ネパールのグレート・ヒマラヤ・トレイルの最速走破記録(FKT)に挑戦していた、南アフリカのトレイルランナーであるライアン・サンデス Ryan Sandesとライノ・グリーゼル Ryno Grieselの二人が3月26日にフィニッシュ地点に到着。1504kmを25日4時間24分で走破してFKTの更新を達成しました。従来の記録は南アフリカのアンドリュー・ポーター Andrew Porterが2016年に達成した28日と13時間56分というもので、サンデスとグリーゼルはこの記録を3日短縮したことになります。
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(写真・グレート・ヒマラヤ・トレイルのFKTを達成して祝杯をあげるライアン・サンデス Ryan Sandes(左)とライノ・グリーゼル Ryno Griesel。Photo by © Dean Leslie / Red Bull Content Pool)
グレート・ヒマラヤ・トレイルはネパールの国土を東西に横断するトレッキングルートで、主なものとして標高6000mを超える高山地帯を通る「ハイ・ルート」、山岳エリアの村や谷をつなぐ平均標高2000mの「カルチュラル・ルート」があります。今回のサンデスとグリーゼルは、二つのルートを組み合わせた1400kmのコースに2016年のポーターがたどったのと同じ12箇所にチェックポイントを設定。その間のコースは自らが地図を用いてナビゲーションしていくことになります。今回のFKTでは2016年のポーターの時と同じように、地元のポーターなどに行動に必要な荷物を運んでもらうことはしない、立ち寄る先々の民家や施設で宿泊する、現地で食事や食料を購入する、現地の登山ガイドに依頼して行程の途中で装備品を交換したり通行許可申請を代行してもらう、といったルールに従っての挑戦となりました。
サンデスとグリーゼルはネパール西部の中国・チベットとの国境にある町、ヒルサ Hilsaを3月1日にスタート。二人は1400km先のネパールとインドの国境の町、パシュパチナガー Pashupatinagarへと旅立ちました。
しかし、二人の行く手には様々な苦難が襲いかかります。まずスタートから280kmほどのドルパを通過する際には想像以上の積雪に悩まされることに。今シーズンの冬が終わってまだ誰も足跡をつけていない中で、常にグローブを外して地図を手にしながらナビゲーションをすることになったグリーゼルは指の凍傷に悩まされることに。
さらに、事前に地図上で想定されるコースを十分に検討していたものの、実際にトレイルを辿ってみるとコンピューター上で描いたルートよりも複雑で遠回りをせざるを得ないことが少なくありませんでした。全体でみると当初の想定よりも200kmほど実際のコースは長かったといい、これも二人の挑戦にとって大きな苦難となりました。また、一夜を過ごそうと思って1日の終わりに地図上に書かれた村にたどり着いてみるとそこは廃村となっていて何もない、ということもありました。「あの時、偶然通りかかったお坊さんに出会ってお寺で泊めてもらわなかったら、あの夜に凍死していたでしょうね」とグリーゼルは振り返ります。
二人の挑戦を支えてくれたのは、行く先々で出会ったネパールの人たちの思いやりでした。二人は毎日のようにその日の夜を過ごす場所を求めて村人の家のドアを叩くことになりましたが、外国人の急な願いごとにもかかわらず、村人は二人に寝床を用意し、暖を取らせてくれたといいます。
完走まであと300kmとなったところで、二人とも、特にグリーゼルは腹痛や足のケガで満身創痍でしたが、残りはわずかな仮眠と補給のために立ち止まるほかはパシュパチナガーまで一気に走りきってフィニッシュ。
サンデスは「今回の挑戦はまちがいなく僕の一生で最大の冒険でした。特に精神的に厳しいものとなりました。想像もつかないほど何度も何度も登ったり下ったりの繰り返しでしたが、絶対に完走するんだという気持ちだけは途切れませんでした」と話しているとのこと。
挑戦を終えた二人は母国の南アフリカに今週帰国します。ライノは本業である会計士の仕事に戻ります。ライアンはしばらく休養をとったのちに、今年の最大の目標である8月のUTMBに向けた準備に取り掛かることになります。
二人の挑戦の詳細はRedbullの特設サイトをご覧ください。