コロナ禍の海外レース挑戦記・スペイン Val d’Aran by UTMB(その6)長い下りに睡魔と吐き気のダブルパンチ、まだ100マイル累積高度10600mの旅は続く【久保信人】

【編者より:今年7月に開催されたVal d’Aran by UTMBに参加した久保信人 Kubo Nobuhitoさん(フィールズオンアース)のレポートをお送りします。第6回目の今回は順調だったスタートから一転、厳しいレースとなった経緯とそこからの復活の様子が克明に綴られています。】

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丹羽さんとはぐれる

丹羽薫選手と絶景に感動しながら一緒に進んだ前半の約20km、第2エイド手前で丹羽さんがトイレに行くので先に行ってて、とのこと。第2エイドできっと合流するだろうと、先行して第2エイドの「Geles」標高1647mに到着。このエイドも山の中腹にあり、おそらく四駆でないとたどり着けないようなダートの林道の先にあった。

この大会のエイドでは、大きなキューブ型の水タンクに複数の蛇口がついているタイプの水補給所が設けられていた。すぐ近くには沢水も流れていて、そこからフラスクに水を補給している選手もいた。

沢水の方が空いていたので1本のフラスクはその沢水が流れ出ている給水場所から補給し、もう一本はスポーツドリンクを補給。バナナとクラッカーを頬張り、丹羽さんの姿を探すがなかなか現れない。ここで急いでもしょうがないので結構のんびりと待ってみたが、一向に現れない。もしかしたら気が付かないうちにもうエイドを出てしまったかもしれないと思い、エイドアウトした。まだ前半でエイドには結構な人数のランナーがいたので、見落としていてもおかしくない。

20km地点のGelesのエイドから第3エイドに向かう間に1回目の夜がやってきた。ヘッドライトと、ウエストライトを着けて最初のナイトランが始まる。

エイドのトルディージャ

レーススタート前、丹羽さんから第3エイド~第4エイド間の14.6kmが非常に細かいアップダウンの連続で全然進まずとても長く感じた、と聞いていた。そこで30km地点の第3エイド「Artiga de lin」では再びフラスクを満タンに。スペイン風ジャガイモ入りのオムレツ、トルディージャがあったので、その8分の1を頬張りエイドアウト。

トルディージャはたくさんのジャガイモがミルフィーユ状に重なった、卵とじの分厚い丸いオムレツで、非常にトラディショナルなスペインの定番メニュー。なかなか食べ応えがあり、Val d’aran by UTMBならではの補給食だ。

以前レユニオンなどでもふかしたジャガイモなどがとっても自分にはあっていたので、このトルディージャはこの先も役立ちそうだ。

スペイン名物ジャガイモのオムレツ、トルディージャ

スペイン名物ジャガイモのオムレツ、トルディージャ

この第3エイドから先がいよいよ前半の最大のピーク、2468mの「Tue de Cabrirols」まで約1000mを5km程度で上るという急登となる。このピークの先も非常に厳しいということを頭に入れつつ、余裕を残してこのピークを越えなくてはならない。

夜はやはり冷え込みが厳しく、ウィンドベストにアームウォーマー、薄手の指長グローブをつけてちょうどよい。レインウェアを着込んでいるランナーも多い。今日は幸い満天の星空の快晴。しかしもし悪天候だったら相当厳しいコンディションになっていただろう。

前半の難所

第3エイドから第4エイド間の約14kmには踏み跡がほとんどないか、非常に薄いトレイルとなっていた。マーキングがなかったらどこがコースかほとんどわからないようなマイナールートをつないでいる。

コースには丈の低い草が生い茂って見た目以上に路面が凸凹していて走りにくく、気をつけないと捻挫しそうだ。丹羽さんが進みづらい、といっていたわけがよくわかる。マーキングがない試走でこんな山道を一人で進むのは、相当大変だっただろうと想像がつく。

標高2000mを超えると低酸素で減速したり、苦しそうに立ち止まるランナーが増えてきた。傾斜がきつく大きな岩がごろごろしているガレ場も頻繁に出てきた。いよいよピレネー山脈の核心部に入っていく、そんな雰囲気だった。

