「DogsorCaravan Award」(ドッグスオアキャラバン・アワード)は、トレイルランニング、スカイランニング、マウンテンランニング、そしてウルトラマラソンにわたる幅広い分野において、この一年、日本を拠点に活動し、最も優れたパフォーマンスを見せた選手を称える賞です。選考にあたるのは当サイトの編集人である岩佐幸一です。
2025年は、トレイルランニングが「高度に専門化されたプロスポーツ」としての地位を固めると同時に、多くの人々にとってかけがえのないライフスタイルの一部として深く根付いた、象徴的な一年となりました。エリートシーンの著しい進化と、層の厚みを増す愛好家コミュニティ。その両輪が力強く回転する中で、世界を舞台に戦った選手、国内の激戦を制した選手、転じて新たな可能性を示した選手たち。DogsorCaravanが選出する、今年のシーンを牽引した受賞者たちをご紹介します。
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今年は女性、男性についてそれぞれ「本賞」を一名、「特別賞」を若干名選出することとしました。
【女子の部】本賞(MVP):秋山穂乃果 Honoka Akiyama
2025年の女子トレイルランニングシーンは、実力伯仲の「三強」が国内外で活躍するハイレベルなシーズンとなりました。その中で栄えあるDogsorCaravan Award本賞に輝いたのは、シーズン中盤から後半にかけて圧倒的な勝負強さと爆発力を見せた秋山穂乃果選手です。
秋山選手の評価を決定づけたのは、6月に開催された「KAGA SPA TRAIL ENDURANCE 100 by UTMB」での走りでした。100kmカテゴリーにおいて、並み居る男子エリートを抑えて男女総合4位という驚異的な順位でフィニッシュ。単なる「女子優勝」という枠を超え、競技者としての絶対的な強さを知らしめました。
その後、スペイン・カンフランで開催された世界選手権では、険しい山岳コースに日本代表選手が苦戦を強いられるなか、自身は冷静な走りで12位という好成績をマーク。世界の厚い壁に確かな手がかりをつかみました。シーズンの締めくくりとなった12月の「Izu Trail Journey (ITJ)」でも、自身2度目となるタイトルを確実に手にし、2025年を完結させました。
特別賞:吉住友里、高村貴子
MVPに迫る活躍を見せた二人のトップランナーにも、心からの敬意を表し特別賞を贈ります。
- 吉住友里 Yuri Yoshizumi:その活動量はまさに「鉄人」の域に達しています。1月のHong Kong 100 – Half 57kでの準優勝から始まり、Mt.FUJI 100(Asumi 40k)での準優勝、さらにタイ・チェンマイでのUTMBワールドシリーズ3位入賞など、年間を通じて国内外を飛び回り、常に表彰台に立ち続けました。12月までトップレベルのパフォーマンスを維持し続けたそのタフネスは、多くのランナーに勇気を与えました。
- 高村貴子 Takako Takamura:シーズン後半は体調を崩す場面もありましたが、前半戦の輝きは圧倒的でした。世界の強豪が集結した GTWS 開幕戦「Kobe Trail」での4位入賞は、彼女の持つスピードが世界最高峰のレベルにあることを改めて証明しました。KAGA SPA 50kでの総合5位優勝も含め、その爆発力は依然として唯一無二のものといえます。
2025年は新たな才能が次々と開花した年でもありました。荒井珠実 Tamami Arai 選手は、6月の奥武蔵ロングトレイル105kmでの総合4位優勝という鮮烈なデビューに続き、9月の信越五岳100マイルを見事に制覇。短期間で国内屈指のウルトラディスタンスの女王へと登り詰めました。
加えて、ニュージーランドの「Tarawera Ultra-Trail by UTMB」100マイルで歴史的な優勝を飾った宮﨑喜美乃 Kimino Miyazaki 選手や、Mt.FUJI 100で3位に入った岩井絵美 Emi Iwai 選手など、国際的な舞台で日本女子の存在感を示す選手たちの活躍も印象的な一年でした。
【男子の部】本賞(MVP):近江竜之介 Ryunosuke Omi
男子の部は、世界という高い壁を真っ向から受け止め、着実にその距離を詰め続けた近江竜之介選手を選出しました。
近江選手にとって 2025 年は、単なる「挑戦」ではなく「定着」の年となりました。3月のイタリア「Chianti Ultra Trail by UTMB」42kでの4位、そして4月のKobe Trailでの5位入賞。さらに、山岳レースの最高峰「Marathon du Mont-Blanc」での7位、世界選手権での17位と、世界中のエリートが集うフィールドで常に上位争いに絡み続けました。
