,400mしかなくて、さらにここからしばらくは下りなのだという。もう、文句をいうのはよそう、ただ、ハセツネ・カップというのはこんな感じでスタートからフィニッシュまで続く。
しかし、僕が走るレースはどれもハードなものだ。半分はハードだからそのレースに出るんだといってもいい。僕は自分自身、競争相手、そして地形に挑戦したくて走る。日本はその全て、あるいはそれ以上を与えてくれた。レースでの体験は他のレースと同じようなものだ。たくさんのランナーと一緒にスタートして、集団はその日一日を楽しく一緒に過ごす数人のグループに分かれていく。競争するのはエキサイティングでやる気が出てくる。でもそういうことはどこのレースでも感じることだ。僕にとってはハセツネというのは新しい地形を経験したということ以上の意味があった。
コロラドの出身で、ここに来るまでヨーロッパで過ごしたばかりの僕は長大な風景と開けた空間に慣れていた。日本はそういう感じではない。ハセツネのコースの山は樹木が密生し、しばしば雲に覆われる。松の木はとがった葉を付け、山肌にはびっしりと植物が生えている。トレイルは木々の間に設けられるので大きな眺望は開けず、やせた尾根上かそのすぐ下の下りぐらいしか眺望はない。時々、ぱっと眺望が開けて、それがほんの一瞬なのでより鮮明に記憶に残ることがある。まるで静かなラジオの音からパッと記憶に残る言葉を聞くような感じだ。僕は頭上の木々の切れ目から山が近づいてくるのがはっきり見えることがある。一度、木々の間から霧のかかった山々に囲まれた大きな貯水池が見えたのを覚えている。それに、チェックポイント2(月夜見第二駐車場)からさきのどこか高いところから、東京の夜景が見えて最高の眺めだった。だけど、レースのコースの大半は霧の中だった。雲が木々の間を流れていき、走っている間も神秘的な雰囲気だ。日が落ちる前から、しっとりとした水蒸気の空気に包まれた。コース両側のお化けみたいにぼんやりとした木々に囲まれた。とにかく次の登りまでトレイルをたどっていく。夜になるまではロマンチックな風景で、空気に含まれるたくさんの水分のおかげでヘッドランプの光は拡散し、トレイルがよく見えない。幸運なことに、夜になって吹き出した風が霧を吹き流してくれた。走って、歩いて、水や補給食が足りないことを心配しながら進むうちに、フィニッシュ地点への道が正しいことがわかり、安心した。
日本のトレイルランニング・コミュニティの皆さんは彼ららしい応援と深い敬意を払いながら僕のことを迎えてくれた。皆さんは僕がこの最も人気のあるレースを走ることを誇りに思ってくれていることがわかった。でも、僕は全く同じことを逆方向で考えていた。このレースを走ることは僕にとって大変な名誉だと。皆さんは僕を歓迎し、いいか悪いかはともかくアイドルのように扱ってくれた。そして、雑誌やインターネットを通じてでしかこのトレイルのことを知らない誰かと、トレイルをシェアすることを喜んでくれた。日本の山を走る仲間のコミュニティは大きくて熱意にあふれている。みんな、このスポーツに情熱的に取り組み、このスポーツを愛していることがよくわかる。東京のアウトドア仲間のコミュニティの規模にも驚いた。東京のような世界最大の都市に住んでいると、トレイルランニングを楽しむのは苦労もあることだと思う。それでも、彼らはできるだけ街を出て山を走り、ハセツネで全力を尽くす。どこで行われる山岳レースもそうであるように、フィニッシュしたタイムはさほど重要でなく、挑戦した経験を共有することに意味があるのだ。僕たちは皆同じコースを同じ日に走る。そうすることで人々の間につながりが生まれる。フィニッシュ地点ではレース前の不安が吹き飛び、兄弟姉妹のような仲間になれる。友達同士でレースについて話し合っている人たちの横に、僕は座って話に耳を傾ける。何か意味のある言葉を作っている音に聞き入ってどんな意味なのか理解しようとしてみる。あちこちで握手がされて、お互いの栄誉をたたえあう。そしてみんな家に帰る。もちろん、僕にとってここでの家は渋谷のホテルの一室だ(どこにあるかはグーグルで調べてみて)。そして明日はヨーロッパに戻るんだ。なんてすばらしい人生。