スタートから丹羽さんにならい、ペースを相当抑えていたのでこの辺りでは調子がいい。どんどん順位を上げていった。頭上には素晴らしい星空と、眼下には所々にオレンジ色の街灯がキラキラと輝く、ピレネーの小さな集落が点々と光っている景色がなんとも幻想的だった。

前半最大のピークで標高2468mの「Tue de Cabrirols」を越えると、走りにくくてほとんどトレースのない凸凹の草地の激下りが続いた。これはつらい!足首が隠れるくらいの草地が続き、道がほとんど見えない。

皆、思い思いに走りやすそうな場所を探してマーキングだけを頼りに下っていく。無理すると捻挫しかねない難しいサーフェスだ。急なくだりが何度も現れて足を削ってゆく。しかし丹羽さんがきついと言っていたセクションはこの下りの先だ。

下りの先をライトで照らすと、かなり先までぽつぽつとヘッドライトの明かりが見える。険しいアップダウンを繰り返すコースとなっていることがわかった。

「これは難儀だぞ。」前もって聞いていたから多少は覚悟できていたけれど、このセクションの厳しさを痛感する。走りにくい不安定なサーフェスに加えナイトランで神経を使い、目と脳が疲労していくのを感じる。さらに最初の夜なのに早くも眠気が出てきた。力が入りにくいし集中力が陰りを見せ始める。

「これはまずいな・・」ペースを無理に維持しないように心がけた。

丹羽さんの予言通り、この35km地点から45km地点の第4エイドまでのアップダウンでは消耗し、疲れた。ペースをセーブしていても不安定で走りづらい路面で脳が疲れたことを記憶している。

第4エイドにはなかなか着かなかった。やっとの思いで到着すると、14.5kmのこの区間で1リットルのフラスクは完全に空になっていたので水で満タンにした。ここでもトルディージャを食べてエネルギーを補給。この区間はかなりエネルギーを消費した感じがして、エネルギー不足にならないようにしっかり食べた。

恐ろしく長い下り

第4エイドとなる45km地点の「Coth de Baretja」から最初のサポート可能なエイドとなる55km地点の「Bossost」までの約10kmはほとんど下りとなる。

こうした長い下りはなかなか日本のトレイルレースでは経験できない。富士山や南アルプスなどの長い下りで脚を慣らす必要がある。私も富士山に三度登り、南アルプスにも何度か足を運んで長い下り対策をしてきたつもりだったが、それでもこの長い下りは堪えた。傾斜が急なうえに長く、いくら下ってもなかなか第5エイドにたどり着かない。

しかも、再び激烈な睡魔が襲ってきて、思うように走れない。眠い、眠すぎる。。。100マイルレースの眠気は突然やってきて猛烈な眠気との戦いとなるが、ひょんなきっかけで突然眠気がなくなることがある。それを期待して柿ピーをぼりぼり食べてみたり、カフェイン入りのタブレットを飲んでみたのだが、ダメだった。

スタートから街や集落を通ることなく、山深く、踏み跡の薄い野性味あふれるコースをひたすら突き進んできた。だから、久しぶりに見えた街の明かりは実にありがたい。やっと最初のサポートエイドで55km地点の「Bossost」に到着した。

55km地点、Bossostのサポートエイド

55kmのBossostのエイドステーションはこの街の体育館に設けられている。今回サポートをしてくださったマドリッド在住の平橋さんが待っていてくれた。まだ脚には余裕があるものの激しい睡魔と闘ってきたせいか、かなり疲弊しているように見えた様子。

20km地点ではぐれてしまった丹羽さんはやはり私が待っている間にエイドを出ていたらしく、私が第5エイドについた20分前ぐらいに出発したそうだ。さすがの速さ。

このエイドまで約10kmがひたすら険しい下りだった。かなりセーブしてきたつもりでも、なかなかすぐに食べ物が喉を通らない。でも、ここで補給をおろそかにして進むのは危険と考え、カレーメシにミニカップうどんを用意する。

ここまでの補給食のゴミなどを出して、補充用に用意したジップロックに詰めた補給食をザックに入れ替える。一連の詰め替えが終わると、ちょうどカレーメシが出来上がり、ゆっくり食べる。「うまい!」カレーメシはもはや100マイルレースの必携装備ではないだろうか。

丹羽さんのサポートを終えたばかりのサロモン中村さんもまだエイドにいらして、丹羽さんの補給の余りのスイカやブドウを頂いてしまった。ありがとうございます!