ビッグタイトルの獲得こそ惜しくも逃したものの、年間を通じてこれほどハイレベルな安定感を見せた日本人選手の登場は久しぶりのことであり、その一貫したパフォーマンスは2026年、世界の表彰台の常連になることを強く予感させるものでした。
特別賞:小笠原光研、上田瑠偉、黒川輝信
男子の特別賞には、それぞれ異なるスタイルで強さを示した3名を選出しました。
- 小笠原光研 Koken Ogasawara:シーズン前半の勢いは目覚ましく、Mt.FUJI Asumiでの2位入賞などで強烈なインパクトを残しました。年末のChiang Mai by UTMB 50k で6位に入るなど、再び上昇気流に乗っています。
- 上田瑠偉 Ruy Ueda:日本を代表するトップ選手である上田選手にとって、今年は波のあるシーズンでした。そうした中、富士登山競走での悲願の優勝は、日本のエースとしての矜持を感じさせました。終盤の中国の頂上決戦、Tsaigu Trail 100kでの3位、Chiang Mai by UTMB 50kでの2位は、2026年への復活を確信させるものでした。
- 黒川輝信 Terunobu Kurokawa:戦略的にターゲットを絞り、確実に結果を出すスタイルが今年は実を結びました。「彩の国」と「KAGA SPA」の100kmを共に制し、国内のミドル・ロングディスタンスにおける新たな王者の風格を漂わせる今シーズンの活躍でした。
シーズンを彩った実力者たち
ベテランの西村広和 Hirokazu Nishimura 選手がスペインの「Penyagolosa Trails」で準優勝し、12月のITJを劇的なスパートで制した勝負強さは圧巻でした。また、「くれいじーかろ」こと甲斐大貴 Hiroki Kai 選手のTarawera by UTMB 100kでの準優勝とウェスタンステイツでのTOP10入り、小田切将真 Shoma Otagiri 選手のITJ2位、怪我を抱えながらもMt.FUJIで3位に入った川崎雄哉 Yuya Kawasaki 選手など、ベテランの円熟と若手の台頭が交錯する、非常に密度の濃い一年となりました。
2025年総括:競技の深化と科学的アプローチの台頭
2025年を振り返ると、トレイルランニングというスポーツが、より高度で知的な「プロフェッショナル・プロジェクト」へと変貌を遂げたことが分かります。
パフォーマンスの「超・深化」
最大の衝撃は、男女のパフォーマンスの差が劇的に縮小したことです。ケイティ・シャイドがハードロック100で歴史的なコースレコードを塗り替えたように、女性アスリートが総合順位でトップを争う姿はもはや珍しくなくなりました。これは、女性の生理的な耐久力と、精密な戦略が結びついた結果と言えます。
トレーニング理論のパラダイムシフト:科学的アプローチの浸透
2025年は、トレーニング理論においても大きな転換点を迎え、「筋持久力(Muscular Endurance)」への回帰が鮮明になった一年でした。かつてのような心肺機能(心拍数)のみを重視する潮流から、いかに筋肉の耐性を高め、後半の失速を防ぐかという実戦的な課題へと焦点が移ったのです。
この流れを決定づけたのは、名著『Training for the Uphill Athlete』の共著者であり、現在は自身が主宰するコーチング・コミュニティ「Evoke Endurance」を率いるスコット・ジョンストン氏の理論でした。同氏が提唱する「持久力の土台としての筋力」という考え方は、UTMBを制したトム・エバンスやルース・クロフトといった世界のトップランナーが実践したことで、瞬く間にグローバルスタンダードとなりました。
単なるスタミナ強化ではなく、神経系の疲労(Neuromuscular Fatigue)をいかに制御するかが、彼の理論のカギとなります。ウルトラディスタンスでの「脚が終わる」現象の主因は、エネルギー不足だけでなく、筋肉の微細な破壊による神経伝達の鈍化にある、と考えます。これを克服するため、あえて重いザックを背負って急峻な斜面を登る「特異的筋力トレーニング」が、エリートからアマチュア層まで注目を集めています。
一方で、トレーニングの質を保つための「合理性」も際立ちました。下り坂での過度な筋破壊を避けるため、強化フェーズによっては登りだけを行い、下りはロープウェイを利用するといった「賢い下り(Smart Downhill)」も提案されています。
グローバル勢力図の変化