このエイドでは30分程度滞在し、ゆっくり体制を整えて夜明け前の5時ころにエイドアウト。ここからは久々のロードセクションとなる。

このVDAの100マイルの中で唯一フラットな区間となるロードを走るもつかの間、続く古道のような石畳のつづら折れの登りで64km地点「Canejan」のエイドに到着。前のエイドでしっかり補給したので、このエイドはほとんど止まらずにスルー。これが失敗だったとわかるのは後のことだ。

朝日が昇り明るくなると、眠気も消えて元気になっていた。

69.8km地点で体調に異変

64km地点の第6エイドまでは極めて快調だった。いつも体調が悪くなる傾向があるスタートから11時間の時点も無事に過ぎて「今日はいけるんじゃないか!」と思っていた。

第6エイドを出た後、コースのプロフィール図ではほんの少し緩やかな下りがある。ここが実に走りやすくなだらかで気持ちのよいシングルトラックで、ついついペースが上がってしまった。

すぐに終わるだろうと思ったのだが、3〜4kmにわたり走り続けられる斜度のシングルトラックの下りが続く。途中で歩いたりすればよかったのだが、軽快に前の選手たちを抜き続けているうちについつい走りすぎたらしい。そう気づいたのは、69.8km地点の第7エイド「Sant Joan Toran」に着いた時だ。食欲が全くなく、低血糖症になりかけて急に吐き気を催し始めた。

「しまった、またやらかした。ああどうしてあんなに走ってしまったんだろう」

私は100マイルでいつも10時間から12時間の間に内臓トラブルを起こすという傾向があった。今回こそは内臓トラブルなしで完走したい。そう強く願っていて、そのために前半はこれまで以上にしっかり抑えていたつもりだった。唯一、この第6エイドから第7エイドの区間を除いては。その一瞬の油断がまたもや命取りとなった。

第7エイドで急激に体調が悪化し、座り込んで自分の愚かさを激しく後悔する。しかし時すでに遅し。気持ち悪い。。きっと今の自分の顔は青ざめて唇が紫だろう。。見なくてもわかる。またいつもの内臓トラブルを起こしている。

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何も食べられない。でもこの先はこのレースの核心部ともいえる標高2000mを超える山が連続する厳しい山岳エリアとなる。そのエリアを快調に乗り越えるために前半抑えてきたのに、その直前でブレーキを離してしまった。

「ああ、なんて馬鹿なことをしたんだ。」この第7エイドで頭を抱えた。せっかくここまで、この直前まではうまくいっていたのに。。

しばらく座って吐き気が収まるのを待った。まだ完全に収まっていないが、何とか数枚のビスケットを無理やり食べる。バナナ一本を手にして、水を満タンにしてとりあえずとぼとぼと歩いてエイドアウトした。

エイドの手前で軽快に抜かしていったランナーに次々と抜かれる。そのたびに「ああ、俺は馬鹿だ、あのシングルトラックさえもっと抑えていれば」と、自分の愚行に腹が立った。

でもここは立て直すしかない。回復するまでペースを落として歩き倒すしかない。そう言い聞かせて、食欲の全くない口にバナナを無理やり突っ込み、噛みながらとぼとぼ歩いた。

なかなか収まらない吐き気

約70km地点の第7エイドから83.3km地点の第8エイドまでは、今回のコースで最大の標高差を上る。標高約1000mの第7エイドから1300mを登って標高2277mの「Tuc des Crabes」まで約9km。ひたすら上り続ける最もハードな登りセクションだ。自分はそんな最悪のタイミングで内臓トラブルを起こしたことになる。

日が高くなり、照りつける日差しが暑く感じ始める。暑くなると内臓トラブルにはネガティブだ。きれいな沢が流れているのを見つけて、沢水で首元などを冷やし、10分ほどシューズを脱いで横になった。止まった方が早く治るかもしれないと思ったからだ。

多少はよくなったものの、補給はなかなか摂れない。バナナ一本のエネルギーだけで第8エイドにはたどり着けないはずだ。「食べないと、何とか食べないと。」それだけを考えながら歩き続けた。

このセクションは日が昇ると、たくさんの花々が咲いていてとても美しい。だけど吐き気がひどくてこの素晴らしいコースを楽しめないでいた。「ちくしょう、ちくしょう、早く収まれ!」ずっとそう願って歩き続けた。ここまで抜いてきたたくさんのランナーにまた抜き返された。

第8エイド(83.3km)までは果てしなく遠かった。この区間はほとんど歩き倒してしまった。第7エイドでは126位まで上げていた順位も、この区間だけで約40名に抜かれて168位に落ちた。

やっとの思いでたどり着いた第8エイドだが、体調は全く回復せずその場に倒れこむ。「くそ~なんで回復しないんだ!」かれこれ3時間近く歩き倒しているのに体調は戻らない。

83.3km地点の第8エイド「Pas Estret」は標高2060mにある。このあと、コース上で2番目に標高の高い2533m地点を越えなくてはならない。そのために何としてもこのエイドで回復させる必要がある。何か食べなければ絶対にエネルギー切れして動けなくなることはわかっていた。

15分ほどエイドで横になるが一向に吐き気は収まらない。とにかく何か食べようとスイカを食べる。ほとんどカロリーはないがスイカは食べることができた。スイカを食べすぎるとおなかを下す可能性があるのだが、結構な量を食べた。それから果物のペースト、コンポートジェルを一気に全部流し込んだ。

これでも次のエイドにたどり着くためのカロリーはまだ不足していた。しかしこれ以上とどまり続けるわけにもいかないと考えて、歩き出した。ここから標高差で約500mのアップで2533mまで登る。

超絶景のLac de Montoliu

このエリアは、景色がひときわ素晴らしかった。この2500m級の山には、かつて鉱物の採石のために引かれた線路にトロッコが走っていたという。その線路が残るトレイルを通過するこのエリアはVal d’Aran by UTMBの最大のハイライトとなる。右手にエメラルドグリーンに輝く「Lac de Montoliu」を眺めながら、見渡す限り連なるピレネーの美しい山々の超絶景が続く。

「ああ、ここは気持ちよく駆け抜けたかった。」そう思いながら美しい景色に癒される。標高は高いが比較的進みやすいトレイルが続き、体調がよければ結構走れたはずだ。

大会のプロモーションビデオにも登場する採石トロッコの線路跡を通る。「ああ、ここがあの映像の現場なんだ!」想像の何倍も美しく雄大な実際の景色を目の当たりにして感動した。UTMBに勝るとも劣らない雄大な景色を、是非多くのランナーの皆さんに見てほしいと思った。

この美しい景色に癒されて体調も少しずつ戻り、2533mのピークを無事通過する。その先の景色もまた素晴らしい!!ここからの下りは比較的なだらかで、360度の絶景に抱かれながら走れる下りが延々と97.6kmの「Montgarri」まで続く。

「Montgarri」は大会前にバケイラ・べレのスキー場担当者の元オリンピック選手チャビさんに車で連れて行ってもらった場所だ。そこまで行けば後半のエリアは頭の中にイメージがある。

この下りでまた体調が悪くなり、走ったり歩いたりを繰り返す。吐き気を何とかぎりぎりでいなしていた。補給は相変わらず水分以外受け付けない。いつハンガーノックになってもおかしくない状態だった。時刻も午後のもっとも暑い時間となり、全く日陰のない日照りの下での暑さが堪える。この第8エイドから第9エイドまでの区間はコース中で3番目にエイド間の距離が長い。

周りの様子がチャビさんと行ったMontgarriの景色に似てきたと思ってから、実際に到着するまでは予想以上に長かった。何度か心が折れかけた。長い。いつMontgarriにつくんだろう。97.6km地点の第9エイド「Montgarri」は標高1659mに位置するのだが、標高の高さにかかわらず暑かった。