ネパールのスンマヤ・ブッダやモロッコのエルハウシン・エラザウィ、そして圧倒的な層の厚さを誇る中国勢。もはや欧米の強豪だけがトップを占める時代は終わり、多様な背景を持つアスリートたちが互いに切磋琢磨する真のグローバル化が現実のものとなりました。
2026年への展望:より多様で、持続可能な物語の創造へ
2025年に起きた地殻変動を経て、2026年はどのような景色が広がるのでしょうか。DogsorCaravanは次の3つの視点に注目しています。
1. 「ハイブリッド・アスリート」の定着
もはや「トレイルランナー」という単一の定義は古くなりつつあります。ロード、トレイル、そしてグラベルバイクなど、複数のフィールドを横断する「ハイブリッド・アスリート」が主流となり、競技の枠を超えた新しいライフスタイルが確立されるでしょう。この文脈でグラベル・ランニングはキーワードとなり、大会開催もシングルトラックもグラベルもどちらもコースに含むことがポジティブに受け止められる可能性があります。OSJ Ontake 100やITJはその先駆者的存在です。
2. レースイベントの「体験価値」の再定義
市場の成熟に伴い、単に順位を競うだけのレースは選ばれなくなるかもしれません。Mt. FUJI 100やKAGA SPA TRAILが示したように、ランナーがいかにその土地の文化や自然と「物語」を共有できるか。ライブ感とコミュニティへの没入感が、大会の成功を左右する鍵となります。
3. 「サステナビリティ」から「リジェネラティブ(再生)」へ
環境負荷を減らすことはもはや前提条件です。2026年は、レースを開催することで地域の自然を修復し、コミュニティをより良い状態へと導く「再生型」の視点が不可欠になります。走ることが、自然を豊かにする力になる。そんな新しいスポーツのあり方が問われることになります。
2025年に私たちが目撃した多くの進化は、2026年には「新しい日常」として定着していくのでしょう。皆さんがそれぞれのトレイルで、走ることの新しい楽しさ、自らの限界を越える充実感を発見する一年になることを願っています。
参考・これまでのDogsorCaravan Award
2019年に「日本トレイルランナー・オブ・ザ・イヤー」(Trail Runner of the Year in Japan)から改称しました。
- 2013年:原良和さん、大石由美子さんが本賞、山ノ内はるかさん、宮原徹さん、神流町のうめこさんが特別賞を受賞(ノミネート、受賞者発表)
- 2014年:上田瑠偉さん、大石由美子さんが本賞、西田由香里さん、星野由香理さん、松本大さん、望月将悟さんが特別賞を受賞。貢献に対する特別賞は相馬剛およびFuji Trailheadさん(ノミネート、受賞者発表)
- 2015年:土井陵さん、丹羽薫さんが本賞、星野由香理さん、宮﨑喜美乃さん、松本大さん、小原将寿さんが特別賞を受賞。貢献に対する特別賞はパワースポーツ・滝川次郎さん(ノミネート、受賞者発表)
- 2016年:大杉哲也さん、吉住友里さんが本賞、高村貴子さん、丹羽薫さん、上田瑠偉さん、川崎雄哉さんが特別賞(ノミネート、受賞者発表)
- 2017年:上田瑠偉さん、丹羽薫さんが本賞、高村貴子さん、吉住友里さん、小川壮太さん、三浦裕一さんが特別賞を受賞(ノミネート、受賞者発表)
- 2018年:三浦裕一さん、高村貴子さんが本賞、吉住友里さん、立石ゆう子さん、荒木宏太さん、城武雅さんが特別賞を受賞(ノミネート、受賞者発表)
- 2019年:吉住友里さん、上田瑠偉さんが本賞、高村貴子さん、立石ゆう子さん、星野由香理さん、浅原かおりさん、藤澤舞さん、石川佳彦さん、小原将寿さん、大瀬和文さん、喜多村久さんが特別賞を受賞(受賞者発表)
- 2020年:コロナ禍により中止
- 2021年:仲田光穂さん、上田瑠偉さんが本賞、吉住友里さん、板垣成美さん、秋山穂乃果さん、森下輝宝さん、近江竜之介さんが特別賞を受賞(ノミネート、受賞者発表)
- 2022年:髙村貴子さん、土井陵さんが本賞。秋山穂乃果さん、向井成美さん、吉住友里さん、上田瑠偉さん、西村広和さん、吉野大和さんが特別賞(ノミネート、受賞者発表)
- 2023年:仲田光穂さん、川崎雄哉さんが本賞。秋山穂乃果さん、髙村貴子さん、宮﨑喜美乃さん、小田切将真さん、長田豪史さん、山口純平さんが特別賞(ノミネート、受賞者発表)
- 2024年:吉住友里さん、山口純平さんが本賞。岩井絵美さん、清宮由香里さん、髙村貴子さん、上田瑠偉さん、小笠原光研さん、近江竜之介さん、吉野大和さんが特別賞(受賞者発表)