やっと、やっと見えてきたMontgarriの教会。あの教会の中で暑さをしのいで昼寝をしようか。そんなことを考えながら倒れこむようにエイドに到着。

空いていた椅子になだれ込みうなだれた。ダメだ。回復しない。もうかれこれ6時間吐き気と戦い続けているのに、全くペースが上がらない。もうゴールまでこのまま歩き倒すのか、と弱気になっていた。一時は126位まで上げていた順位も、この時には203位まで落としていた。もう戦意喪失という状態。それでも、とにかく絶対完走はする。その気持ちだけは消えていなかった。

Montgarriには一般の登山客やMTBのサイクリストのためのカフェバーがある。「きっとピザとか簡単なランチメニューはあるはずだ。あのレストランに入ってピザでも食べようかな?」そんなことを考えながら、もう食べることができない補給食やゴミをザックから出して少しでも荷物を軽くする。次のエイドにはドロップバックがあるし、距離は約5kmしかないから水は500mlでいい。

この時、ハンガーノックになりかけていた。手がしびれている。前のエイドではスイカとコンポートしか食べず、そのエネルギーだけでここまでやってきた。なにがなんでも食べないと先には進めない。

目の前にある日本の「Marieビスケット」によく似た、きっと普段食べたら対して美味しくもない、非常に味のうすーいぱさぱさのビスケットを試しに頬張ってみた。

「ん?うまい?たべれる!!」

約6時間ぶりにまともに食べられそうなビスケットに出会い、必死にむさぼった。この味の薄さが吐き気を抑えてくれて、何枚でも食べることが出来た。たぶん10枚近く食べたと思う。とにかくエネルギー源を確保することに必死だった。1枚食べるごとに「これで行ける、絶対にいける。」そう勇気がわいてきた。

ここ迄瀕死のゾンビだった自分がみるみる力を取り戻していくのを感じながら、97kmのMontgarriのエイドを後にする。ここから5kmでドロップバックを受け取れる「Beret」のエイド。もうすぐそこだ!ビスケットのおかげでみるみる力が戻ってきているのを感じながら、第10エイドの「Beret」(103km)に向けて突き進む。

この5kmの区間は走れる楽勝エリアだと思っていた。実際のコースは自分が視察で見たダブルトラックの林道ではなく、その横に隠れていた細いシングルトラックだった。ハイマツが生い茂っていて走りにくい。おい!全然走れないじゃないか!

少々手こずったものの、力が戻っていてぐいぐい進む。103km地点のドロップバックエイドの「Beret」に到着した。

ドロップバックエイドの「Beret」

ここはレース前にチャビさんが連れてきてくれた場所で、大会で最大のライフベースが設けられている。2階では仮眠が可能で、100マイルのレースでは唯一のドロップバックが置けるエイドだ。

私は幸い現地ガイドの平橋さんにサポートをしてもらえたから、個人用の補給食などを55km地点で補充できた。しかしサポートがない場合は、ここまでコース上のエイドだけを頼りに来なければならない。そう考えると相当厳しいレースだ。

Montgarriのエイドで食べたパサパサのビスケットのおかげで胃腸は復活している。ここでは再びカレーメシとミニカップそばを用意する。エイドに用意された補給食もライスやパスタ、ペンネにトマトソースとなかなか充実している。ドリンクはコーラ、アクエリアス、ファンタオレンジもあり、私はファンタをいただく。

吐き気でブレーキがかかった私を抜かしていったランナーたちも、多くがここで仮眠したり、疲労でロングストップしている。エイドはやや混雑気味。どの選手の顔にも疲労の色が見られる。あの険しいピレネーの山々を103kmにわたって越えてきたのだから当然だ。

このBeretのエイドは、キッズレースや距離の最も短いレース「SKY」、次に距離が短い「PDA」のスタート地点となっている。トップグループの選手が通過する時間帯にこれらのレースが開催されたようだ。応援のギャラリーがたくさんいて、盛り上がっている。

私はサポートの平橋さんから補給補充用のジップロックを受け取り、ザックに詰め替える。そしてカレーメシとカップそばを美味しくいただく。足をきれいに水拭きしてワセリンを塗りなおし、ソックスを履き替える。以上、40分ほどの滞在でエイドアウトした。

今やさっきまでグロッキーだったのが嘘のようだ。「やっと、やっと自分の走りが出来る!ココから追い上げるぞ!」とエネルギーに満ち溢れて103km地点の「Beret」を出発した。

(続く)

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